アートマン

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アートマンआत्मन् Ātman)は、ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。真我とも訳される。

ヒンドゥー教では世俗的な我意識のみを否定してニラートマン(nirātman、無我)といい、自我意識(ahaṅkāra)のない純粋な実体としての真我(paramātman)を否定しないが[要出典]、仏教は、永遠に存続し・自主独立して存在し・中心的な所有主として全てを支配するような我の存在を否定して無我説を立てた[1]

語源[編集]

: ātmanの本来の語義は「呼吸」であったが、そこから転じて、生命自己身体自我、自我の本質、物一般の本質自性、全てのものの根源に内在して個体を支配し統一する独立の永遠的な主体などを意味する[1]

最も内側 (Inner most) を意味する サンスクリット語の Atma(アートマ)を語源としており、アートマンは個の中心にあり認識をするものである。それは、知るものと知られるものの二元性を越えているので、アートマン自身は認識の対象にはならないといわれる。

ブラーフマナ[編集]

アートマンの語はリグ・ヴェーダ以来用いられた[1]シャタパタ・ブラーフマナでは、言語、視力、聴力などの生命現象はアートマンを基礎としアートマンによって統一されているとされ、またアートマンは造物主(Prajāpati)と全く同一ともされた[1]

ウパニシャッド[編集]

ウパニシャッドの時代には、アートマンが宇宙を創造したと説かれた[1]。また、アートマンは個人我(小我)であるとともに宇宙の中心原理(大我)であるともされた[1]ブラフマン(宇宙原理、: brahman)とアートマンが一体になることを求めたり、ブラフマンとアートマンが同一である(梵我一如)とされたり、真の実在はアートマンのみであって他は幻(: māyā、マーヤー)であるとされた[1]


初期のウパニシャッドである『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』では、「…でない」によってのみ、アートマンが定義されるという。その属性を「…である」と定義することはできないという。したがって、「…である」ものではない。

また、アートマンは、宇宙の根源原理であるブラフマンと同一であるとされる(梵我一如)。

ウパニシャッドではアートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。

仏教における解釈[編集]

釈迦によれば「」は存在しないとされるため、仏教においてアートマンの用語は一般的ではないと思われる。無我を知ることが悟りの道に含まれる。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g 総合仏教大辞典編集委員会(編) 『総合仏教大辞典』上巻、法蔵館、1988年1月、158-159頁。

関連項目[編集]