バンベルク市街

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世界遺産 バンベルク市街
ドイツ
大聖堂(司教座)
大聖堂(司教座)
英名 Town of Bamberg
仏名 Ville de Bamberg
登録区分 文化遺産
登録基準 (2),(4)
登録年 1993年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示

ここでいうバンベルク市街は、1993年ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されたドイツバイエルン州バンベルク市の旧市街を指す。

背景[編集]

旧市街が世界遺産に登録された理由は、第二次世界大戦期に実質的に被害を受けることがなく、中世の景観が維持されているドイツでは稀な地域という点にある。2005年に市は、世界遺産としての保全活動を支援するために、文献情報センターを設立した。

主な景観[編集]

バンベルク大聖堂[編集]

この大聖堂は4つの尖塔をともなう後期ロマネスク様式の建造物である。大聖堂は長さ約94m、幅28m、高さ26mで、尖塔の高さはいずれも約81mである。

1004年神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世によって最初の造営がなされ、1012年5月6日に献堂された。1081年に火災によって一部が損壊したあと、バンベルクの聖オットー (Otto of Bamberg) によって新たな大聖堂が建造され、1111年に献堂された。現存する後期ロマネスク様式の大聖堂は、その後の13世紀に完成したものである。

収蔵されている数ある美術作品の中では、まずはこの教会の建立者である皇帝ハインリヒ2世とその妻クニグンデ皇后の壮麗な大理石の墓を挙げておこう。これは、1499年から1513年に彫刻家ティルマン・リーメンシュナイダーが彫り上げたもので、彼の代表作と見なされている。

他の大聖堂の宝物には、バンベルクの騎馬像germ.Der Bamberger Reiter)として知られる彫像がある。おそらくコンラート3世の時期に属するこの彫像は、ほぼ間違いなく1200年頃のものである。

また、大聖堂には ローマ教皇クレメンス2世の墓もある。

旧宮殿[編集]

絵画的な美しさを持つ旧宮殿 (Alte Hofhaltung) は、1591年にバンベルク伯の旧邸宅の敷地に建てられたもので、以降新宮殿が建てられるまでの司教の居館になった。

新宮殿[編集]

新宮殿(Neue Residenz, 1698年 - 1704年)は、当初は司教領主 (Prince-Bishop) によって、 1864年から1867年までは元ギリシャ王オソン1世によって、それぞれ領有されていた。その壮麗な薔薇園 (Rosengarten) は、素晴らしい見晴らしを提供してくれる。

アルテンブルク城[編集]

城はバンベルクの7つの丘のうち最も高い丘(386m)に位置している。1251年から1553年の間、この城はバンベルク司教の宮殿であった。1553年にブランデンブルク辺境伯 アルベルトに破壊され、以後はわずかな修繕がなされたあと監獄としてのみ使用され、次第に荒廃していった。

1801年にA.F.マルクス博士が城を買い上げ、それを完全に修復した。彼の友人で有名なドイツ人作家E.T.A.ホフマンはこの城に強い感銘を受け、暫くそこで暮らした。次の所有者、アントン・フォン・グライフェンシュタインは1818年に城郭保護協会を設立した。この団体は今も城のすべてを維持している。

その他の名所[編集]

旧市庁舎。橋の上に建っていることがよく分かる

他の特筆すべき教会には11世紀ロマネスク様式バシリカ式教会堂であるヤコブ教会(Jakobskirche)、聖マルティン教会(St Martinskirche)、今は本来の純粋なゴシック様式に修復されている1320年から1387年に建造されたマリア教会(Marienkirche ; オーベレ・プファル教会 Obere Pfarrkirche)などがある。また、ミヒャエルスベルクにある復元された12世紀ロマネスク様式のミヒャエル修道院教会は、かつては1803年に世俗化されたベネディクト会修道院の付属教会だったもので、現在は救貧院、博物館、市営のギャラリーを含んでいる。

下町につながる橋のなかで最も興味深い橋は、1455年に完成したオーベレ・ブリュッケである。この橋の中ほどの人工島の上に、1744年から1756年に再建された(旧)市庁舎 (Rathaus) が建っている。

かつてのイエズス会コレジオである王立Lyceumには、特筆すべきコレクションと30万冊に及ぶ王家の蔵書が所蔵されている。

街の中の文化財で特筆に価するのはマクシミリアンの噴水1880年)である。この噴水にはバイエルン王マクシミリアン1世、皇帝ハインリヒ2世夫妻、皇帝コンラート3世、バンベルク司教の聖オットーらの彫像が附属している。

また、レグニッツ川沿いには「小ヴェネツィア」と呼ばれる、19世紀以降の趣深い漁師たちの住宅が立ち並ぶ一画がある。

世界遺産基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

ギャラリー[編集]