紫禁城
| 紫禁城 | |
|---|---|
|
太和殿 | |
| 各種表記 | |
| 繁体字: |
紫禁城 故宮博物院 |
| 簡体字: |
紫禁城 故宫博物院 |
| 拼音: |
Zǐjìnchéng Gùgōng Bówùyuàn |
| 注音符号: |
ㄗˇㄐㄧㄣˋㄔㄥˊ ㄍㄨˋㄍㄨㄥㄅㄛˊㄨˋㄩㄢˋ |
| 発音: |
ツーチンチェン クークン ポーウーユエン |
紫禁城(しきんじょう、簡体字: 紫禁城、拼音: 、満州語:ᡩᠠᠪᡣᡡᠷᡞ
ᡩᠣᠷᡤᡞ
ᡥᠣᠳᠣᠨ、転写:dabkūri dorgi hoton)または故宮(こきゅう、簡体字: 故宫、拼音: )は、中華人民共和国北京市に所在する明清朝の旧王宮である歴史的建造物。「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」の一つとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)となっている。面積は 725,000m2 あり、世界最大の木造建築群である。別称の故宮とは「古い宮殿、昔の宮殿」という意味で、現在は博物館(故宮博物院)になっている。
歴史[ソースを編集]
元(モンゴル帝国)のクビライが大都に建設した宮殿を明の成祖永楽帝が1406年から改築し、1421年に南京から北京へ都を遷してから、清朝滅亡まで宮殿として使われた。
1644年の李自成の乱で明代の紫禁城は焼失したが、李自成の立てた順朝を滅ぼし北京に入城した清朝により再建され、清朝の皇宮として皇帝とその一族が居住するとともに政治の舞台となった。義和団の乱では皇帝とその一族が西安に逃亡し、イギリス・フランス・オーストリア=ハンガリー帝国・ドイツ・イタリア・日本・ロシア・アメリカによる八カ国連合軍に占領された[1]。
1908年12月に、西太后が光緒帝の後継者として愛新覚羅溥儀を指名したことにより、溥儀はわずか2歳10か月で皇帝に即位させられ、清朝の第12代宣統帝かつ紫禁城に居を構える最後の皇帝となった。
1911年10月に辛亥革命が起き、袁世凱の求めを受けて1912年2月に溥儀は退位したが、中華民国臨時政府の「優待条件」として溥儀とその一族は、紫禁城の内廷での居住を許された。
しかし、1924年10月の馮玉祥による北京政変の際、11月5日を以って溥儀を初めとする皇族への紫禁城退去が通告され、その後は故宮と呼ばれルーヴル美術館などの例に倣い1925年10月10日に博物館として組織された。1949年に、中国共産党の指導者の毛沢東は城門の一つである天安門で中華人民共和国の建国を宣言した。
1961年に、中国国務院より国家重要文化財、1987年にユネスコより世界遺産に認定された。現在は建物自体も明と清の歴史を伝える故宮博物院の文物の一つとして一般開放されている。
主な建物[ソースを編集]
所在地
北京故宮南北の長さ961m、東西の幅753m、面積は約725000m2。周囲は幅52m の堀が囲む。城壁の高さ12m、底厚10m、頂厚は6m から7m。南に午門、東に東華門、西に西華門、北に神武門[2]がある。「紫禁城」は中国の天文学に従い、北極星(天帝)を皇帝に擬え、地上に「紫微垣」を再現し、世界の中心を地上に再現した領域であり、天帝に代って地上を治める皇帝の住む宮殿として建設された。そのため「天子は南面す」の言葉通り、北に皇帝の宮殿が置かれている。
