コプト正教会

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CopticCross.jpg

コプト正教会(コプトせいきょうかい、コプト語Ϯⲉⲕ'ⲕⲗⲏⲥⲓⲁ 'ⲛⲣⲉⲙ'ⲛⲭⲏⲙⲓ 'ⲛⲟⲣⲑⲟⲇⲟⲝⲟⲥ英語:Coptic Christianity、Coptic Orthodox Church)は、キリスト教非カルケドン派東方諸教会)の一つで、エジプトで発展した。北アフリカイスラム化した後もエジプトに暮らすキリスト教徒コプト)の教会。コプト教会とも。

なお、カトリック・コプト教会東方典礼カトリック教会であって別の組織である。

概要[編集]

ニカイア・コンスタンティノポリス信条を告白し、マリア神の母として崇敬する。『マタイによる福音書』に聖家族のエジプト逃避の記事があることから、コプト教会におけるマリア崇敬は極めて盛んである。

教義についての他教派との関係[編集]

単性論を採ると言われることがあるが、コプト正教会は自身の教説が単性論と見なされるのを拒絶しており、「単性論教会」を自称しない。カルケドン公会議(第四全地公会議)を承認しないことで分離した教会であるため、より中立的な呼び名・分類としては非カルケドン派がある。相互領聖関係(=教派間において、主の晩餐におけるパンとぶどう酒を互いに領食することを認めること)については、同じく非カルケドン派であるアルメニア使徒教会シリア正教会エチオピア正教会との間でフル・コミュニオン(完全相互領聖)の関係にある。ギリシャ系の正教会など他のカルケドン諸派の正教会との間においては今のところ相互領聖は認められていないが、ここ近年の関係は改善しつつあると言われている。

歴史[編集]

沿革[編集]

伝承では1世紀(42年頃)にマルコがエジプト(アレクサンドリア)に立てた教会(アレクサンドリア教会)である。451年カルケドン公会議の後、カルケドン派(現在のキリスト教多数派)から分かれた。カルケドン公会議に端を発するカルケドン派と非カルケドン派の対立は次第に深刻さを増し、6世紀後半には非カルケドン派の分離教会がシリアやエジプトで相次いで設立された。[1]619年、ペルシアに支配される。 639年、アラブに支配される。 1321年ほとんどの教会や修道院が焼き討ちにあい、イスラーム教への改宗を迫られ、信徒数は減少。 19世紀、エジプト占領のイギリス支配下となり、宗教的自由がもたらされる。 [2]

キリスト教としての信仰の確立の歴史[編集]

イエスの復活信仰の確立・ナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰の確立・主イエス・キリスト信仰の確立・終末信仰の確立については、キリスト教#歴史を参照

聖書は神の言葉という信仰の確立[編集]

聖書は神の言葉という信仰の確立については、旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史を参照

組織[編集]

教会の代表者はアレクサンドリア教皇並びに聖マルコ大主教管区総主教(コプト教皇)である(但しアレクサンドリア総主教などは、コプト教だけではなく東方正教会などの教派ごとに存在する)。2012年3月17日、教皇であったシェヌーダ3世が死去。2012年11月4日、第118代教皇にタワドロス主教がタワドロス2世として選出された。

シェヌーダ3世:コプト正教会の教皇アレクサンドリア総主教
コプト正教会非カルケドン派)の現アレクサンドリア総主教タワドロス2世
アスワン(エジプト)にある、コプト正教会の聖ミカエル大聖堂の内観。正面に見えるのは東方正教会とほとんど同様のイコノスタシス
ドイツに在るコプト正教会の聖堂

信者数[編集]

現在、エジプト・エチオピア及びエリトリアアメリカオーストラリアを中心に、総計5千万人のコプト系キリスト教徒がいる。エジプトにおけるコプト正教会信者の割合は、統計上5%であるが、実数は1割であるともいわれる。1959年にエチオピア正教会が分離したが[3]、教理上の違いはない。  

教義[編集]

童貞女マリヤより生まれたイイススハリストス(イエスキリスト)[編集]

  • ナザレのイエスは、処女マリアから生まれた、と信じる。聖書に書いてある通りである。

ナザレのイイスス(イエス)は死んだけれども、よみがえった[編集]

  • 罪がないナザレのイエスは死刑になったが、死んでから三日たってからまた生き返った、と信じる。聖書に書いてある通りである。

ナザレのイイスス(イエス)は天に昇って行ってから、神の右に座った[編集]

  • ナザレのイエスはみんなの見ている前で、天に昇って行った、と信じる。聖書に書いてある通りである。
  • ナザレのイエスは再び天から降りてきて、最後の審判の時に、今現在生きている者と、すでに死んだ者とをさばくと信じる。
  • すでに死んだ人でも生き返ると信じる。イエスを救い主と信じる人は、神の国が到来したら、新しい命がもらえると信じる。

聖書は神の言葉だと信じる[編集]

指導者が聖神(聖霊)に満たされて語る言葉は、神の言葉とされているので、聖神に満たされて書かれた聖書は、神の言葉である。[4]

生神女マリヤは神の母である[編集]

マリアは神を生んだ母親として聖人であるとされる。

活動[編集]

日本国内における活動[編集]

2004年から『聖ジョージ日本コプト正教会』が日本での礼拝を行っている。教会管区はオーストラリアのシドニー司教区に属する。日本におけるコプト信者は少人数。エジプト人、スーダン人、エチオピア人のコプト信者が留学で来日している。その他、仕事や結婚で来ているエジプト人コプト信者が日本にいる。また、エジプトにて信仰を知り、入信した日本人信者もいる。

