河西回廊

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甘粛省の中央および西側の細長い一帯が河西回廊に相当する

河西回廊(かせいかいろう、河西走廊甘粛走廊)は、チベット高原北西端に接する細長い形の地域の呼称である。前漢がこの地に進出して以降は歴代の中国王朝の治下にあることが多く、中国と西方を結ぶ回廊地帯となっていた。黄河の西にあるためにこの名で呼ばれる。

地理[編集]

東は烏鞘嶺からはじまり、西は玉門関、南北は南山祁連山脈阿爾金山脈)と北山(馬鬃山合黎山および龍首山)の間の長さ約900km、幅数kmから近100kmと不規則な、西北-東南方向に走る狭く長い平地である。地域では甘粛省蘭州と、6,500m級の祁連山脈を水源とする、砂漠河川に潤されるオアシス都市群、「河西四郡:武威(かつての涼州)、張掖甘州)、酒泉粛州)、敦煌瓜州)」を包括する。民族では漢族回族モンゴル族ユグル族チベット族など多くの民族が居住する。

歴史[編集]

月氏匈奴の領域であったが、武帝が武威、張掖、酒泉、敦煌の河西四郡を置いた。以来、内陸の天山山脈崑崙山脈山麓のオアシスルートに連なる重要な通路であり、古代のシルクロードの一部分として、古代中国と西方世界の政治・経済・文化的交流を進めた重要な国際通路であった。