紫禁城の由来は、天帝(創造主)が住んでいる星とされる北極星を紫微星、北極星の周辺を回る星座の辺りを紫微垣と呼んだのに由来する「紫宮」、及び「天帝の命を受けて世界秩序の維持に責任を持つ皇帝(天子)」の住居たる「禁城(庶民などが自由に入るのを禁止された城)」の二語を合わせ、紫禁城と呼んだことに由来する[3]。
外朝の外、皇城の南[ソースを編集]
かつては紫禁城をとり囲む皇城が存在したが、辛亥革命以降、皇城の城壁は次々に取り壊されて、現在はほとんど址をとどめていない。
- 天安門:明代には承天門と呼んだ。午門・端門のさらに南にある。法令の公布されるところである。これに対として「地安門」が皇城の北に作られていたが、現存しない。
- 端門:天安門と午門の間にある門である。
- 太廟
- 太社稷
城門[ソースを編集]
- 午門:天安門を入り、端門を抜けた北側にある紫禁城の南門。この門の名称は、紫禁城からして午(うま)の方角、つまり南の方角にある事から名付けられた。この門の特徴は、コの字型に両翼がせり出した独特の形をしていること。また、この午門に囲まれた広場では、官吏が午前4時に皇帝を遥拝することになっていた。百叩きの刑などの刑の執行も行われた。ちなみに、映画「ラストエンペラー」で生母の死を知った溥儀が外に出ようとして陳凱歌の演じる門番に止められたり、溥儀に紫禁城から追放された宦官達が居たのもこの場所である。当時、既に清朝は滅び中華民国の時代となっていたが、形式的上この門の内側は清朝のままであった(ただし、太和殿等の在る外朝部が中華民国の領域で、内朝部が清朝のままである)。現在は、観光記念品を販売する店があり、日本語解説のテープも貸し出している。なお、この午門から先は有料で、故宮博物院への入館券がなければ入ることができない。
- 東華門:外朝東側にある門(清代には大臣らが使っていた門。格式が一つ低いとされる。皇帝・皇后・皇太后の棺がここから出されたので、「鬼門」・「陰門」とも呼ばれる)。
- 西華門:外朝西側にある門。
外朝[ソースを編集]
- 内金水河:護城河ともいう。紫禁城をぐるりと囲む幅52mの堀。
- 太和門:外朝の正門。明代の名称は皇極門。紫禁城を居城とした明朝の歴代皇帝は、ここで政務を執った。現在は、書籍や観光記念品を販売する店がある。
- 獅子像:太和門の両側にいる青銅の像。如何にこの門が権威ある建物なのかを表している。
- 弘義閣
- 体仁閣
- 保和殿西廡:現在は絵画館となっている。
- 保和殿東廡:現在は鐘表館となっている。
- 歴代芸術館
前三殿[ソースを編集]
太和殿・中和殿・保和殿の総称。紫禁城の中心的建造物。外朝三殿ともいう。
- 太和殿:明代の名称は皇極殿。俗称は金鑾殿。紫禁城の中軸線上にあって、外朝の三大殿の正殿。紫禁城を居城とした明・清両王朝の歴代皇帝の即位式や万寿節(皇帝の誕生日)・結婚、それに元旦や冬至などを祝う時と重要な朝会・筵宴・出征、そして皇帝の葬儀など宮廷の重大な式典を行った最も重要な建物である。式典が行われるときには、太和殿前の広場に官吏たちがずらりと並び、全員で三跪九叩頭の礼を行った。また、太和殿は現存する中国最大の木造建築で[4]、高さ35m、幅約63m、奥行き約33mもあり、しかも3段の大きな台座の上に建っているので、数ある紫禁城の建物の中で最も大きく見える。現在は、清朝時代のままの宮廷の姿を陳列している。玉座の上には大玉が吊るされ、皇帝として不適の者が座ると玉が落ちてくるという迷信があり、袁世凱は、わざわざ玉座をずらして座り、現在もそのままとなっている。
