ジハーン・テムル
表示
| ジハーン・テムル | |
|---|---|
| イルハン朝の対立イルハン | |
| 在位 | 1338年 - 1340年 |
| 死去 |
不明 |
| 王朝 | イルハン朝 |
| 父親 | アラーフランク(ガイハトゥの子) |
ジハーン・テムル(ペルシア語:جهان تیمور Jahān Tīmūr、生没年不詳)は、イルハン朝の君主(ハン、在位:1338年 - 1340年)。イルハン朝の第5代君主ガイハトゥの孫。父はアラーフランク。シャー・ジハーン・ティムール、イッズ・ウッ・ディーンとも表記される[1]。
生涯
[編集]1338年、イールカーニー派[注釈 1]のタージュッディーン・シャイフ・ハサン・ブズルグ(大ハサン)はムハンマド・ハンが戦死したため、シャー・ジハーン・ティムール(ジハーン・テムル)をイールカーニー派のハンに即位させることを決め、ワズィールの職務をシャムスッディーン・ザカリーヤに与え、イラーク・アラビーの首都(バグダード)に赴いた。
その間、チョバン派のシャイフ・ハサン(小ハサン)はチョバン派の女性ハン・サティ・ベクを廃し、スライマーンをチョバン派のハンに即位させるとともにサティ・ベクを娶らせた[3]。
1340年、大ハサンはバグダードからシャー・ジハーン・ティムール・ハンを奉じてジャガトゥ川まで進軍して、スライマーン・ハンを攻撃したが、イールカーニー派が敗北。バグダードに帰還した後、シャー・ジハーン・ティムール・ハンは廃され、大ハサンが自らハンに即位してジャライル朝が建国された[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考資料
[編集]- C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』 6巻、佐口透訳注、平凡社〈東洋文庫365〉、1979年11月。ISBN 4582803652。
|
|
|