マリ帝国
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- マリ帝国
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1230年代 - 1645年
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全盛期のマリ帝国の版図(1350年頃)-
公用語 マンディンカ語 首都 ニアニ、後にカンガバ - 皇帝
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xxxx年 - xxxx年 不明 - 面積
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1380年頃 1,100,000km² - 人口
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1450年頃 45,000,000人 - 変遷
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建国 1230年代 ニアニからガンガバへの遷都 1559年 滅亡 1645年
通貨 砂金(塩、銅、タカラガイなどもまた通貨として用いられた)
マリ帝国(まりていこく、1230年代 - 1645年)は、現在のマリ共和国周辺の領域で栄えたマンディンカ族の国家。歴代の王は早くからイスラム教を受け入れていたとされる。首都はニジェール川最上流部のニアニという説がある。ユネスコ人類の口承及び無形遺産の傑作 (en) になっているマンデン憲章 (Charte du Manden) が憲法として定められていた。
歴史[編集]
それまで西部サヘル地方を支配していたガーナ王国が1076年にムラービト朝によって首都クンビ=サレーを落とされ勢力を大きく減退させ、ムラービト朝もすぐに衰退すると、この地域には覇権勢力が存在しなくなった。その中でスースー族のスースー王国が勢力を伸ばし、ニジェール川上流のマンディンゴ族をも支配下に置いていた。
そんな中、王国の創始者で、伝説的英雄スンジャータ・ケイタ (Sundiata Keita) は、マンディンゴ族系のマリンケ族を統一し、1235年にはキリナの戦い(en:Battle of Kirina)においてスースー王国との戦いに勝利してこの地域の覇権を握った。
その後、サハラ砂漠を越えて北アフリカと岩塩・布地・奴隷、そして金の交易を行い、14世紀には西は大西洋岸まで、東はトンブクトゥ・ガオまで、南はブレ・バンブクにある金鉱に達し最大の繁栄を極めた。14世紀には王のマンサ・ムーサ(マンサは「王の中の王」の意、在位:1312年 - 1337年)と、マンサ・スレイマン(在位:1341年 - 1360年)のもとで帝国は最盛期を迎えた。当時マリを訪れたアラビア人の旅行家イブン・バットゥータは、「彼らの国はまったく安全である」ことに驚き、住民たちはもてなしが良く、正義感が強いことを称賛している。 なお、マンサ・ムーサは、1324年にムスリム(イスラム教徒)として数千人もの従者を引き連れてメッカへ巡礼し(皇帝マンサ・ムーサのメッカ巡礼)、その道中のあちこちで大量の金の贈り物をしたために、カイロの金の相場が下落したという逸話がある。王はマリに戻ると、イスラム教とイスラム文化を進んで住民に広めている。
しかし、14世紀の後半からは聡明でない王が続き、そのため従属していた国々が相次いで離反した。また同じ頃、南方のモシ族・北方のトゥアレグ族が攻めてきたために大損害を受け、帝国は衰退していった。その後もソンガイ帝国庇護のもと地方小国家として続いていたが、1645年に滅亡した。
制度[編集]
王国の経済基盤は、ニジェール川流域の肥沃な土地から取れるモロコシ・米と、周辺のサバンナでの牧畜を中心とした農牧国家だったとされる一方で、交易地を多く持っていたため交易への課税にも拠っていた。とはいえ、諸王の権力と富を最も増大させたのは南部の金鉱からとれる金交易によるものであった。
帝国というが、中央集権体制の国家ではなく、マリを中心とする緩やかな連合国家であったとされる。
宗教[編集]
イスラーム教を受容したが、祖先信仰などの土着信仰も残っていた。帝国内のイスラーム神学者はマグリブ出身のアラブ人やベルベル人が多く、領域内から独自に育った神学者は少なかった。
マリ帝国のマンサ(王)の一覧[編集]
今現在不明な王も多く、現在発掘が進められている。
- Sundiata Keita (1240-1255)
- Wali Keita (1255-1270)
- Ouati Keita (1270-1274)
- Khalifa Keita (1274-1275)
- Abu Bakr (1275-1285)
- Sakura (1285-1300)
- Gao (1300-1305)
- Mohammed ibn Gao (1305-1310)
- Abubakari II (アブバカリ2世)(1310-1312)
- Kankan Musa I(マンサ・ムーサ) (1312-1337)
- Maghan (1337-1341)
- Suleyman (1341-1360)
- Kassa (1360)
- Mari Diata II (1360-1374)
- Musa II (1374-1387)
- Maghan II (1387-1389)
- Sandaki (1389-1390)
- Madhan III (Mahmud I) (1390-1400)
- Unknown Mansas (1400-1441)
- Musa III (1440年代)
- Ouali II (1460年代)
- Mahmud II (1481-1496)
- Mahmud III (1496-1559)
- Mahmud IV (1590年代-1600年代)
参考文献[編集]
- アンソニー・ブリアリー著、古賀浩訳 『古代アフリカ(古代遺跡シリーズ)』 ニュートンプレス、1997年。ISBN 4-315-51358-X。
- 世界史小辞典編纂委員会編 『世界史小辞典(改訂新版)』 山川出版社、2004年。ISBN 4-634-62110-X。
- イブン・バットゥータ 『大旅行記』全8巻 家島彦一訳、平凡社〈平凡社東洋文庫〉、1996-2002年。