シュヴェリーン
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| 紋章 | 地図 |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 連邦州: | メクレンブルク=フォアポンメルン州 |
| 郡: | 郡独立市 |
| 標高: | 海抜 40 m |
| 面積: | 130.46 km² |
| 人口: |
95,668人(2016年12月31日現在) [1] |
| 人口密度: | 733 人/km² |
| 郵便番号: | 19001-19079 (旧: 2750) |
| 市外局番: | 0385 |
| ナンバープレート: | SN |
| 自治体コード: | 13 0 04 000 |
| 市庁舎の住所: | Am Packhof 2-6 19053 Schwerin |
| ウェブサイト: | www.schwerin.de |
| 上級市長: | アンゲーリカ・グラムコウ (Angelika Gramkow) |
シュヴェリーン(低地ドイツ語: Swerin、標準ドイツ語: Schwerin [ʃvɛˈʁiːn, ʃvəˈʁiːn])は、ドイツ連邦共和国の都市。メクレンブルク=フォアポンメルン州の州都。旧東独圏である。人口は約96,000人。
地勢・産業[編集]
「七つの湖の街」とも称され、周辺を多くの淡水湖に囲まれている。その最大のものがシュヴェリーン湖であり、観光客も多く訪れる。交通の要所に位置しており、農作物の集散地として重要な役割を果たした。また、第二次世界大戦後の東ドイツ政権下で工業化が進められた。近隣の都市としては、約55キロ北西のリューベック、30キロ北のヴィスマール、70キロ北東のロストックなどが挙げられる。
歴史[編集]
西スラヴ人のオボトリト族の王国がその起源。オボトリト人の国家は西は神聖ローマ帝国、東からはポーランド王国、北からはデンマーク王国に攻撃され続け、ついに11世紀に滅亡する。その後神聖ローマ帝国よりザクセン人がやってきて人々を支配した。1160年にハインリヒ獅子公から自治権を与えられ、まもなく司教座がおかれた。中世から近代にかけて、メクレンブルク公領、メクレンブルク=シュヴェリーン公領の都であった。第二次世界大戦後、東ドイツ領となり工業化が進められた。
「シュヴェリーン」という地名は、オボトリト語などが属するポラーブ語の地名「シュヴィエージン」(Zwierzyn)がドイツ語風に訛ったもの。
姉妹都市[編集]
出身者[編集]
詳細は「category:シュヴェリーン出身の人物」を参照
関連項目[編集]
引用[編集]
外部リンク[編集]
- シュヴェリーンの公式サイト(ドイツ語)
- シュヴェリーン博物館の公式サイト(ドイツ語)
ギャラリー[編集]
神聖ローマ帝国時代シュヴェリーン司教区(1165–1648)
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