国立故宮博物院

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Japanese Map symbol (Museum) w.svg 国立故宮博物院
National Palace Museum
National Palace Museum (0155).JPG
国立故宮博物院の位置(台湾内)
国立故宮博物院
台湾内の位置
施設情報
正式名称 國立故宮博物院
愛称 故宮、台北故宮
前身 国立北平故宮博物院
国立中央博物院
専門分野 中華民国と東洋の文化財
来館者数 6,142,892人(2016年)
管理運営 行政院・国立故宮博物院
建物設計 黃寶瑜
開館 1925年10月10日
1965年11月12日(台北)
所在地 111-43
中華民国の旗 中華民国台湾
台北市士林区至善路2段221号
位置 北緯25度06分07秒 東経121度32分55秒 / 北緯25.10194度 東経121.54861度 / 25.10194; 121.54861座標: 北緯25度06分07秒 東経121度32分55秒 / 北緯25.10194度 東経121.54861度 / 25.10194; 121.54861
公式サイト 国立故宮博物院
プロジェクト:GLAM
国立故宮博物院
各種表記
繁体字 國立故宮博物院
簡体字 国立故宫博物院
拼音 Gùgōng Bówùyuàn
注音符号 ㄍㄨˋ ㄍㄨㄥ ㄅㄛˊ ㄨˋ ㄩㄢˋ
発音: グーゴン ボーウーユエン
英文 National Palace Museum
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国立故宮博物院(こくりつこきゅうはくぶついん)は、中華民国台北市にある博物館である。この博物館は、中華民国の国立博物館のうちの1つであり、最大のもので、696,000個以上の古代の中国の人工品および美術品を所蔵している。ほとんどの収集物は中国の古代の皇帝によって集められた高品質なものである。

沿革[編集]

中国大陸時代[編集]

故宮博物院は、1924年北洋軍閥の一人である馮玉祥溥儀紫禁城から退去させ、1925年10月10日に宮殿内で清朝が持っていた美術品などを一般公開したのが始まりである。1925年当時の所蔵品点検レポートによると所蔵品総数は117万件を超えており、博物院は古物館、図書館、文献館を設けて各種文物の整理をする一方で、宮殿内に展示室を開設して多様な陳列を行っていた。

その後、満州に駐留していた日本軍が華北地方に軍を派遣してきたため、蒋介石国民政府(1948年からは中華民国政府)は博物院の所蔵品を戦火や日本軍から守るべく重要文物を南方へ疎開させ、1933年2月から5月までの間に1万3,427箱と64包に及ぶ所蔵品がまず上海に運ばれ、その後1936年12月には南京市故宮博物院南京分院保存庫に移動させた。その後1937年に日本軍が南京に向けて進軍してきたために、所蔵品は再び運び出されて80箱が四川省の巴県に、9,331箱が楽山に、約7,287箱が峨嵋の計3カ所に避難させられた[1]

所蔵品の台湾への移動[編集]

第二次世界大戦後、運び出された所蔵品は重慶を経て再び南京・北京に戻されたが、国共内戦が激化するにつれて中華民国政府の形勢が不利になったため、1948年の秋より中華民国政府は故宮博物院から第一級の所蔵品を精選し、第1陣として772箱の文物が、1949年1月には第2陣として3,502箱の文物が、同月に第3陣として1,251箱の文物が台湾に運び出された[1]。したがって故宮博物院の所蔵品は北京と台北の2カ所に別れて展示されている。これとは別に所蔵品の一部は、国共内戦後の中華人民共和国建国後の混乱のため北京に戻すことができず、現在も南京博物院の管轄下で南京に保管されている。

国立故宮博物院[編集]

台湾に運ばれた中華の至宝は、初め台中県霧峰郷北溝の文物庫房に保管され、故宮の収蔵品の他に中央図書館・中央研究院史語所・中央博物院準備処の所蔵品も収められていた。1957年3月には北溝の陳列室で一般公開を始めた。その後中華民国政府は北溝の地が辺鄙であり、国内外の参観者を集めにくいとして、1965年8月台北の外双渓に台北新館を落成し同年11月12日に一般公開した[1]。その後国をあげて展示スペースの拡充と倉庫の建設および研究や出版・国際交流活動等ハードソフト両面に力を注ぎ、その収蔵品の価値の高さも相俟ってルーブルエルミタージュと並び称される博物館となった。これが現在見られる台北市の國立故宮博物院であり、ここに中華文明の神髄があるともいわれる。

北部院区[編集]

代表的な所蔵品 - 唐人宮楽図英語版
代表的な所蔵品 - 翠玉白菜

台湾国立故宮博物院は、台北市北部の士林区にあり、付近には高級住宅街が広がっている。この博物院には中華民国政府が台湾へと撤退する際に故宮博物院から精選して運び出された美術品が主に展示されており、その数が合計6万件冊。(台北に運ばれた旧故宮博物院の文物は、器物46,100点、書画5,526点、図書文献545,797点で、中央博物院の文物は、器物11,047点、書画477点、図書文献38点で、両院合せて総計608,985点である[2]。)

この博物院は、1960年代から1970年代に中華人民共和国で起きた文化大革命における文化財の組織的破壊から、貴重な歴史的遺産を保護するという役割を担ったが、同時に中華民国政府が中国 (China) の唯一合法的な政府であることの象徴と、日本の統治から離脱したばかりの台湾において中華ナショナリズムを強調するための装置としても中華民国政府に利用されていた。そのために現在では、早期の台湾独立を求める泛緑連盟勢力の一部から「『台湾国独立』と引換えに故宮博物院の文物を紫禁城に返そう」という主張が出ているが、実現の可能性はほとんど無い。2016年9月には台北故宮博物院院長退任直後の馮明珠が中台一体化の演出を狙う中華人民共和国政府の招聘[3]で北京故宮博物院顧問に就任して台湾国内で物議を醸した[4]

2001年より大規模な耐震・改装工事が行われ、館内の一部が閉鎖されていた。工事は2006年12月末に完了し、2007年2月8日より全館が一般公開された。

展覧館は年中無休、一般入場料は250台湾ドル。図書文献館は日曜祝祭日休館で閲覧証持参者は閲覧無料である。

南部院区[編集]

台湾南部嘉義県太保市にある高鐵嘉義駅と嘉義県庁の隣に国立故宮博物院南部院区 - アジア芸術文化博物館(故宮南院)が2015年12月28日開業。博物院の機能の分散化を図るとともに、アジア文化をテーマとしている。

主な展示物[編集]

百駿図(郎世寧作)、縦94.5cm × 横776.2cm、1728年
渓山清遠図(夏珪作)、縦46.5cm × 横889.1cm、約1195 - 1224年
黃州寒食詩帖蘇軾作)、縦34.2cm × 横199.5cm、1082年
詩帖(宋 徽宗作)、縦27.2cm × 横263.8cm、約1100 - 1126年
清院本 清明上河図、縦35.6cm × 横1152.8cm、1736年

交通アクセス[編集]

台北 故宮博物院

脚注[編集]

文献[編集]

  • 『台北国立故宮博物院を極める』(板倉聖哲・伊藤郁太郎編、新潮社「とんぼの本」、2009年
  • 『台北故宮博物院』(平凡社「別冊太陽」、2007年)
  • 『国立故宮博物院案内』(清水仁編、郁朋社、改訂版2006年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]