サラスヴァティー

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サラスヴァティー(ラヴィ・ヴァルマ/画)

サラスヴァティーサンスクリット語: सरस्वती, Sarasvatī)は、芸術学問などの知を司るヒンドゥー教女神である。

日本では七福神の一柱、弁才天(弁財天)として親しまれており、仏教伝来時に『金光明経』を通じて中国から伝えられた。

容姿[編集]

肌は真っ白く透き通り、額は三日月を付け[1]、常に白い衣を纏っている。4本の腕を持ち、2本の腕には数珠ヴェーダ経典)、もう1組の腕にヴィーナと呼ばれる琵琶に似た弦楽器を持ち、白鳥またはクジャクの上、あるいは白い蓮華の上に座る姿として描かれる。白鳥・クジャクはサラスヴァティーの乗り物である。

神話[編集]

ヒンドゥー教の創造の神ブラフマーの妻(配偶神)である。そもそもはブラフマーが自らの体からサラスヴァティーを造り出したが、そのあまりの美しさのため妻に娶ろうとした。空中に逃れるサラスヴァティーを常に見ようとしたブラフマーは自らの前後左右の四方に顔を作りだした。さらに、その上に5つ目の顔(後にシヴァに切り落とされる)ができた時、その求婚から逃れられないと観念したサラスヴァティーは、ブラフマーと結婚し、その間に人類の始祖マヌが誕生した[2]

また、元々はヴィシュヌの妻であり、後にブラフマーの妻になったという異説もある。ヴィシュヌ派の伝承として、ヴィシュヌはサラスヴァティー、ラクシュミーガンガーという三人の妻を持っていたが、三人の間で争いが絶えなかったので、ヴィシュヌはサラスヴァティーをブラフマーに、ガンガーをシヴァに与え、自らはラクシュミーを妻にした[3][4]

サラスヴァティーはあまり良い妻ではなく、プライドが高く、高慢とされている。ブラフマーが神々の集会である「犠牲祭」を執り行ったが、サラスヴァティーは化粧中なので、祭りの場に来なかった。化粧が終わりまで待ってと夫に返事した。それを激怒したブラフマーはガーヤトリーを新しい妃に迎えて祭りを行った。このことを聞いたサラスヴァティーは激怒し、祭りの場に到着し、ブラフマーの「犠牲祭」は1年に1度しか行えないという呪いを掛けた。

神性[編集]

サラスヴァティーは水辺に描かれる。サンスクリットでサラスヴァティーとは「水を有する者」・「水に富む者」・「優美なる者」という意味[5]があり、水と豊穣の女神であるともされている。インドの最も古い聖典『リグ・ヴェーダ』において、初めは聖なる川、サラスヴァティー川(その実体については諸説ある)の化身であった。流れる川が転じて、流れるもの全て(言葉・弁舌や知識、音楽など)の女神となった。言葉の神、ヴァーチと同一視され、サンスクリットとそれを書き記すためのデーヴァナーガリー文字を創造したとされる。後には、ブラフマーの妃となり、あるいはインドラの妃となって神々の女王となり、世界を創造する神として崇められた[6]。または、韻律・讃歌の女神であるガーヤトリーと同一視されることになった。

信仰[編集]

サラスヴァティーはゾロアスター教アナーヒターと同起源と推定される。アナーヒターには、ハラフワティー・アルドウィー・スーラー(Harahvatī Arədvī Sūrā)という別名があり、ハラフワティーは言語学的にはサラスヴァティーのペルシア語読みとされるためである。これは偶然の一致ではなく、インド・イラン共通時代から信仰されていた女神が民族の分裂とともに2つに分かれたものではないかとされている。

サラスヴァティーを扱った画像[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 女神事典制作委員会『萌え萌え女神事典イーグルパブリシング、第96頁。
  2. ^ 松村一男/監修『知っておきたい 世界と日本の神々』(西東社、2007年)第241頁。
  3. ^ 森豊『壁画の美女』(六興出版、1975年)第129頁。
  4. ^ 渡辺照宏/清水善三『仏像百態』(淡交新社、1964年)[要ページ番号]
  5. ^ 前田行貴『インド再発見:日本に生きるインドの古代文化』(フジタ、1988年)[要ページ番号]
  6. ^ 『三輪流神道の研究:大神神社の神佛習合文化』(大神神社社務所/史料編修委員会、‎1983年)第61頁。

関連項目[編集]