孝武帝 (南朝宋)

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孝武帝 劉駿
第4代皇帝
王朝
在位期間 453年 - 464年
姓・諱 劉駿
休龍
諡号 孝武皇帝
廟号 世祖
生年 430年
没年 464年
文帝(第3子)
路恵男
皇后 王憲嫄
陵墓 景寧陵
年号 孝建 : 454年 - 456年
大明 : 457年 - 464年

孝武帝(こうぶてい)は、南朝の第4代皇帝。姓は劉、名は駿。は休龍、小字は道民。

生涯[編集]

430年8月、文帝(劉義隆)の三男として生まれた。436年9月、武陵王に封じられた。439年、都督湘州諸軍事・征虜将軍・湘州刺史となった。440年、使持節・都督南豫豫司雍并五州諸軍事・南豫州刺史に転じた。444年、撫軍将軍の号を受けた。445年、寧蛮校尉・雍州刺史に転じた。448年、安北将軍・徐州刺史に任じられ、彭城に駐屯した。450年、汝陽の敗戦の罪に連座して鎮軍将軍に降格された。451年2月、北魏の侵入を許した罪で、北中郎将に降格された。3月、南兗州刺史となり、山陽に駐屯した。6月、南中郎将・江州刺史に転じた。

453年1月、長兄にあたる皇太子劉劭が文帝を殺害すると、劉駿は兄を討つべく江州で起兵した。4月、新亭に進軍して、皇帝に即位した。5月、建康を陥落させ、劉劭を殺害した。

在位中、中央集権を推し進め、側近に寒門を登用するなどの政策を行う一方で、兄の一族を殺害する暴虐さとともに奢侈を好む一面もあった。そのため、財源確保のために租税を厳しくするなど、宋の衰退の端緒となった。

464年閏5月、玉燭殿で死去した。

妻子[編集]

后妃[編集]

  • 孝武文穆王皇后王憲嫄
  • 殷淑儀
  • 陳淑媛
  • 何淑儀
  • 徐昭容
  • 謝昭容
  • 史昭儀
  • 史昭華
  • 何婕妤
  • 江婕妤
  • 楊婕妤
  • 阮容華
  • 杜容華
  • 江美人

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  • 山陰公主劉楚玉
  • 安固公主
  • 臨汝公主
  • 安吉公主
  • 臨淮公主劉楚珮
  • 皇女劉楚琇
  • 康楽公主劉修明
  • 県公主
先代:
文帝
劉劭
宋(劉宋)皇帝
第4代:453年 - 464年
次代:
前廃帝