キルデリク1世

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キルデリク1世フランス語: Childéric, ラテン語: Childericus, 440年頃 – 481/2年)はフランク人サリ族メロヴィング朝の王で、フランク族を統一してメロヴィング朝を開いたクロヴィス1世の父である。

生涯[編集]

キルデリクは457年または458年に父メロヴィクスからフランク族サリ支族の王の地位を引き継いだ。遅くとも457年までには彼はトゥルネーリス渓谷を領土としていたフランク族の支配者となった。彼はより南の領土にも権力を持っていたとされているが、史料の記述ははっきりしない。

トゥールのグレゴリウスによれば、フランク族は8年間の追放の後にキルデリク1世を呼び戻したと記録している[1]。グレゴリウスによれば、キルデリクはある時期に国外追放されていたが、その理由はキルデリク1世の私生活にフランク族が不満を抱いたからであるとし、その期間のキルデリクはテューリンゲンのバシン王と彼の妻であるバシナ王妃の元に身を寄せていたとする。一方、年代記作者のフレデガリウスは、キルデリク1世が父メロヴィクスによって呼び戻されるまでの7年間、コンスタンティノープルの皇帝マルキアヌスのもとに滞在していたと伝えている[2]

ランス司教レミギウスによれば、キルデリクはローマ帝国において重要な地位を占めた役人の一人であり、第二ベルギカ州の統治者としてローマの称号によって識別されていた[3]。463年、キルデリク1世はローマ人の将軍アエギディウスと連携し、ロアール川の川岸沿いの彼らの支配の拡大を望む西ゴート族と戦った。アエギディウスの死後、キルデリク1世はアンジェのコメスであったパウルスを支援し、ローマ人とフランク族の連合軍とともに、ゴート族を倒し、戦利品を獲得した[4]。オドアケルの指揮するサクソン部隊がアンジェに到達し占領したが、キルデリク1世とパウルスは469年にその街を再び取り返した[5]。アンジェを解放したキルデリク1世はロアール川の大西洋側の河口の島々までサクソン部隊を追いかけ、そこで彼らを虐殺した。476年から481年の間に、彼とオドアケルはイタリア侵攻を望んでいたアラマンニ人に対する連合軍結成の可能性について話し合った[6]

結婚、子供、死[編集]

トゥールのグレゴリウスは『歴史十巻』(Libri Historiarum)の中で、キルデリクがフランク人の妻たちを誘惑したとして自身の王国から追放された話を記録している。彼は追放を解くための交渉を友人に依頼し、その間テューリンゲンのバシン王と彼の妻であるバシナ王妃の元に身を寄せた。キルデリクと友人は一枚の金貨を分割して所持していた。8年後、追放が解かれたとの報せが金貨の片割れと共に届いたことにより、キルデリクは報せが正しいことを確信し、自身の王国に戻った。その頃、バシナは王と離縁した。キルデリクは後を追ってきたバシナに告白され、2人は結婚した[7][8]

キルデリク1世はテューリンゲンのバシナと結婚し、以下の子供を儲けた。

キルデリク1世は481年または482年に死亡し、トゥルネーに埋葬された[6][9]。彼の息子であるクロヴィスがフランク人の王の地位を継承した[10]

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金のハチ

キルデリク1世の墓は1653年にベルギー、トゥルネーの12世紀の聖ブリス教会からさほど遠くないところで発見された[11][12]。金やガーネットのクロワゾネ、金貨、金でできた雄牛の頭、帝国の行政文書を認証するための印璽、王の名前が彫られた指輪を含む多くの貴重な品々が発見された。およそ300の金でできた蜂またはセミも王のマントの上に置かれた状態で発見された[11]。さらにはローマ帝国に無かった馬の蹄鉄までもが出土している[13]。出土した金貨の大部分はコンスタンティノープル由来のものであり、それはキルデリク1世と東ローマ帝国との強い結びつきを想起させた[14]南ネーデルラント総督であったレオポルト・ヴィルヘルム大公は、この発見をラテン語で出版させた。宝物はまずウィーンのハプスブルク家にわたり、次にルイ14世に贈られた。彼は宝物に感銘をうけず、それを王室の図書館(革命中にフランス国立図書館になった)に保管した。ナポレオンはよりキルデリクの蜂に感銘を受け、ブルボン家のフルール・ド・リスの紋章に勝るシンボルを探していた彼は、フランス帝国のシンボルとしてキルデリクの蜂を設定した。1831年9月5日から6日にかけての夜に図書館から約80キロ分のキルデリクの宝が盗まれ、溶かして金にされた。2体の蜂を含むいくつかの宝物はセーヌの隠れ家で発見され回収された。しかし現在、宝物の記録は発見された当時に作られた素晴らしい版画と、ハプスブルク家のために作られたレプリカとしてのみ存在する。

脚注[編集]

  1. ^ Wallace-Hadrill Long-Haired Kings pp. 158 - 161
  2. ^ ルネ・ミュソ=グラール『クローヴィス』加納修訳、白水社、2000年、pp.26-32。
  3. ^ レジーヌル・ジャン『メロヴィング朝』加納修訳、白水社、2009年、pp.14-17。
  4. ^ Heather Fall of the Roman Empire p. 416
  5. ^ Collins Early Medieval Europe p. 103
  6. ^ a b Collins Early Medieval Europe pp. 112 - 113
  7. ^ トゥールのグレゴリウス著、杉本正俊訳、『フランク史―一〇巻の歴史』第2巻 一二
  8. ^ Gregory of Tours (c. 538-594 A.D.). “Historiae, Libri X” (Latin). The Latin Library. 2017年7月9日閲覧。
  9. ^ Wallace-Hadrill Long-Haired Kings p. 3
  10. ^ Wickham Inheritance of Rome p. 112
  11. ^ a b Wallace-Hadrill Long-Haired Kings p. 162
  12. ^ Location of Childeric's grave: A plaque at the site reads (in French): "Childeric King of the Franks Died in his palace in Tournai the year 481. His tomb was found in this place in the year 1653"”. Archaeology in Europe. 2015年12月9日閲覧。
  13. ^ 蹄鐵工沿革調 中央獸醫會雑誌 Vol.43 (1930) No. 11, pp.919-921.
  14. ^ レジーヌル・ジャン『メロヴィング朝』加納修訳、白水社、2009年、pp.32-36。

参考文献[編集]

  • Collins, Roger (1999). Early Medieval Europe: 300–1000 (Second ed.). New York: St. Martin's Press. ISBN 0-312-21886-9. 
  • Heather, Peter (2006). The Fall of the Roman Empire: A New History of Rome and the Barbarians. Oxford, UK: Oxford University Press. ISBN 978-0-19-532541-6. 
  • Wallace-Hadrill, J. M. (1982). The Long-Haired Kings. Toronto: University of Toronto Press. ISBN 0-8020-6500-7. 
  • Wickham, Chris (2009). The Inheritance of Rome: Illuminating the Dark Ages 400–1000. New York: Penguin Books. ISBN 978-0-14-311742-1. 

関連項目[編集]

先代:
メロヴィクス
サリ・フランク族の王
440年 – 481年
次代:
クロヴィス1世