- 日時計:太和殿のすぐ隣にある皇帝の権威の象徴。
- 鶴の像
- 亀の像
- 中和殿:明代の名称は中極殿。太和殿の後ろ側にあり、式典が太和殿で行われる直前に皇帝が大臣らから祝辞を受け、一旦、休憩した場所。この中和殿は数ある紫禁城にある建物の中で唯一、正方形の形をしているのが特徴。現在は、清朝時代のままの宮廷の姿を陳列している。
- 保和殿:明代の名称は建極殿。中和殿の後ろ側にあり、式典が太和殿で行われる直前に皇帝が更衣をした場所。清朝の時代は、毎年正月にモンゴル、ウイグルの王侯を招いての宴会も行われ、乾隆帝以来、皇帝臨席の下、官吏採用試験である文科挙の最終試験である殿試が、ここで行われた。現在は、清朝時代の宮廷の姿を陳列している。
紫禁城東南部[ソースを編集]
- 文華殿:明朝の時代は皇太子がここに暮らし、「内閣」が置かれた。清朝の時代は、清朝の乾隆帝によって編纂された「四庫全書」がここに収められ、儒教の講義が行われた。文武二殿の一つ。
- 精一堂
- 恭黙室
- 九五斎
- 玉食館
- 省愆居
- 主敬殿
- 本仁殿
- 集義殿
- 傳心殿
- 治牲所
- 文淵閣
- 鑾儀衛所
- 地和庫房
- 国史館
上駟院・南三所[ソースを編集]
- 上駟院
- 南三所
- 擷芳殿
- 御茶・御膳総房
内閣[ソースを編集]
- 満本房
- 漢本房
- 蒙古房
- 漢票簽房
- 満票簽房
- 大学士堂
- 侍読擬写草簽処
- 中書繕写真牽処
- 収儲本章档案処
紫禁城西南部[ソースを編集]
- 武英殿:明朝を滅ばした李自成が即位した場所。また、清朝の順治帝の摂政ドルゴンが首都を盛京から北京へ遷都する詔書を発布したところである。明代には紫禁城を居城とした明朝歴代皇帝の斎戒や大臣接見の場となり、清代には御用絵師のアトリエになった。文武二殿の一つ。
- 凝道殿
- 煥章殿
- 敬思殿
- 浴徳堂
- 咸安殿(宝蘊楼)
- 清字経館
- 三通館
- 実録館
- 文穎館
- 南薫殿
- 外瓷器庫
- 御書処
- 内務府
- 広儲司
- 会計司
- 掌儀司
- 都処司
- 慎刑司
- 営造司
- 慶豊司
内廷[ソースを編集]
後三宮[ソースを編集]
乾清宮・交泰殿・坤寧宮の総称。内廷の中軸線にあって、内廷の中心的建造物。現在は、清朝時代のままの宮廷の姿を陳列している。
- 乾清門:内廷の正門。宮殿の造りで、内部には孔子を祀った一室があった。紫禁城を居城とした清朝の歴代皇帝は、ここで「御門の政」(日常の政務を執る事)を行った。現在は、記念品を販売する店がある。
- 乾清宮西廡:清朝の時代、南書房・敬事房として使われた。現在は、青銅器館となっている。
- 乾清宮東廡:清朝の時代、上書房として使われ、紫禁城を居城とした清朝の歴代皇帝の皇子達が勉学に励んだ場所。
- 乾清宮:清朝の雍正帝以前は、紫禁城を居城とした明・清両王朝の歴代皇帝の寝宮であったが、清朝の雍正帝以降、清朝歴代皇帝の寝宮は養心殿へと移り、皇帝が大臣を召見し、上奏文の処理、日常の政務を執る場所と筵宴(=宴会を意する勅語、ちなみに口語・文語はそれぞれ筵席・筵会)を行う場所となった他、皇帝が崩御した際、その棺を一旦、安置する場所ともなった。
- 交泰殿:紫禁城を居城とした明・清両王朝の皇帝の皇后の冊立の儀式が行われた場所で、皇后は元旦・冬至・千秋(皇后誕生日)の祝賀をここで受けた。乾隆帝の頃には印璽の収蔵に使用された。
