日野俊基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
日野俊基
Hinotoshimotonohaka.jpg
日野俊基墓所(2004/11/03撮影)
時代 鎌倉時代後期
生誕 不明
死没 元弘2年/正慶元年6月3日1332年6月26日
墓所 神奈川県鎌倉市梶原の葛原岡神社
官位 従四位下右中弁[1]従三位
主君 後醍醐天皇
氏族 藤原北家真夏日野家
父母 父:日野種範
俊業俊孝
テンプレートを表示

日野 俊基(ひの としもと)は、鎌倉時代後期の公家藤原北家真夏日野家刑部卿日野種範の子。官位従四位下右中弁[2]従三位

経歴[編集]

文保2年(1318年)に即位した後醍醐天皇の親政に参加し、蔵人となる。後醍醐の朱子学(宋学)志向に影響を受け、鎌倉幕府討幕のための謀議に加わる。諸国を巡り反幕府勢力を募るが六波羅探題に察知され、正中元年(1324年)の正中の変で、同族の日野資朝らと逮捕されるが処罰は逃れる。京都へ戻るが、元徳3年/元弘元年(1331年)に発覚した2度めの討幕計画である元弘の乱で再び捕らえられ、得宗被官・諏訪左衛門尉に預けられた後鎌倉の葛原岡で処刑された。

辞世の歌は秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらん

明治維新後、南朝(吉野朝廷)が正統とされると俊基は倒幕の功労者として評価されるようになり、明治20年(1887年)には俊基を主祭神とする葛原岡神社神奈川県鎌倉市梶原に創建され、俊基自身にも従三位が追贈された。

贈位[編集]

墓所[編集]

葛原岡神社の南にある。また昭和2年(1927年4月8日に国指定史蹟に指定され、財団法人俊基卿遺蹟保存会が遺跡の保護・管理を行っている。

関連作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『尊卑分脈』
  2. ^ 『尊卑分脈』
  3. ^ 『官報』第193号「叙任」1884年2月23日。