リシャバ

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リシャバ座像

リシャバサンスクリット語: ऋषभ Ṛṣabha)は、ジャイナ教の24人のティールタンカラのうちの最初のひとりで、アーディナータĀdinātha 「最初の主」を意味する)の名でも呼ばれる。

リシャバナタ(チャバデバ、リシャバデバ、またはチャバ)は、ジャイナ教の最初のティルタンカラ(フォードメーカー)です。彼はジャイナ宇宙論における現在の半サイクルの24人の教師のうちの最初の教師であり、彼の教えは永遠の復活と死の海を越えて人を助けたので「フォードメーカー」と呼んだ(saṃsāra)。ジャイナ教の伝説は、彼が数百万年前に住んでいたと描写しています。彼はまた、「First(Adi)Lord(nātha)」、Adishvara(first ishvara)、Yugadideva(yugaのdeva)、Prathamaraja(first king)、Nabheya(Nabhiの息子)に翻訳されるtransdināthaとしても知られています。リシャバナタは、マハビラ、パルシュヴァナータ、ネミナータとともに、ジャイナ教徒の間で最も信心深い崇拝を集める4つのティルタンカラの1つです。

ジャイナの伝統的な説明によると、彼は北インドの都市、アヨディヤでビニタとも呼ばれるナビ王とマルデビ王妃に生まれました。彼にはスナンダとスマンガラの2人の妻がいました。スマンガラは、彼の99人の息子(バラタを含む)の母であり、1人の娘のブラフミであると説明されています。スンダは、バフバリとスンダリの母として描かれています。インドラのダンサーの一人であるニランジャナの突然の死は、彼に世界の一時的な性質を思い出させ、彼は放棄の欲求を発達させました。

彼の放棄後、ジャイナ教の伝説によれば、リシャバナタは1年間食べ物なしでさまよった。彼が最初のアハラ(食べ物)を手にした日は、ジャインズによってAkshaya Tritiyaとして祝われます。彼はアスタパダ山(カイラシュ)でモクシャに到達しました。 JinasenaによるテキストAdi Puranaは、彼の人生の出来事の説明です。彼の図像には、アヒムサ像、バワンガジャ、ゴパカルの丘に建てられた像などの巨大な像が含まれています。彼のアイコンには、彼のエンブレムとしての名声のある雄牛、Nyagrodhaツリー、Gomukha(雄牛)のYaksha、およびChakreshvari Yakshiが含まれます。

概要[編集]

「リシャバ」とはサンスクリットで牡牛を意味し、図像学的にも牡牛によって象徴される。

リシャバは現在のの下降相(アヴァサルピニー)第3期の終わりに出現した。残る23人のティールタンカラは第4期に出現し、最後のティールタンカラであるヴァルダマーナ(マハーヴィーラ)の没後まもなく第5期がはじまって現在に到っている[1]

カルパ・スートラ』によるリシャバの事績はマハーヴィーラのものと非常によく似かよっており、固有名詞や年月が異なっているのを除くとほとんど同じである。ゴートラはどちらもカーシヤパであった。リシャバはコーサラ国の首都コーサラー(アヨーディヤー)において、ナービ王とその妻のマールデーヴィーの間に生まれた。父は14人のクラカラ(マヌに相当するジャイナ教の古の賢人。人類に文明を教えた)の最後のひとりだった。マールデーヴィーがリシャバを出産する前に見た夢はマハーヴィーラの場合と同じだったが、ただ最初の夢が象ではなく牡牛であることが異なっていた。リシャバは200万年の間を王子として、それから630万年の間を王として過ごし、人々にさまざまな学問・芸術・職業を教えた。その後はマハーヴィーラと同様にヴィニーターという町の無憂樹のもとで出家して千年の間遊行生活と瞑想を行った後に完全智を得た。リシャバは99000年の間説法を行い、リシャバセーナを先頭とする84000人の沙門など、多数の弟子があった。アシュターパダ山(カイラーサ山と同一視される)において840万歳で没し、ニルヴァーナを得た[2]

より新しい伝承では、リシャバは非常に高い位置が与えられる。とくにラーシュトラクータ朝アモーガヴァルシャ1世の庇護のもと、9世紀のディガンバラ派のジナセーナは『アーディ・プラーナ』を書いてバラモンヴェーダや神々の権威を否定し、かわりにリシャバを最初の王として賛美した。また白衣派の大学者であるヘーマチャンドラは『トリシャシュティ・シャラーカー・プルシャ・チャリタ』(63偉人伝)の中でリシャバについて詳しく記した[3]。それらによればリシャバは人類最初の王であり、火や農業技術その他のさまざまなものを発明し、クシャトリヤヴァイシャシュードラの職業の別を作った(バラモンは子のバラタが作った)。世を捨てて瞑想をしているときに髪が長く伸びた(リシャバの像は髪が長く伸びているものが多い)。リシャバは出家する前に双子の姉妹であるスマンガラーと結婚し、バラタという子を生んだ。バラタは最初の転輪王になり、インド亜大陸をいうバーラタヴァルシャという名前は彼に由来する。バラタの双子の姉妹であるブラーフミーはリシャバから最初の文字であるブラーフミー文字を学んだ。リシャバはまたスナンダーを妻として、バーフバリーとその双子の姉妹のスンダリー、およびその他の94人の息子を生んだ[4]

プラーナ文献におけるリシャバ[編集]

ヒンドゥー教の側でも、いくつかのプラーナ文献でリシャバについて記述している。たとえば『ヴィシュヌ・プラーナ』では最初のマヌであるスヴァーヤンブヴァ・マヌを始祖として父から子へプリヤヴラタ、アーグニードラ、ナービ、リシャバと継承され、リシャバにはバラタを長男とする100人の子があったとし、バラタの子孫の住む土地をバーラタ・ヴァルシャ(インドを意味する)と呼んだとする[5]

『バーガヴァタ・プラーナ』(10-11世紀ごろ)ではリシャバをヴィシュヌアヴァターラのひとつとした[6]

脚注[編集]

  1. ^ 渡辺(2005) pp.102-103,159-161
  2. ^ Jacobi (1884) pp.281-285
  3. ^ Jaini (1977) pp.322,331-333
  4. ^ Jaini (1977) pp.322-324
  5. ^ Horace Hayman Wilson (1865). The Vishńu Puráńa 2. Works by the Late Horace Hayman Wilson. 7. Trübner. pp. 99-108,127-129. https://archive.org/details/worksbylatehorac07wils 
  6. ^ Jaini (1977) p.321,324-327,331

参考文献[編集]

  • Jacobi, Hermann (1884). Gaina Sûtras: Part I. The Sacred Books of the East. XXII. Oxford: Clarendon Press. https://archive.org/stream/1922707.0022.001.umich.edu#page/280/mode/2up 
  • Jaini, Padmanabh S (1977). “Jina Ṛṣabha as an "Avatāra" of Viṣṇu”. Bulletin of the School of Oriental and African Studies 40 (2): 321-337. JSTOR 615287. 
  • 渡辺研二『ジャイナ教』論創社、2005年。ISBN 4846003132