- 坤寧宮:明朝の時代は、紫禁城を居城とした明朝歴代皇帝の皇后が居住する正宮であった場所で、明朝最後の皇帝、崇禎帝が1644年の北京陥落の時に皇后と公主を殺した場所でもある。また、清朝の時代は、朝神・夕神という満漢仏集合の神々(薩満教の神様)が祀られ、司祝というシャーマンによって、朝祭・夕祭・月祭、など満州族のシャーマニズムの儀式が行われた他、紫禁城を居城とした清朝歴代皇帝と、その皇后との婚礼が執り行われ、新婚の皇帝と皇后が結婚初夜を過ごす場所であった。なお、最後に執り行われた清朝の皇帝と、その皇后との婚礼は、清朝滅亡後の1922年に執り行われた溥儀(宣統帝)と婉容(ゴベイル皇后)との御成婚式であった。
- 坤寧門:後三宮の北門。ここから御花園に入ることができる。
御花園[ソースを編集]
紫禁城最大の花園で楼閣がある他、堆秀山という山があり、紫禁城を居城とした明・清両王朝の歴代皇帝が、后妃達と遊楽をした場所でもある。
- 養性斎:築山に囲まれ、景色が奥ゆかしい場所。清朝滅亡後の1919年に溥儀の帝師(英文教師)として招聘されたイギリス人のレジナルド・ジョンストンが住居とした場所。
- 絳雪軒:当初、数本の海棠の木があるのみであったが、風に飛び散る落花が絳色(深紅色)の雪片のようであることから絳雪軒と名付けられた。
- 欽安殿:玄天上帝という道家の天帝を祀る神殿。
- 順貞門:御花園の北門。
内廷の北側中央(御花園の北側)[ソースを編集]
- 位育斎:明・清両王朝の時代は仏堂であったが、現在は、飲食店となっている。
- 攡藻堂:宮廷の書籍を収蔵した場所で、「四庫全書薈要」が、ここに収蔵された。現在は本屋となっている。
- 神武門:紫禁城の北門。清の康熙帝以前の名称は「玄武門」であったが、康熙帝の諱を避けるために玄の字を「神」に改めた[5]。現在は故宮博物院の正門となっており、郭沫若の揮毫で「故宮博物院」の扁額が掲げられている。日本語では通常「しんぶもん」と読む。
内廷西側[ソースを編集]
- 隆宗門:乾清門の前にある広場の西門。現在、ここにファースト・フードの店がある。
- 軍機処:1729年(雍正7年)7月5日に雍正帝によって設置された軍機処があった所。軍機大臣がここで待命し、皇帝の召見を待った。
- 養心殿:清の康熙帝の頃は書斎として使用されていたが、次の雍正帝以降、清朝歴代皇帝が居住する寝宮となった。また、同治帝と光緒帝の時代に慈安皇太后(東太后)、慈禧皇太后(西太后)が「垂簾聴政」を行った所でもあり、1912年2月12日に御前会議によって清朝最後の皇帝、宣統帝の退位を決定した隆裕皇太后によって、「宣統帝退位詔書」が発布された所でもある。
西六宮[ソースを編集]
妃たちの居住地である。清朝の同治帝の生母、慈禧皇太后が居住し、西太后と呼ばれた。
- 永寿宮:現在は、文物陳列室となっている。
- 太極殿:啓祥宮ともいう。現在は、清朝時代のままの宮廷の姿で陳列されている。
- 体元殿:太極殿の後殿。後部は長春宮の舞台となっている。 現在は清朝時代のままの宮廷の姿で陳列されている。
- 長春宮:現在は、清朝時代のままの宮廷の姿で陳列されている。
- 承禧殿
- 綏寿殿
- 履綏殿
- 平安室
- 翊坤宮:現在は、清朝時代のままの宮廷の姿で陳列されている。
- 元和殿
- 延洪殿
- 儲秀宮:現在は、清朝時代のままの宮廷の姿で陳列されている。
