ヨハンネス (西ローマ皇帝)

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ヨハンネス
Iohannes Augustus I
西ローマ皇帝
Solidus Johannes-s4283.png
ヨハンネスが印されたソリドゥス金貨
在位 423年 - 425年

出生 不詳
死去 425年
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ヨハンネス・プリミケリウス(ラテン語:Iohannes Augustus、英語:Joannes、在位:423–425)とは、在位423~425の西ローマ皇帝元老院に認められた西ローマ皇帝であったが、通常、ウァレンティニアヌス3世に対する帝位の簒奪とされる[1]

生涯[編集]

テオドシウス1世の死後、分裂したローマ帝国西ローマ皇帝位に就いたのは、次男のホノリウスであった。最初の西ローマ皇帝であったホノリウスの死(423年8月15日)後、テオドシウス朝東ローマ皇帝であったテオドシウス2世は、叔父であったホノリウスの死を発表することをためらった。しかし、西ローマ帝国の元老院は、ヨハンネスを皇帝に昇格させた。ヨハンネスは皇帝即位の以前はローマの貴族、元老院議員であり、プロコピウスは彼を「穏やかで素晴らしく恵まれており、勇敢な行為を十分に行うことができる」と賞賛した。彼の死まで423年から西ローマ皇帝の座の簒奪者であったヨハンネスは、西ローマ元老院には認められたが、同時代の東ローマ皇帝テオドシウス2世には正式に承認されることはなく、あくまで簒奪者とされていたのであった。

東ローマ帝国のテオドシウス2世は、自身の影響力の及ばないヨハンネスを替えて、自身の従弟で幼いウァレンティニアヌスを西方正帝に据えようと企てた。テオドシウス2世は424年10月23日にウァレンティニアヌスをコンスタンティノポリスで自身の副帝に昇格させると、ゲルマン人の将軍アスパルに命じて西ローマ帝国を襲撃させ、425年7月までにヨハンネスや西ローマ帝国の高官らをアクイレイアで殺害し、ヨハンネスは3年の短い治世を終えた。

後継者はテオドシウス2世によって西方正帝の座に据えられた、同年10月23日に幼いウァレンティニアヌス3世であった。

参考文献[編集]

関連項目[編集]