リューベック

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リューベック

Lübeck
ホルステン門(1478年)
ホルステン門(1478年)
リューベックの旗
リューベックの紋章
紋章
リューベックの位置(ドイツ内)
リューベック
北緯53度52分11秒 東経10度41分11秒 / 北緯53.86972度 東経10.68639度 / 53.86972; 10.68639
ドイツの旗 ドイツ
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州
郡独立市
行政区域 10 Stadtteile mit 35 Stadtbezirken
行政
 • 市長 ベルント・ザクセ (SPD)
面積
 • 合計 214.14km2
標高
13m
人口
(2018年12月31日)[1]
 • 合計 217,198人
市外局番 0451, 04502
ナンバープレート HL
自治体コード 01 0 03 000
ウェブサイト www.luebeck.de

リューベックLübeck)は、ドイツ連邦共和国の都市。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州に属する。トラヴェ川英語版ドイツ語版沿岸、バルト海に面する北ドイツの代表都市。かつてはハンザ同盟の盟主として繁栄を誇り、「ハンザの女王」(Königin der Hanse)と称される[2]。正式名称をハンザ都市リューベックDie Hansestadt Lübeck)という。"Lübeck"の発音は、標準ドイツ語ではドイツ語発音: [ˈlyːbɛk] ( 音声ファイル)(リューベックに近い)であるのに対し、地元では[ˈlyːbɛːk](リューベークに近い)となる傾向がある。面積214.14平方キロメートル、人口211,713人(2011年)。

地勢[編集]

上空から見たリューベックの風景

バルト海南西部のリューベック湾に面する海港を有するトラヴェ川英語版ドイツ語版沿岸の港湾都市である。造船産業などでも繁栄した。ラウエンブルク英語版ドイツ語版までエルベ・リューベック運河英語版ドイツ語版が通り、エルベ水系と広く結ばれている。約55キロ南西にハンブルク、60キロ北西にキール、55キロ南西にシュヴェリン、100キロ東にロストックが位置する。

歴史[編集]

中世のリューベック

地名リューベックは、この地の北約 6km にあったスラブ人の集落 Liubice に由来する[3]1143年ホルシュタイン伯アドルフ2世によって建設された。1157年の火災により荒廃したものの、1158/59年にザクセンハインリヒ獅子公によって再建された。ハインリヒ獅子公は、「都市発展がもたらす所領内への経済効果を考えて、すすんで市民に特権を与えて、自治を推進し」[4]、北方の諸都市・諸国に使者を派遣して通商協定を締結し、「計画的に遠隔地商業を振興した」[5]1226年帝国都市となる。北海・バルト海交易で一時期独占的な地位を築いたハンザ同盟の盟主でもあった。裁判制度・司法の分野でもリューベックは大きな役割をはたした。すなわち、「リューベック法はバルト海地域に広まり、約100都市がリューベック法を継受し、『リューベックの首位法廷へと出かけた』 gingen in Lübeck zu Haupte。リューベック参事会は、13世紀以降さらに『判決非難』Urteilsschelte の際の控訴審としても機能した」[6]。商業の発展により人口が増加し、1350年の人口は18000人、 1400年は20000人、 1502年には25444人を数えた[7]。市参事会は1262年に聖ヤーコプ聖堂のそばにラテン語学校を設けた。この学校の1370年頃の生徒の習字の跡をとどめる蠟板が残されているが、その多くには商業通信文の草案が書かれている[8]ベルギーブリュージュ等に現存する旧居が世界遺産に登録されていることからも知られているベギン会は俗人と同じように生活し、戒律による共住生活を送ることのない、半聖半俗の修道士・修道女の集まりであったが、「リューベックではベギン派の宿舎は五つあるだけだが、それぞれが大きくてすくなくとも100人を収容したというから、全体の収容能力は500-600というところであろう」[9]

中世後期にリューベックで活躍した芸術家に、1460年頃にリューベックに移住し、1509年にリューベックで没した画家・彫刻家ベルント・ノートケ(de:Bernt Notke)がいる。彼は大聖堂のために「勝利の十字架」(Triumphkreuz; 1477)を作成したが、マグダラのマリア像が殊に魅力的である[10]

リューベック商人は、ノルウェーベルゲンに商館を築き、ノルウェーのを南に売却して大きな利益をあげた[11]。また、リューネブルクの岩塩をおさえたことで、塩漬け(ニシン)でも独占的な地位を誇った[12]16世紀から 17世紀にかけて、ハンザ同盟の衰退とともに、リューベックも衰退していった[13]1800年頃の人口は45000人であった[14]。中世ヨーロッパの都市では、朝の鐘、夕の鐘、種々の召集等の鐘が鳴らされたが、リューベックでは、市門の閉門を告げる、夕の鐘の第2の鐘(第1の鐘は通常の仕事の終了を告げる)は、1864年まで鳴らされていた[15]

