ライヒェナウ島

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世界遺産 僧院の島ライヒェナウ
ドイツ
聖ゲオルク教会
聖ゲオルク教会
英名 Monastic Island of Reichenau
仏名 Île monastique de Reichenau
登録区分 文化遺産
登録基準 (3),(4),(6)
登録年 2000年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
地図
ライヒェナウ島の位置
使用方法表示

ライヒェナウ島Insel Reichenau)は、ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州コンスタンツ湖に浮かぶ島。コンスタンツ市のほぼ西側にある。島は人工の道で本土とつながっている。2000年ユネスコ世界遺産に登録された。島にはライヒェナウ修道院が建つ。修道院内の聖堂は、聖母マリアと聖マルコに捧げられたものである。他に、聖ゲオルクと聖ペトロ、聖パウロに献堂された教会が2つある。ライヒェナウの有名な芸術作品には、10世紀から残るオットー朝ルネサンス期(ザクセン王朝神聖ローマ帝国時代の様式)の『キリストの奇跡』の壁画が含まれる。 修道院の代官所は2階建ての石造りの建物で、2階より上の階は14世紀に半木造建築からなっている。これは南ドイツにおける半木造建築で古い物の一つである。

修道院周囲に広大に広がる土地を所有しているのは、修道院にちなんで名付けられた村、ライヒェナウである。

現在、島は野菜とワイン生産で有名である。島の近隣には大きな湿地Wollmatinger Riedが広がり、渡り鳥の休息地となっている。

歴史[編集]

島の名前はアレマン語Sindleozesauuaと呼ばれたが、短縮してOwAuua呼ばれていた(ラテン語を変換したAugiaからきたもので、のちにRichenowが転じてライヒェナウとなった)。

ベネディクト会派のライヒェナウ修道院は、ムーア人侵攻でスペインを逃れ、諸国を放浪していた聖ピルミニウスによって建立された。彼はカール・マルテルやアハロフィンガー伯、シュヴァーベン公などの庇護を受けていた。ピルミニウスは地元の諸侯と対立して院長の地位を727年に辞した。彼の後を継いだハットはホーエンツォレルン伯の縁者で、修道院はそのために潤沢な資金が注がれて華やかな地位を獲得した。帝国や諸侯の尚書を務めたヴァルドー(740年-814年)の元でカロリング朝の多大な影響を受けた。院長ヴァラーフリート(任:842年-849年)は、詩人・ラテン語学者として知られた。

修道院は、湖上を渡る困難なルートである、ドイツ=イタリア間の南北に伸びる幹線道路沿いにあった。ライヒェナウ修道院内には神学校、写字室、工房が建てられた。神聖ローマ帝国に属するスイスのこの場所は、10世紀後半から11世紀後半にかけて、色模様・飾り文字で飾られたきらびやかな写本を生み出す芸術的影響を持つ場所となった。神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世のために作成された『ハインリヒ2世の写本』が写字室の作品として知られ、現在はミュンヘンにある。

修道院は院長ベルノ(1008年-1048年)の代に絶頂期を迎えた。この時代、重要な学者ヘルマヌス・コントラクトゥスがライヒェナウに住んで活動していた。11世紀半ば、ローマ教皇グレゴリウス7世の限定的改革、近くにある競争相手ザンクト・ガレン修道院の台頭があり、修道院の重要性は次第に失われていった。1540年、ライヒェナウ修道院長の古くからの競争相手であるコンスタンツ司教がライヒェナウ卿となり、司教がこの地位を引き継いでいくにつれ、修道院の壮麗さは輝きを失っていった。

修道院の土地は世俗化され(1757年に始まり1803年に完了)、侵攻したナポレオンによって聖職者たちは放逐された。ライヒェナウの栄光の一部である書庫は、カールスルーエで国立図書館Landesbibliothekとして保存された。『バイエルン地誌』(:en:Geographus Bavarus)やその他多くの重要な記録はミュンヘンのバイエルン州立図書館で見つかった。2001年から、ベネディクト会派の信仰共同体は、ニーダーツェルで再建された。

登録基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
  • (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

関連項目[編集]

座標: 北緯47度41分35秒 東経9度03分47秒 / 北緯47.693056度 東経9.063056度 / 47.693056; 9.063056