グリケリウス

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グリケリウス
Glycerius
西ローマ皇帝
Glicerio - MNR Palazzo Massimo.jpg
グリケリウスの刻まれた硬貨
在位 473年3月5日 - 474年

出生 420年
死去 480年
宗教 キリスト教カルケドン派
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グリケリウス(Glycerius, 420年頃 - 480年)は、西ローマ帝国皇帝(在位:473年 - 474年)。最後の政治に意欲的な西ローマ皇帝であり、ブルグント族の支持を得て即位した西ローマ皇帝であった。後に、追放されダルマティアの都市サロナ(現在はクロアチアソリン)の主教に叙任し、グリセウスは神への奉仕に身を捧る身となった。

生涯[編集]

420年頃、グリケリウスはダルマティアで生まれた[1]。出生年月日は不詳である。

472年東ローマ帝国皇帝レオ1世によって、オリブリオス西ローマ皇帝に不本意ながらも据えられ、競争相手を殺害して反対者のないなか帝位に就いた。しかし、彼の治世は短く、472年に崩御した。

その後、レオ1世は西ローマの帝位に相応しい候補者をすぐに見つけることができなかった。この事実は、レオ1世には西ローマ帝国での繋がりが貧弱であった示している。そのため、その後は西ローマ皇帝が並立する事態に陥る。

そんな混乱の中、473年、グリケリウスはブルグント族の力で西ローマ皇帝の位に即位した。当時の西ローマ帝国は皇帝への反逆行為が当たり前となり、西ローマ皇帝への忠誠心は殆ど無くなってしまっていた為、自身を支えていたのは、やはりブルグント族のみであった。治世中の功績には、皇帝がキリスト教を深く信仰し、立法を通してキリスト教に多大なる権限を与え、教会はより多くの義務を負うようになったことや、蛮族を味方につけていたグリケリウスは、蛮族による帝国の侵略の脅威からの脱却にもわずかながら成功するなどしたことである[2]

474年に、東ローマ帝国レオ1世によって西ローマ帝国皇帝に指名されたユリウス・ネポスが討伐軍を率いて進軍してくるとブルグント族は戦闘を拒否し撤退したため一戦も交えず降伏した。追放されダルマティアの都市サロナ(現在はクロアチアソリン)の主教に叙任し、グリケリウスは神への奉仕に身を捧げた。

480年ユリウス・ネポスの殺害に対する陰謀に関ったりもし、同年、サロナの聖職者として死去した。グリケリウスの治世が短いため、政治手腕としての結論を出すのは非常に難しい。しかし、彼が最後の政治に意欲的な西ローマ皇帝であったことは、その立法上の功績により、明白である。

グリケリウスが刻まれたソリドゥス貨[編集]

脚注[編集]

  1. ^ MacGeorge、2002、p272
  2. ^ MacGeorge、2002、p273

関連項目[編集]

外部リンク[編集]