因縁

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因縁(いんねん、: hetu-pratyaya)とは、仏教においてのこと[1][2]縁因ともいう[3]結果を生じさせる内的な直接の原因が因であり、外からそれを助ける間接の原因が縁である[1]

仏教用語でない語義としては、次の3つがある[4]。(1)きっかけ、動機、しかるべき理由。(2)由来、来歴。(3)ゆかり、関係、縁。

仏教における因縁[編集]

一切の存在は、因縁によって生じ、因縁によって滅する[1]。因縁によって生滅するという道理を因縁生滅の理といい、因縁によって生じることを因縁生縁生縁成縁起などという[1]。因縁によって生滅する一切のはそのままなる存在であるという道理を因縁即空の理という[1]

初期の仏教では因(hetu)も縁(pratyaya)も、ともに原因を意味する言葉であり、後に区分が生じて因を原因、縁を条件、とみなした[要出典]

仏教では、修行による成仏を前提としており、

  • 宿作因説 - 因や果を固定したり、創造神の力を因としたり、外在的・宿命的な力を因とする説
  • 無因有果説 - 因なく最初から果があったとする宿命論的な主張
  • 無因縁説 - 原因は有り得ないという説

に対してきびしい批判を行った[要出典]

龍樹は、『中論』観因縁品で、無自性の立場からこれらの外部の説と、説一切有部の四縁六因説を批判し、四諦品で因縁によって生じる諸法は空であり、条件が変われば、変化すると説いている[要出典]

新宗教・霊能者の解釈[編集]

一部の新宗教霊能者による因縁は、本人や先祖・土地・所属する組織などの長年にわたって蓄積された「業」のマイナスの部分、つまり悪業や悪因縁といった悪い事象の一面だけを指したり、強調する場合がある。

悪因縁は、人の不幸や数々の事件・事故・病気などの原因とされ、悪因縁は切るべきもの、とされることもある。 信者は、それを指摘した教団または霊能者などの指導を受け、 浄霊祈祷修行を受け続けながら、徳を積む。そのことによって悪因縁が切れる、とされる場合もある。 因縁は、心霊的・オカルト的に拡大解釈されることがある。また、反社会的な教団や霊能者と自称する人物に、しばしば利用される。

これに対し、法華系などの一部の新宗教団体では霊魂を否定する。因縁とはもともと具わっていて、変えることができないものであるから「因縁を切る」というのは誤った解釈だと批判する。しかし逆にそれらの教団でも、題目を唱えることで悪因縁を浄化する、あるいは宿命を転換させる、などということもある。

以上のように、因縁や業の解釈は、既成宗派や宗教学者、あるいは新宗教や霊能者個人によっても様々で、教義解釈の違いや誤解による他教団の批判も含まれるため、それらの点に注意する必要がある。

慣用句[編集]

因縁をつける
主に無法者が用いる「言いがかりをつける」こと。まったく無関係のものに関係性を理由づけて、みずからの主張を述べ立てること。
因縁話(いんねんばなし)
前世の因縁を説く物語。近い話であった場合には、いきさつが複雑に絡み合った場合に用いる。
因縁尽(いんねんずく)
逃れられない条件が重なっていること。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 総合仏教大辞典編集委員会(編) 『総合仏教大辞典』上巻、法蔵館、1988年1月、70頁。
  2. ^ 中村元(監修)『新・佛教辞典』 誠信書房[要追加記述]
  3. ^ 中村元 『広説仏教語大辞典』上巻、東京書籍、2001年6月、136頁。
  4. ^ 新村出(編) 『広辞苑』 岩波書店、1986年10月、第三版、185頁。

関連項目[編集]