2016年、京都府木津川市の旧カリスチャペル京阪奈の会堂を譲り受け、聖母マリア・聖マルココプト正教会が開設され[5]2017年には初めての入信者が洗礼を受けた[6]。2017年8月末には、コプト正教会教皇として初めてタワドロス2世が訪日[7][8]。聖母マリア・聖マルココプト正教会で礼拝を行ったほか、29日には河野太郎外務大臣と会見を行った[9]日本キリスト教連合会に加盟している。

イスラム教との関係[編集]

エジプトは憲法で信教の自由を保障しており、基本的にはムスリムとコプトの間で差別はないことになっている。エジプトの大ムフティー(高位のイスラム法学者、指導者)であったアリー・ゴマアは、「イスラム教徒は自由に改宗することができる」とするファトワ(宗教令)を2007年に出している。これを根拠としてイスラームからコプトへ改宗する者がわずかながらも出てきている。しかし、少数派という現実と、ファトワがあるとはいえイスラームからコプトへの改宗は不可能ともいえるほど難しく[10]、事実上コプトからムスリムへの改宗のみが容認されていることから、ズィンミー制度の残滓に基づく差別ではないかと国内のコプト教徒を中心に批判を浴びている。

エジプトにおける事件[編集]

ハーリド・サイード事件[編集]

アレクサンドリア在住のハーリド・サイードは、2010年6月6日午後11時過ぎ、自宅近くのインターネットカフェにいたところを突然2人の私服警官に取り押さえられ、殴るけるの暴行を受けた。集まった群衆の中にいた医師がハーリドの死亡を確認。

警官の暴行によってあごを割られ、後頭部から出血したことが死因であると遺族は主張。12日、エジプト内務省は「強盗容疑などで指名手配中」というハーリドを地元警察の捜査員が発見し逮捕しようとしたが、麻薬入りの袋を飲み込み窒息死したとした上で、「自殺」と断定した。これに対して地元メディアが「当局の人権弾圧の象徴」として大々的に報道したことに加え、地元NGOや国際人権団体アムネスティ・インターナショナルも徹底調査を要請。これを受けて、検察当局は遺体解剖の手続をとるなど、再捜査を開始した[11]

コプト教会爆破事件[編集]

2011年1月1日、アレクサンドリアの教会前で自動車に仕掛けられた爆弾が爆発し、教会と付近のモスクが激しく損傷を受けた。この爆発で少なくとも21人が死亡、79人が負傷。負傷者8人にはムスリムも含まれている[12][13]

この事件に対し、当日にはアレクサンドリアで、翌日2日にはカイロで、コプト教徒が抗議デモを行い、参加者の一部は暴徒化した。弔問に訪れてシェヌーダ3世と会談したオスマーン・ムハンマド・オスマーン経済開発相らが乗った乗用車にも投石が行われたほか、暴徒化した1,000人ほどが現地警察機動隊と衝突し、投石が行われた。警察官40人ほどが軽傷を負ったと報道されている[13]

1月2日には、犠牲者を悼む礼拝がアレクサンドリアの教会で行われた。このとき教会前で爆発事件に対する抗議デモを行っていた数百名が警察に排除され、近くのゴミ箱に火をつけるなどの騒ぎがあった[13]。捜査当局は約20人を拘束して取調べを行っているが、1月2日の段階で事件への直接的関与を示す証拠は出ていない[13]ホスニー・ムバーラク大統領は、今回の事件に外国人が関与していることを述べ、内務相はアルカーイダなど外国のイスラム系武装勢力が関与している蓋然性を示唆している[13]

エジプトのメディアは、エジプト国内のムスリムとキリスト教徒が衝突が拡大すれば宗教的内戦の危険があると懸念し、エジプト人口8,000万人のうち約1割を占めているコプト教会信徒が少数派として差別されていると訴えている現状につき、政府は改善を行うべきであると提言している[13]

著名な信者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 貝原哲夫 (2011). “6-7世紀中部エジプトにおける宗教対立” (PDF). オリエント (日本オリエント学会) (54): 76. https://doi.org/10.5356/jorient.54.75. 
  2. ^ 岩波キリスト教辞典2002年P404 コプト教会の項目 伊藤恵子
  3. ^ Religion and the Cold War: A Global Perspective. Vanderbilt University Press. (2012). p. 139. ISBN 978-0826518521 
  4. ^ なお、聖書が神の言葉として成立した経緯については旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史を参照
  5. ^ 日本にあるコプト正教会”. www.japancopticchurch.org. 聖母マリア・聖マルコ日本コプト正教会. 2019年4月16日閲覧。
  6. ^ 聖母マリア・聖マルコ日本コプト正教会
  7. ^ コプト正教会最高位・教皇が初めて来日”. 中外日報 2017年8月29日. 2017年9月4日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2017年9月4日閲覧。
  8. ^ 【速報】 アレキサンドリア教皇タワドロス2世が来日 京都で礼拝と記者会見” (日本語). キリスト新聞社ホームページ (2017年8月27日). 2019年4月16日閲覧。
  9. ^ 【報道発表】河野外務大臣とタワドロス2世・コプト教皇との会談” (日本語). 外務省. 2019年4月16日閲覧。
  10. ^ 改宗は長くつらい道のり、エジプトのあるキリスト教徒の苦闘AFPBB News、2008年09月13日 22:11)
  11. ^ エジプト:青年の死が波紋…警察の暴力か逮捕時の事故か[リンク切れ]
  12. ^ 教会で自動車爆弾が爆発、21人死亡 エジプト (AFPBB News 2011年01月01日 17:37 発信地:カイロ/エジプト) (日本語)
  13. ^ a b c d e f コプト教会爆破事件、抗議デモが一部暴徒化 エジプト(AFPBB News 2011年01月03日 20:19 発信地:カイロ/エジプト) (日本語)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]