出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "紀元前19世紀" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2023年3月) |
紀元前19世紀(きげんぜんじゅうきゅうせいき)は、西暦による紀元前1900年から紀元前1801年までの100年間を指す世紀。
「マリのライオン像(英語版)」。メソポタミア各地が争うイシン・ラルサ時代にあってマリは安定した国家を営んでいた。このライオン像は紀元前2千年紀初期に作られたもので、現在はパリのルーヴル美術館に所蔵されている。
センウセルト3世。後の歴史家マネトによると2メートルを超す長身の王で、手足も人並み以上の巨躯であったと記されている。強力な指導力を発揮しエジプト第12王朝の繁栄をもたらした。画像は大英博物館所蔵のセンウセルト3世の肖像彫刻。
ミノア文明のカマレス土器。黒地に白・赤・黄色を大胆に用い抽象的な意匠を凝らした土器で、轆轤が使われているため大量生産されたものであり、宮殿と関係した工房の存在が想定されている。
出来事[編集]
紀元前1900年代[編集]
- 紀元前1900-1800年頃
- アナトリアのカニシュ(ネサ(現キュルテペ))にアッシリア系商人のカールム(商業地域)が設置される。
- アッシリア語で書かれた経済文書(「カッパドキア文書・キュルテペ文書」)が多数出土し、銅の交易が盛んであった。
- ミノア文明は古宮殿時代(MMIB期)で轆轤を用いたカマレス土器が出現する。
- 紀元前1900年頃
紀元前1890年代[編集]
紀元前1870年代[編集]
- 紀元前1876年 - 夏王朝によって最古の日食が記録される[1]。
- 紀元前1878年頃 - エジプトでセンウセルト3世が即位( - 紀元前1841年頃)。
- センウセルト3世は行政改革を推進し、州侯の権力を削減して中央集権体制を構築、王朝に繁栄をもたらす。
- エジプト王として地中海東岸地方への最古の軍事作戦を行い、セべクク碑文(英語版)にシェケムを占領したことが記録されている。
紀元前1860年代[編集]
- 紀元前1862年頃 - エシュヌンナ王イピク・アダド2世の即位( - 紀元前1818年頃)。
- この王の時代がエシュヌンナの最盛期。このころまでに「エシュヌンナ法典」が整備される。
紀元前1850年代[編集]
紀元前1840年代[編集]
紀元前1820年代[編集]
- 紀元前1829年 - エジプトとヌビアの戦争( - 紀元前1818年頃)。
紀元前1810年代[編集]
紀元前1800年代[編集]
- センウセルト3世(在位紀元前1878年頃 - 紀元前1841年頃) - エジプト第12王朝の王
- ヤフドゥン・リム(在位紀元前1815年頃 - 紀元前1799年頃) - マリの王
- シャムシ・アダド1世(在位紀元前1813年 - 紀元前1781年) - 古アッシリアの王
関連項目[編集]
ウィキメディア・コモンズには、
紀元前19世紀に関連するカテゴリがあります。