1806年神聖ローマ帝国解体により主権国家となるが、ナポレオン戦争に巻き込まれ、1811年から1813年までフランス帝国に併合される。ナポレオンの没落にともない1813年に独立を回復し、1815年ドイツ連邦に参加し、「自由ハンザ都市」と認められた。1868年には北ドイツ連邦に参加し、1871年ドイツ帝国成立に伴い、同国の州となる。ヴァイマル共和国時代も州の地位を保ったが、ナチス政権下の1937年にプロイセン自由州に併合され、同州の属州であるシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州英語版ドイツ語版に編入される[16]

第二次世界大戦中は空襲を受け、戦後はイギリスの占領下におかれるが、ソ連占領地区(後の東ドイツ)に近接し、後背地とは鉄のカーテンに分断されることとなる。当時、東ドイツからの10万人の亡命者により人口が急増した。その後リューベックは州の地位を回復することなく、プロイセン州解体により西ドイツ連邦州に昇格したシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の一部として現在に至る。

文化[編集]

世界遺産 ハンザ都市リューベック
ドイツ
市庁舎
市庁舎
英名 Hanseatic City of Lübeck
仏名 Ville hanséatique de Lübeck
面積 81 ha(緩衝地域 694 ha)
登録区分 文化遺産
登録基準 (4)
登録年 1987年
備考 2009年に軽微な変更。
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示

トラベ川とトラベ運河に囲まれた島にある旧市街地は世界遺産に登録されている[注釈 1]

旧市街地の入り口のホルステン門Holstentor)はユーロ導入以前の旧50ドイツマルク紙幣の図柄にも採用されている。 マルクト広場に面して黒レンガ造りの市庁舎(de:Lübecker Rathaus)がある。その隣にゴシック様式聖マリア教会de:Marienkirche (Lübeck))がある。1251年から1350年にかけて建造されたレンガ造りの建物は、1242年の爆撃によって炎上し、戦後再建された[17]

リューベックはなんといっても、トーマス・マンの故郷で、『ブッデンブローク家の人々』はこの町に住んだ彼の一族をそのままモデルにしたもの。生家は以前は銀行の支店だったこともあるが、現在ではマンの記念館(de:Buddenbrookhaus)になっている。

旧市街地は、運河が周囲に掘り巡らされていて、船での周遊が観光の目玉。1535年船員組合 (リューベック)(ハウス・デア・シッファーゲゼルシャフト;Haus der Schiffergesellschaft)がレストランになっていて[18]、大航海時代の巨大な帆船模型が天井から吊り下げられ、また壁面はさまざまな航海の様子を描いた油彩で飾られた中での魚料理はまた格別と評判。

1280年にリューベックの商人らが困窮者と病気の人のために設立した医療福祉施設、「聖霊救護院」( de:Heiligen-Geist-Hospital (Lübeck))は、同種の施設としてドイツで最も保存状態の良い中世の建造物の一つとされている[19]

1504年設立の修道院を前身とする聖アンナ博物館(de:St.-Annen-Museum Lübeck)は、数多くの彫刻祭壇(Schnitzaltar)を収蔵しているが、ハンス・メムリンクの祭壇画やベルント・ノートケ(de:Bernt Notke)の彫刻も展示している[20]

トラヴェミュンデ[編集]

町の中心部から20kmほど離れたところに、トラヴェミュンデTravemünde)というバルト海に面した海水浴場がある。ドイツ有数のリゾート地として有名で、夏場は多くの海水浴客で賑わう。

リューベック出身の人物[編集]

スポーツ[編集]

姉妹都市・友好都市[編集]

風景[編集]

パノラマ・カメラによるリューベックの風景

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
    • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

出典[編集]

