グレゴリウス11世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
グレゴリウス11世
第201代 ローマ教皇
グレゴリウス11世
教皇就任 1370年12月30日
教皇離任 1378年3月27日
先代 ウルバヌス5世
次代 ウルバヌス6世
個人情報
本名 Pierre Roger de Beaufort
出生 1336年
Flag of medieval France.svg フランス王国 リムーザン、ロジエ=デグルトン
死去 1378年3月27日
教皇領 ローマ
その他のグレゴリウス

グレゴリウス11世Papa Gregorius XI, 1336年? - 1378年3月27日)は、14世紀後半の教皇(在位:1370年 - 1378年)。フランス人で本名はピエール・ロジェ・ド・ボーフォール(Pierre Roger de Beaufort)。クレメンス6世の甥に当たる。アヴィニョンで即位するが、1377年ローマに帰還し、アヴィニョン捕囚は終わる。

インノケンティウス6世の代に教皇領が回復されたが、再び各地で反乱が起こり、教皇庁の指令が行き届かなくなった。教皇は反乱の中心であったフィレンツェ破門にした。また、チェゼーナにロベール枢機卿(後のアヴィニョン対立教皇クレメンス7世)を派遣したが、傭兵隊長ジョン・ホークウッドが虐殺事件を起こしている。

教皇にローマ帰還を訴えたのはドミニコ会のカテリーナ・ベニンカーサ(シエナのカタリナ)である。キリストと同じ聖痕が現れたとされ、後に列聖されるほど信望を集めていた女性であり、1376年、アヴィニョンを訪れ、当時破門されていたフィレンツェの許しと教皇のローマ帰還を訴えた。フランス百年戦争中でアヴィニョン周辺も次第に不穏となり、ローマも反乱側に回るおそれがあったことから、教皇もついに帰還を決意し、1377年1月にローマへ戻る。

しかし、帰還に反対するフランス人の勢力も強く、グレゴリウス11世の死後、就任したウルバヌス6世に反発したフランス人枢機卿がロベール枢機卿をクレメンス7世に選出、教皇が並び立つという教会大分裂(シスマ)の時代を迎えることになる。