- 体和殿:儲秀宮に住む慈禧皇太后(西太后)が食事をした所。現在は、清朝時代のままの宮廷の姿で陳列されている。
- 麗景軒
- 咸福宮
- 同道堂
- 長康右門:西一長街の北門。ここから御花園に入ることができる。
内廷の東側[ソースを編集]
- 景運門:乾清門前の広場の東門。現在、ここに売店がある。
- 奉先殿:明朝の時代に建てられた皇室用寺。紫禁城を居城とした明・清両王朝の歴代皇帝が祖先の霊を、ここに祀った。現在は、文物陳列室となっている。
- 内左門:東一長街の南門で、ここから内廷の斎宮、東六宮へと通じている。
- 斎宮:清朝の雍正帝の時代に皇帝の斎戒のために建てられた。現在は、文物陳列室となっている。
- 毓慶宮:清朝の康熙帝の時代に皇太子のために建てられた寝宮。10歳を過ぎた清朝の皇太子は、ここで自立生活を送った。
- 継徳堂
- 味余書室
- 知不足斎
- 宛委別蔵室
東六宮[ソースを編集]
妃たちの居住地である。清朝の咸豊帝の皇后、慈安皇太后が居住し、東太后と呼ばれた。
- 景仁宮:現在は、文物陳列室となっている。
- 承乾宮:現在は、文物陳列室となっている。
- 永和宮:現在は、文物陳列室となっている。
- 鍾粹宮:現在は、工芸館玉器陳列室となっている。
- 景陽宮:現在は、工芸館琺瑯陳列室となっている。
- 延禧宮
- 長康左門:東一街の北門。ここから御花園へ入ることができる。
養老宮[ソースを編集]
紫禁城の西北部にある宮殿。
- 慈寧宮:清朝の乾隆帝による造営。
- 寿康宮:清朝の雍正帝が母后のために造営して以来、皇太后、太妃の居住地となった。現在は、故宮博物館図書館になっている。
- 長楽敷華殿
- 寿安宮:明代の名称は咸安宮。清朝の乾隆帝が母后のために再建した。
- 春禧殿
- 福宜斎
- 萱寿堂
- 英華殿:明代に万寿節が行われた所で、清代には皇后・皇太后・后妃たちの持仏堂が置かれた所である。
寧寿宮[ソースを編集]
明朝の時代、皇帝亡き後、未亡人となった皇后と妃嬪達が居住した場所であり、紫禁城の東北部にある。清朝の康熙帝の時代に寧寿宮と名称を変更し、皇太后の居所となった。その後、乾隆帝の時代に改築され、後に太上皇宮殿として皇極殿と名付けられた。清朝が最盛期を迎えた乾隆帝の時代の建築の芸術と風格を代表する傑作となっている。
- 錫慶門:現在は、珍宝館の入場券売り場となっている。
- 寧寿宮正門:現在は、珍宝館の入口となっている。
- 九龍壁:中国で有名な三つの「九龍壁」の一つ。長さ29.4m、高さ3.5mもある巨大な瑠璃装飾の壁で、1772年(乾隆37年)に建造された。現在は、故宮観光のメインの一つとなっているが、この九龍壁を見るには、別料金が必要となる。
- 皇極殿:1795年(乾隆60年)、治世60年に達した乾隆帝が祖父の康熙帝の治世61年を超えてはならないという名目で帝位を皇太子の愛新覚羅顒琰(嘉慶帝)に譲り、太上皇となった後、院政を敷いた清寧宮の正殿。
- 寧寿宮:明代の名称は仁寿宮。1795年(乾隆60年)、治世60年に達した乾隆帝が祖父の康熙帝の治世61年を超えてはならないという名目で帝位を皇太子の愛新覚羅顒琰(嘉慶帝)に譲り、太上皇となった後、居住した寝殿。現在は、珍宝館の第二展示室となっている。
- 金昭玉粹殿
- 養性殿:清朝の乾隆帝の時代に養心殿を模して建てられたもの。現在は、清朝時代のままの宮廷の姿で陳列されている。
