紀元前12世紀

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千年紀: 紀元前2千年紀
世紀: 前13世紀 - 紀元前12世紀 - 前11世紀
デルタの戦いで「海の民」と戦うエジプト第20王朝のファラオ・ラムセス3世(メディネト・ハブのラムセス3世葬祭殿の浮き彫り)。
ウガリット遺跡。前1200年のカタストロフで廃墟となった宮殿の入り口。
オルメカ巨石人頭像(カベサ・オルメカ)。メソアメリカ最古のオルメカ文化ではサン・ロレンソ一帯の繁栄が見られた。ラ・ベンタに繁栄の中心が移る紀元前900年代までをサン・ロレンソ相と呼ぶ。

紀元前12世紀(きげんぜんじゅうにせいき)は、西暦による紀元前1200年から紀元前1101年までの100年間を指す世紀

できごと[編集]

紀元前1200年代[編集]

紀元前1190年代[編集]

紀元前1180年代[編集]

紀元前1170年代[編集]

  • 紀元前1178年頃 - エジプト王ラムセス3世がデルタの戦いで「海の民」連合軍に勝利する。
  • 紀元前1175年頃 - エジプト王ラムセス3世がリビュア人の侵入を再び撃退。

紀元前1150年代[編集]

  • 紀元前1158年頃 - エラム王シュトルク・ナフンテ1世がバビロンを陥落させカッシート朝を滅ぼす。
    • ハンムラビ法典の石碑もこの時スサへ持ち出され、スサの遺跡で考古学者により発見される。
    • エラム人退却の後にバビロンにはマルドゥク・カビト・アヘシュ王によりイシン第2王朝(バビロン第4王朝)が成立。
  • 紀元前1157年頃 - ラムセス3世支配のエジプトのデール・エル・メディーナで建築職人によるストライキが発生(記録上最古のストライキ)。
  • 紀元前1155年頃 - エジプト王ラムセス3世が暗殺され、暗殺の首謀者である王子ペンタウアーが処刑される。

紀元前1140年代[編集]

  • 紀元前1141年頃 - エジプト王ラムセス5世死去。ミイラの調査からラムセス5世は世界最古の天然痘の罹患者だったことが判明している。

紀元前1120年代[編集]

  • 紀元前1126年頃 - 伝承ではアテナイ王テュモエテスの死によりテセウス王家が断絶。アテナイ王にピュロス王家のメラントスが即位。
  • 紀元前1125年頃 - イシン第2王朝のネブカドネザル1世王が即位( - 紀元前1104年)。

紀元前1110年代[編集]

  • 紀元前1115年頃 - アッシリア王ティグラト・ピレセル1世が即位( - 紀元前1077年頃)。
    • 即位から5年間は領土拡大政策により、旧ミタンニ領のフルリ人を服属させ、地中海まで進軍。
  • 紀元前1112年頃 - 殷の文丁が即位。文丁は帝乙比干箕子の父でもある。

紀元前1100年代[編集]

  • 紀元前1102年頃 - 殷の文丁が周の西伯季歴(周の文王の父)を処刑する。
  • 紀元前1100年以前 - 「ヘラクレスの子孫たち(ヘラクレイダイ)の帰還」。
    • トゥキディデス『歴史』によるとトロイア戦争終結の80年後のこととされ、ドーリア人ペロポネソス半島侵入を指すとされる。
    • ミュケナイ王ティサメノスやアテナイ王コドロスはこの侵入によって引き起こされた混乱で戦死したと伝えられる。
    • 先住民のアカイア人はアッティカからエーゲ海の島々そして小アジアのイオニア地方に残存する。

人物[編集]

  • ヨシュア - ヘブライ人の士師・モーセの後継者
  • シュッピルリウマ2世 - ヒッタイト王国の最後の王(在位前1215年/10年 - 前1190年頃)
  • ラムセス3世 - エジプト第20王朝のファラオ(在位前1186年 - 前1155年)
  • シュトルク・ナフンテ1世 - エラム王国の王(在位前1185年頃 - 前1155年頃)
  • プリアモス - トロイア最後の王(在位? - 前1084年?)
  • メラントス - アテナイ王(在位前1126年 - 前1089年)
  • ネブカドネザル1世 - イシン第2王朝(バビロン第4王朝)の王(在位前1125年頃 - 前1104年頃)

脚注[編集]

注釈

出典

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参考文献[編集]

関連項目[編集]