  1. ^ Statistikamt Nord – Bevölkerung der Gemeinden in Schleswig-Holstein 4. Quartal 2018 (XLSX)
  2. ^ de:MERIAN Heft 6/XVII (Juni 1964) >Lübeck <. Hamburg, Hoffmann und Campe, S. 82 . - de:Baedeker: Deutschland. Ostfildern: Karl Baedeker 8.Aufl. 2005 (ISBN 3-8297-1079-8), S. 699.
  3. ^ Dieter Berger: de:Duden, geographische Namen in Deutschland: Herkunft und Bedeutung der Namen von Ländern, Städten, Bergen und Gewässern, Bibliographisches Institut, Mannheim/Wien/Zürich 1993 (ISBN 3-411-06251-7), S. 173-174.
  4. ^ 今来陸郎『都市と農民――中世のヨーロッパ』至誠堂 1973、79頁。
  5. ^ エーディト・エネン著 佐々木克巳訳 『ヨーロッパの中世都市』岩波書店、1987年、(ISBN 4-00-002373-X)、215頁。
  6. ^ ハンス・K・シュルツェ『西欧中世史事典―国制と社会組織―』(千葉徳夫他訳)[MINERVA西洋史ライブラリー㉒]ミネルヴァ書房 1997 (ISBN 4-623-02779-1)、271-272頁。
  7. ^ Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder, 6. Aufl. München: Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 364-365.
  8. ^ エーディト・エネン著 佐々木克巳訳 『ヨーロッパの中世都市』岩波書店、1987年、(ISBN 4-00-002373-X)、301頁。
  9. ^ 今来陸郎『都市と農民――中世のヨーロッパ』至誠堂 1973、125頁。
  10. ^ de:MERIAN Heft 6/XVII (Juni 1964) >Lübeck <. Hamburg, Hoffmann und Campe, S. 26-27. - Alfred Schädler: Deutsche Plastik der Spätgotik. Aufnahmen von Helga Schmidt-Glaßner. Karl Robert Langewiesche Nachfolger Hans Köster. Königstein im Taunus 1962, S. 17 (Text), S. 10, 74-77 (Aufnahmen). - Alfred Stange: Deutsche Spätgotische Malerei 1430-1500. Karl Robert Langewiesche Nachfolger Hans Köster. Königstein im Taunus 1965, S. 11 (Text), S. 55 (Aufnahme). なお、彼はストックホルムで活躍した時期もある。
  11. ^ エーディト・エネン著 佐々木克巳訳 『ヨーロッパの中世都市』岩波書店、1987年、(ISBN 4-00-002373-X)、229頁。
  12. ^ エーディト・エネン著 佐々木克巳訳 『ヨーロッパの中世都市』岩波書店、1987年、(ISBN 4-00-002373-X)、233頁。
  13. ^ de:Baedeker: Deutschland. Ostfildern: Karl Baedeker 8.Aufl. 2005 (ISBN 3-8297-1079-8), S. 699.
  14. ^ Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder, 6. Aufl. München: Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 365.
  15. ^ 阿部謹也『NHK市民大学 よみがえる中世ヨーロッパ』日本放送出版協会 1986、142-143頁。- 武田昭『歴史的に見た----ドイツ民謡』東洋出版 1979、48頁。
  16. ^ Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder, 6. Aufl. München: Beck 1988 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 365.
  17. ^ de:MERIAN Heft 6/XVII (Juni 1964) >Lübeck <. Hamburg, Hoffmann und Campe, >MERIAN-Brevier von Lübeck < . - de:Baedeker: Deutschland. Ostfildern: Karl Baedeker 8.Aufl. 2005 (ISBN 3-8297-1079-8), S. 700.
  18. ^ de:MERIAN Heft 6/XVII (Juni 1964) >Lübeck <. Hamburg, Hoffmann und Campe, >MERIAN-Brevier von Lübeck < . - de:Baedeker: Deutschland. Ostfildern: Karl Baedeker 8.Aufl. 2005 (ISBN 3-8297-1079-8), S. 701.
  19. ^ de:MERIAN Heft 6/XVII (Juni 1964) >Lübeck <. Hamburg, Hoffmann und Campe, >MERIAN-Brevier von Lübeck < . - de:Baedeker: Deutschland. Ostfildern: Karl Baedeker 8.Aufl. 2005 (ISBN 3-8297-1079-8), S. 701-702.
  20. ^ Max Hasse : Lübeck Sankt Annen-Museum. Die Sakralen Werke des Mittelalters.= Lübecker Museumsführer Band 1. Museen für Kunst und Kunstgeschichte der Hansestadt Lübeck 1964. - de:MERIAN Heft 6/XVII (Juni 1964) >Lübeck <. Hamburg, Hoffmann und Campe, >MERIAN-Brevier von Lübeck < . - de:Baedeker: Deutschland. Ostfildern: Karl Baedeker 8.Aufl. 2005 (ISBN 3-8297-1079-8), S. 703.

参考文献[編集]

  • ブリタニカ百科事典ISBN 1-59339-292-3
  • de:MERIAN Heft 6/XVII (Juni 1964) >Lübeck <. Hamburg, Hoffmann und Campe.
  • Lexikon des Mittelalters. Bd. V. München/Zürich: Artemis & Winkler 1991 (ISBN 3-8508-8905-X), Sp. 2146-2151.
  • de:Baedeker: Deutschland. Ostfildern: Karl Baedeker 8.Aufl. 2005 (ISBN 3-8297-1079-8), S. 699-705.
  • 今来陸郎『都市と農民――中世のヨーロッパ』至誠堂 1973 (特に49-54、72-74頁)
  • エーディト・エネン著 佐々木克巳訳 『ヨーロッパの中世都市』岩波書店、1987年、(ISBN 4-00-002373-X)( de:Edith Ennen: Die europäische Stadt des Mittelalters. Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht 1972)

外部リンク[編集]