- 暢音閣:宮廷の戯桜(舞台)であったが、現在は、清宮芝居の衣装、道具などが展示されている。
- 閲是楼
- 衍祺門:乾隆花園の南門。
- 楽寿堂:清朝の乾隆帝の時代に円明園の淳化軒を模して建てられたもの。
- 乾隆花園:清朝の乾隆帝の時代に造られた庭園。
- 珍妃井:義和団の乱の最中の1900年(光緒26年)8月15日に光緒帝が最も寵愛した妃であった珍妃が、慈禧皇太后(西太后)によって投げ込まれて殺された井戸。
- 貞順門:寧寿宮の北門。現在は、珍宝館の出口となっている。
- 頤和軒
- 景祺閣
- 尋沿書屋
- 古華軒
- 遂初堂
- 延趣楼
- 翠賞楼
- 養和精舎
- 符望閣
- 玉粹軒
- 竹香館
- 倦勤斎
- 景福宮
- 佛日楼
- 梵華楼
- 慶寿堂
- 兆祥所
乾東五所[ソースを編集]
- 古董房
- 四執庫
- 敬事房
- 寿薬局
- 如意館
重華宮[ソースを編集]
- 崇敬殿
- 重華宮
- 芝蘭室
- 葆中殿
- 雨花閣
- 翠雲館
- 浴徳殿
- 漱芳斎
- 静憩軒
- 金昭玉粹殿
- 随安室
付属遺構[ソースを編集]
- 西苑:紫禁城西部の「北海」・「中海」・「南海」の溜池と周囲の緑地に営まれた庭園と離宮群。北京の水確保のために作られたが、清代には皇帝、皇族などが庭園、離宮を造営した。いまは中華人民共和国の政府機関があり、非公開の所もある。
- 景山:紫禁城の裏山「景山公園」になっている。1644年明朝の崇禎帝が首をつって自殺した所である。
獅子(狛犬)
故宮博物院[ソースを編集]
中華人民共和国北京市の故宮博物院(簡体字:故宫博物院)は、もとの宮殿(紫禁城、別称は故宮)であった所を博物館にしている。2011年5月現在の収蔵品は絵画・陶磁器・文書など180万点である(清朝が残した文物は全体の約85%である)[6]。
一般入場料は40元(4月から10月は60元)。留学生のみ学生証によって学割が適用される場合があるが基本的には外国人は子供も一般料金が適用される。120cm以下の子供は外国人を含めて無料。「珍宝館」および「鐘錶(時計)館」はそれぞれ別料金(10元)である。敷地内は広大で、売店や軽食堂がある[7]。また多くの言語の音声ガイドサービスが用意されていて、中には人工言語のエスペラントまである。等級は中国国家一級博物館に分類されている。
政治的な事情で分離した台湾(中華民国)の国立故宮博物院とは、2009年10月に初の共同展「雍正帝-清・世宗文物大展」を開催しており[8]、2016年9月には国立故宮博物院院長退任直後の馮明珠が中華人民共和国政府の招聘で北京故宮博物院顧問に就任して台湾で物議を醸した[9]。
2013年から文化財の保護やサービス向上を目指す「平安故宮」プロジェクトが進められている[10]。
現在は故宮博物院の敷地外となっている天安門や端門への登楼も有料で可能であり、正門である午門の前にも民営の小さな展示館がたくさんある。
主な展示物[ソースを編集]
文献[ソースを編集]
観光[ソースを編集]
- 入場料は一般40元(4月から10月は60元)。留学生は中国で発行された学生証により学割が適用される場合があるが、基本的に外国人は子供も含めて一般料金が適用になる。学生は20元。珍妃井のある珍宝館(10元)や北側にある景山公園(2元)、南側の天安門の楼上(15元)などは別料金が必要。
