上座部仏教

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仏教の主要な3つの分類を表した図、赤色が上座部仏教。
シュエダゴン・パゴダ(ミャンマー)
アショーカ王と師の目犍連帝須(もくけんれんたいしゅ)僧
スリランカの仏像(5世紀)
若いビルマの僧

上座部仏教(じょうざぶぶっきょう、: Theravāda: Sthaviravāda: เถรวาท, thěeráwâat: Theravada Buddhism)は、仏教の分類のひとつ。上座仏教テーラワーダ仏教テーラヴァーダ仏教南伝仏教小乗仏教[1]とも呼ばれる。

概要[編集]

仏教を二つに大別すると、スリランカタイミャンマーカンボジアラオス等の地域に伝わった南伝の上座部仏教と、中国チベットベトナム朝鮮日本等の地域に伝わった北伝の大乗仏教に分類される。初期仏教教団の根本分裂によって生じた上座部大衆部のうち、上座部系の分別説部の流れを汲んでいると言われるものが、現在の上座部仏教である。ただし分別説部は分岐に諸説あって、上座部の異端として扱われたり、そもそも上座部系ではないという指摘もある。また代表的な部派仏教とされる北伝20部派や南伝18部派には含まれない。

歴史[編集]

釈迦生前の仏教においては、出家者に対する戒律は多岐にわたって定められていたが、釈迦の死後、仏教が伝播すると当初の戒律を守ることが難しい地域などが発生した。仏教がインド北部に伝播すると、食慣習の違いから、正午以前に托鉢を済ませることが困難であった。午前中に托鉢・食事を済ませることは戒律の一つであったが、正午以降に昼食を取るものや、金銭を受け取って食べ物を買い正午までに昼食を済ませる出家者が現れた。戒律の変更に関して、釈迦は生前、重要でない戒律はサンガの同意によって改めることを許していたが、どの戒律を変更可能な戒律として認定するかという点や、戒律の解釈について意見が分かれた。また、その他幾つかの戒律についても、変更を支持する者と反対する者にわかれた。この問題を収拾するために、会議(結集第二結集)が持たれ、この時点では議題に上った問題に関して戒律の変更を認めない(金銭の授受等の議題に上った案件は戒律違反との)決定がなされたが、あくまで戒律の修正を支持するグループによって大衆部(現在の大乗仏教を含む)が発生した。大衆部と、戒律遵守の上座部との根本分裂を経て枝葉分裂が起こり、部派仏教の時代に入ることとなった。厳密ではないが、おおよそ戒律遵守を支持したグループが現在の上座部仏教に相当する。

その後、部派仏教の時代には、上座部からさらに分派した説一切有部が大きな勢力を誇った。新興の大乗仏教が主な論敵としたのはこの説一切有部である。大乗仏教側は説一切有部を論難するに際して、(自己の修行により自己一人のみが救われる)小乗(ヒーナヤーナ、Hīnayāna)仏教(しょうじょうぶっきょう)と呼んだとされる。大乗仏教は北インドから東アジアに広がった。

上座部仏教はマウリア朝アショーカ王の時代にインドから主に南方のスリランカセイロン島)、ミャンマータイなど東南アジア方面に伝播した。南伝仏教という呼称はこの背景に由来する。現在では、スリランカ、タイ、ミャンマーラオスカンボジアの各国で多数宗教を占める。またベトナム南部に多くの信徒を抱え、インド、バングラデシュマレーシアインドネシアにも少数派のコミュニティが存在する。

アジアの上座部仏教圏のほとんどは西欧列強植民地支配を受けた。宗主国で、支配地の文化研究が植民地政策の補助として奨励されたため、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教の経典・教典の文献学的研究はイギリス(スリランカとミャンマーの旧宗主国)を中心に欧州で早くから進んだ。ロンドンパーリ・テキスト協会から刊行されたパーリ三蔵(PTS版)は過去の仏教研究者のもっとも重要な地位を占めた。その後イギリスは植民地の宗主国としての地位を喪失し、大学でも日本のようなインド哲学科が設置されることはなく、サンスクリット語研究はオックスフォード大学で細々と行われている。一方で欧米人の中から上座部仏教の比丘になる者や、またスリランカでは大学を卒業し英語の堪能なスリランカ出身の比丘が中心となり(公用語はシンハラ語タミル語。連結語として英語も憲法上認められている)、大学という枠組みの外でパーリ三蔵の翻訳が活発である。

一方で、イギリスの旧植民地のスリランカやビルマ、タイから移民や難民がアングロサクソン系のイギリス、カナダ、アメリカ、オーストラリアに大規模に流入した関係で、欧米への布教伝道も旺盛に行われている。欧米にはチベット密教系や東アジアの禅宗系と並んで、あるいはそれ以上に数多くの、上座部仏教の寺院団体がある。

特徴[編集]

