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紀元前16世紀(きげんぜんじゅうろくせいき)は、西暦による紀元前1600年から紀元前1501年までの100年間を指す世紀。
出来事[編集]
紀元前1700年代[編集]
- 紀元前1700年 - 1500年頃 - フルリ人の拡散(ヤムハド王国・ミタンニ王国)。
紀元前1600年代[編集]
紀元前1570年代[編集]
- 紀元前1574年頃 - 上エジプトのセケンエンラーが反乱を起こす。
- エジプト第15王朝(大ヒクソス)に反乱したセケンエンラーのテーベ政権は第17王朝と呼ばれる。
- この事績は後代の『アポフィスとセケンエンラーの争い』と呼ばれるテクストにまとめられる。
- 紀元前1573年頃 - セケンエンラーの死去後、息子のカーメスが反乱を継続し領土を拡大。
- 紀元前1570年頃 - 第17王朝のカーメス死去。弟のイアフメス1世がテーベの支配者となる。
紀元前1560年代[編集]
- 紀元前1565年以前
- 紀元前1560年頃 - エジプト第15王朝がエジプトから撤退しパレスチナのシャルヘンに退去。
紀元前1550年代[編集]
- 紀元前1551年頃 - エジプトでアメンヘテプ1世が即位。カルナック神殿の造営が始まる。
- 紀元前1550年頃
- ミノア文明の最盛期(新宮殿時代(中期青銅器時代(土器編年LMIA)))。
- ミロス島のフュラコピ、サントリーニ島のアクロティリ、キュティラ島のカストリ、ロードス島のトリアダ、イオニアのミレトスまで勢力拡大。
- 「アガメムノンのマスク(アテネ国立考古学博物館蔵)」が作られる( - 紀元前1500年頃)。
- このマスクは金でできた葬儀用のものであり、ミケーネの城壁内の円形墓群Aの5号墓に埋葬されていた遺体の顔の上に置かれていた。
紀元前1540年代[編集]
- 紀元前1540年頃 - ヒッタイト王ハットゥシリ1世が死去し、孫のムルシリ1世が即位。
- 在位中にムルシリI世はハルペ(現アレッポ)を中心としたアムル人国家ヤムハドを滅ぼす。
紀元前1530年代[編集]
- 紀元前1531年頃 - ヒッタイト王ムルシリ1世がバビロン王サムス・ディタナを倒しバビロニアを攻略。
- ヒッタイトの撤退後のバビロニアにはカッシート人の王朝が成立する(バビロン第3王朝)。
- またバビロニアの混乱でメソポタミア北部のハブル川上流域でフルリ人のミタンニ王国が成立する。
- フルリ人は他にチグリス川流域北東にアラプハ王国を形成した。とりわけヌジ(英語版)遺跡(ヨルガン・テペ)が有名。
- 紀元前1530年頃 - ヒッタイト王ムルシリ1世が義兄弟にあたるハンティリに暗殺される。
紀元前1520年代[編集]
- 紀元前1524年頃 - エジプトでトトメス1世が即位( - 紀元前1518年頃)。
- ミタンニを攻撃して、エジプト王として初めてユーフラテス川を渡り、カルケミシュに記念碑を建てる。
- エル・クルン山麓に「王家の谷」と呼ばれる専用の地下墳墓を作り、以後の王族にもこの墳墓は使用される。
紀元前1500年代[編集]
- 紀元前1500年前後 - ヒッタイト王テリピヌの治世。王位継承の原則などを定めた「テリピヌ法典」をまとめる。
- セケンエンラー - エジプト第17王朝のファラオ(在位前1573年)
- カーメス - エジプト第17王朝のファラオ(在位前1573年 - 前1570年)
- イアフメス1世 - エジプト第18王朝のファラオ(在位前1570年 - 前1546年)
- ラバルナ1世 - ヒッタイト古王国時代初代の王(在位? - 前1565年頃)
- ムルシリ1世 - ヒッタイト古王国時代の王(在位? - 紀元前1530年頃)・バビロン第1王朝を倒す
- 天乙(湯王) - 殷の初代の王(在位前1600年頃)
- 伊尹 - 殷初期の政治家・阿衡として天乙(湯王)を補佐
フィクションのできごと[編集]
- 紀元前1526年 - アトランティス滅亡。初代マスター、クロノスのクリスタルを手に入れるためアトランティスに到達。(ドラマ『ドクター・フー』)
注釈
出典
関連項目[編集]
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