ナザレ派

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ヨーゼフ・フォン・フューリヒ『ラケルとその父の羊の群れと出会うヤコブ』(1836年)。ペルジーノラファエロ・サンティの雰囲気を醸し出そうとしている。

ナザレ派(なざれは、ドイツ語: Nazarener)は、19世紀初頭のドイツロマン派の画家たちによる、キリスト教美術の誠実性と精神性を取り戻そうとする芸術運動である。ナザレ派という呼び名は、彼らが聖書に忠実な衣服や髪型を好んだことに対する、周囲からの侮蔑的表現に由来する。

歴史[編集]

1809年、ウィーンで、アカデミーの学生6人が、中世の画家たちのギルドの名称聖ルカ組合にならって、聖ルカ兄弟団という協同組合を結成した。1810年、そのうち4人、ヨハン・フリードリヒ・オーファーベック、フランツ・プフォル、ルートヴィヒ・フォーゲル、ヨハン・コンラート・ホッティンガーがローマに移り、聖イシドロ修道院の廃墟に住んだ。これに加わったのが、フィリップ・ファイト、ペーター・フォン・コルネリウス、ユリウス・シュノル・フォン・カロルスフェルト、フリードリヒ・ヴィルヘルム・シャドウその他のドイツ人画家たちであり、彼らはオーストリアのロマン主義風景画家ヨーゼフ・アントン・コッホと出会い、その指導を受けた。また1827年にはヨーゼフ・フォン・フューリヒが加わった。

ナザレ派の理念は、新古典主義の否定、そしてアカデミーにおける決まりきった美術教育を打倒することにあった。彼らは、精神的価値を体現した芸術に立ち戻ろうと考え、そのために中世末期からルネサンス初期にかけての芸術家にインスピレーションを求めるとともに、それより後の表面的な技巧を排斥した。

彼らは、中世画家の工房の再生を願い、修道士に近い生活を送った。作品のほとんどは宗教的主題のものであり、中世フレスコ画の復興にも取り組んだ。最初のフレスコ画はローマのカーサ・バルトルディ(1816年-1817年)、もう一つはカジノ・マッシモ(1817年-1829年)のために制作された。これらは「ナザレ派」の作品として各国からも注目された。しかし、1830年までにオーファーベック以外はドイツに帰国してしまい、グループは解体した。ナザレ派の画家の多くが、ドイツの美術アカデミーで有力な教師になっている。

外部リンク[編集]