敬帝 (南朝梁)

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敬帝 蕭方智
第6代皇帝
王朝
在位期間 554年 - 557年11月16日
都城 建康
姓・諱 蕭方智
慧相
小字 法真
諡号 孝敬皇帝(武帝による)
生年 大同9年(543年
没年 永定2年4月3日
558年5月5日
元帝
夏貴妃
皇后 王皇后
年号 紹泰 : 555年 - 556年
太平 : 556年 - 557年

敬帝(けいてい)は、南朝の第6代皇帝。姓は方智(ほうち)。元帝蕭繹の九男。

生涯[編集]

549年太清3年)、興梁侯に封じられた。552年承聖元年)11月、父の元帝が江陵で即位すると、方智は晋安郡王に封じられた。553年(承聖2年)9月、平南将軍・江州刺史となった。554年(承聖3年)11月、西魏の侵攻を受けて江陵が陥落し、元帝が敗死すると、方智は王僧弁陳霸先らにより擁立されて梁王・太宰となり、承制した。555年(承聖4年)2月に江州から建康に入って即位した。

3月、北斉が梁の皇族である貞陽侯蕭淵明の帰国を支援し、彼を梁の皇帝に擁立することを要求した。7月、王僧弁が北斉の軍事力に屈したため、敬帝は退位して皇太子となった。9月、陳霸先が王僧弁を討ち、蕭淵明を退位させて再び蕭方智を擁立した。以後の敬帝は陳霸先の傀儡であった。任約や徐嗣徽が北斉の支援を受けて抵抗したが、556年紹泰2年)6月に陳霸先に敗れ去り、会稽で張彪が反乱を起こしたが、周文育らに鎮圧された。557年太平2年)10月、敬帝は陳霸先に禅譲し、梁は滅亡した。譲位した蕭方智はを建てた武帝陳霸先により江陰王に封じられたが、翌年4月に殺害された。享年16。

宗室[編集]

父母[編集]

  • 父:世祖元帝(蕭繹)
  • 母:夏氏
先代:
元帝
閔帝
の第6代皇帝
554年 - 557年
次代:
永嘉王