上座部仏教では具足戒(出家者の戒律)を守る比丘・僧伽(サンガ(教団))と彼らを支える在家信徒の努力によって初期仏教教団、つまり釈迦の教えを純粋な形で保存してきたとされる。しかし、各部派の異同を等価に捉え、漢訳・チベット語訳三蔵に記録された部派仏教の教えや、さらに近年パキスタンで発見された部派仏教系の教典と上座部のパーリ教典を比較研究する仏教学者の立場からは、上座部は部派仏教時代の教義と実践を現在に伝える唯一の宗派であると評価されるに留まる。

大乗仏教では後代の仏説ごとに仏典が作られたが、上座部仏教では同一の内容をシンハラ文字など各民族の文字によって記したパーリ三蔵が継承されている。上座部仏教の仏典は「読む」書物というよりも「詠む」書物であり、声を介して仏典を身体に留める伝統が培われた[2]。仏典の継承は口授によって行われるため、戒法の継承は文字経典を求めるより戒や教説を体得した僧侶を招く形で行われる[2]

教義では、次のようにされている。限りない輪廻を繰り返す生は「苦しみ (dukkha)」である。この苦しみの原因は、無明[3]によって生じる執着である。そして、無明を断ち輪廻から解脱するための最も効果的な方法は、戒律の厳守、瞑想の修行による八正道の実践であるとする。上座部仏教では、釈迦によって定められた戒律と教え、悟りへ至る智慧慈悲の実践を純粋に守り伝える姿勢を根幹に据えてきた。古代インドの俗語起源のパーリ語で記録された共通の三蔵 (tipitaka) に依拠し、教義面でもスリランカ大寺派の系統に統一されている点など、大乗仏教の多様性と比して特徴的である。

出家者と在家信者の関係は、衆生の無知蒙昧を上から啓蒙するといった、上から下への一方的な関係ではない。自力救済を目指し修行する出家者とは、在家者にとっては自分になり変わって悪行を避ける営みに専念する存在である[2]。俗世の損得で言えば無用な存在ながら、脱俗し悪行を避けて生きる出家者を肯定し布施することで在家者は功徳を積む。

比丘尼の僧伽(サンガ)の不在[編集]

上座部においては古代スリランカにおける戦乱の時代に比丘と比丘尼(尼僧)僧伽(サンガ)が両方とも滅亡した。比丘の僧伽はビルマに伝播していたために復興がかなったが、比丘尼の僧伽はこれによって消滅となった。だが近年、台湾に残存する、中国仏教の比丘尼の伝統を使って上座部の比丘尼の僧伽の復興がはかられているが、その正統性は、上座部が大乗を異端とみなしているということもあいまって教義的に問題視されている。教義に抵触しない形での女性の出家形態として、タイではメーチー (mae chi)、ミャンマーではティラシン (thila shin) と呼ばれている、正式な比丘尼とは看做されないものの、実質的には尼僧としての出家生活を営む女性たちがいる。

日本との関係[編集]

中国仏教では部派仏教全体を指して小乗仏教と呼び、日本もそれを受け継いだが、「小乗」とは「大乗」に対して「劣った教え」という意味でつけられた蔑称であり、上座部仏教側が自称することはない。世界仏教徒の交流が深まった近代以降には相互尊重の立場から批判が強まり、徐々に使われなくなった。1950年6月、世界仏教徒連盟の主催する第一回世界仏教徒会議がコロンボで開催された際、小乗仏教という呼称は使わないことが決議されている。

仏教伝来以来、長く大乗相応の地とされてきた日本では、明治時代にスリランカに留学した日本人僧である釈興然(グナラタナ)によって、上座部仏教の移植が試みられた。また日本は明治以降欧米に留学した仏教学者によって、北伝仏教の国としてはもっとも早く『パーリ仏典』の翻訳(「南伝大蔵経」)と研究が進められた国である。しかし伝統的な仏教勢力が大勢を占めるなかで、上座部仏教の社会的認知度は低かった。

上座部仏教に由来する瞑想法である現代ヴィパッサナー瞑想が1970年代頃から世界的に広まったが、この時期には日本では普及しなかった。1990年代からアルボムッレ・スマナサーラの布教活動を中心にして上座部仏教は、ヴィパッサナー瞑想とともに日本に浸透しつつある。現在はタイ、ミャンマー、スリランカ出身の僧侶を中心とした複数の寺院や団体を通じて布教伝道活動がなされているほか、戒壇が作られたこともあって日本人出家者(比丘)も誕生している。

画像集[編集]

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 「小乗」は「ヒーナ(劣った、卑しい)ヤーナ(乗り物)」の翻訳であり大乗仏教側から見た差別的意味を含む。
  2. ^ a b c 南直人編『宗教と食』<食の文化フォーラム> ドメス出版 2014年 ISBN 9784810708110 pp.155-176.
  3. ^ 法を理解しないこと、すなわち四諦十二縁起などに対する無知。(ウ・ウェープッラ、戸田忠『アビダンマッタサンガハ[新装版]』、p.234、中山書房仏書林、2013年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]