ヴィスマール

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ヴィスマール
Wismar
マルクト広場の噴水


紋章
ヴィスマールの位置(ドイツ内)
ヴィスマール
座標: 北緯53度54分0秒 東経11度28分0秒 / 北緯53.90000度 東経11.46667度 / 53.90000; 11.46667
ドイツの旗 ドイツ
メクレンブルク=フォアポンメルン州
ノルトヴェストメクレンブルク郡
行政
 - 上級市長 トーマス・バイアー (Thomas Beyer、SPD)
面積
 - 計 41.36km2 (16mi2)
標高 15m (49ft)
人口 (2015年12月31日)[1]
 - 計 42,557人
市外局番 03841
ナンバープレート HWI
自治体コード 13 0 74 087
ウェブサイト www.wismar.de
ヴィスマール地域歴史博物館

ヴィスマール (Wismar ドイツ語発音: [ˈvɪsmaɐ]) はドイツ北部、バルト海に面した小都市である。2015年12月31日現在の人口は約4.3万人(1905年の人口は21,902人であるため、100年間で人口が倍増したことになる)。かつてハンザ同盟都市の一つであった。現在はドイツのメクレンブルク=フォアポンメルン州ノルトヴェストメクレンブルク郡の郡都。ヴィスマルとも表記される。

45キロメートル西にリューベック、30キロメートル南にシュヴェリーンがあり、ヴィスマール湾に面した天然の良港を持っている。 教会ならびに市内の建造物は「ハンザ同盟都市の煉瓦建築」を代表し、2002年シュトラールズントともに「シュトラールズント歴史地区とヴィスマール歴史地区」としてUNESCO世界遺産に登録された。

なお、この街は1922年の映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』のロケ地として撮影に使用された。

歴史[編集]

ヴィスマール1229年都市権を獲得したと言われ、 1301年メクレンブルクの領地となった。1259年、バルト海を横行する海賊から都市と船舶を守るためリューベック及びロストックと協定を結び、それが後にハンザ同盟へと発展した。13世紀から14世紀にかけてこの町は毛織物を主産業として繁栄するハンザ都市であった。1376年に疫病によって1万人もの死者を出したにも関わらず、16世紀まで栄えたようである。

スウェーデン統治下[編集]

1648年ヴェストファーレン条約で、ヴィスマールはその支配権と都市領主の称号を神聖ローマ帝国からスウェーデンに譲渡された。こうしてスウェーデンの君主神聖ローマ帝国内に所有する事となったヴィスマール及び他の領地の「公」または「帝国諸侯」として帝国議会に参加するようになった。1653年には、スウェーデン諸領の最高裁判所がヴィスマールに設置された。1803年スウェーデンはヴィスマールとその支配権をメクレンブルクに「100年後に買戻す権利を自国が保有する」という条件を付きで、125万8千リグスダレルの担保として譲渡した。このスウェーデンの付けた条件のため主権の所在が曖昧となり、ヴィスマールは1897年までメクレンブルクの議会に代表を送ることが出来なかった。1903年スウェーデンは最終的にその権利を放棄した。

ヴィスマールは都市固有の旗を掲揚する権利など古くからの都市の特権の名残を今日まで持ち続けている。

19世紀の過渡期におけるヴィスマールの主要な生産品は、鉄鋼、機械、紙、ルーフィング原紙(屋根葺きの下地用に加工された紙)、アスファルトであった。また、とりわけ海の近くに位置する立地条件の良さから穀物、脂肪種子、バターの輸出及び石炭、材木、鉄の輸入などの交易が盛んに行なわれていた。ヴィスマール港は喫水5メートルの船舶が通航可能な水深があり、船を直接港に横付けしての積み荷の揚げ降ろしが可能だった。

ヴィスマールの聖ゲオルギウス教会

出身者[編集]

引用[編集]

外部リンク[編集]