- 近年来、主要建築物が順次修復工事中である。2006年4月現在、太和殿や左翼門(dergi ashan duka)等と、景山山頂の万春亭が修復のため立ち入りできない。2008年7月、五輪を目前に太和殿の工事が終了し、装いを新たに一般公開を再開した。
- 2000年以来スターバックス故宮店が営業していた。「伝統か、便利さか」で議論を呼んだが、故宮側の方針変更により2007年7月に閉店した。現在は別のコーヒーショップが同場所に入っている。
- 南群房には、「清韻堂」という骨董品のコピー商品を売る店がある。ここの売りは「溥儀の甥」や「中国の国宝級」の書家が「ボランティア」で書の実演販売を行うことであるが、実際に「溥儀の甥」である証明は付かない。また、「故宮の敷地内で偽物を売るはずがない。」と言っているが、南群房は、故宮博物院の敷地ではない。購入の際には「故宮博物院の鑑定書が付く」と言っているが、実際に付くのは「故宮"清韻堂"」の「証明書」であり、骨董価値を示す鑑定書ではない(「故宮」という単語は商標とは認められていないため、自由に名乗ることができる)。
関連項目[ソースを編集]
- 故宮博物院
- 北京と瀋陽の明・清王朝皇宮
- 中華人民共和国の世界遺産
- 「トゥーランドット」 - 1998年9月紫禁城で上演され話題になったオペラ
- 「ラストエンペラー」 - 愛新覚羅溥儀の生涯を描いた映画。作品中の大半を紫禁城を借り切って撮影された。
- 紫禁城の落日
- 紫禁城の黄昏
- 遜清皇室小朝廷
- フエの建造物群 - 阮朝の古都
- 景福宮 - 李氏朝鮮の王宮
- 瀋陽故宮 - 紫禁城以外で故宮とよばれる場所
- 明故宮 - 南京にある明朝の宮殿跡
- 京都御所
- 京都御苑
- 大内裏
- 内裏
参考文献[ソースを編集]
- 「故宮案内」 遼寧師範大学出版社・大連
- 入江曜子 『紫禁城 清朝の歴史を歩く』 岩波書店〈岩波新書〉、2008年、ISBN 978-4004311416
脚注[ソースを編集]
- ^ China Central Television, The Palace Museum (2005). Gugong: "XI. Flight of the National Treasures"
- ^ 明代には玄武門だったが、康熙帝の名を忌諱して改名された
- ^ 中国の清朝皇帝に関する読本(清時代、台湾、清朝、紫禁城、故宮博物院、衣装、ラストエンペラー)
- ^ 新建築社『NHK 夢の美術館 世界の名建築100選』新建築社、2008年、16頁。ISBN 978-4-7869-0219-2。
- ^ “明初紫禁城与現在的有何不同-香港商報”. www.hkcd.com (2016年7月7日). 2019年2月23日閲覧。
- ^ 野嶋剛『ふたつの故宮博物院』新潮社、2011年、13頁。
- ^ 2007年7月14日、北京の「故宮博物院」敷地内で8年間営業を許可していたスターバックスのコーヒーチェーン店を「中国文化を損なう」との理由で契約を解除したことが報道された
- ^ “雍正文物大展在台開展 両岸故宮交流"春華秋実"”. 中国網. (2009年10月7日) 2017年12月25日閲覧。
- ^ “台北・故宮博物院前院長が北京・故宮研究院の顧問に 「機密が漏れる」と台湾・与党は批判”. 産経新聞. (2016年9月8日) 207-12-25閲覧。
- ^ “故宮博物院、地下宝庫を40%拡大へ 文化財の保護機能も拡充”. AFP (2018年4月26日). 2019年9月24日閲覧。
- ^ NHKスペシャル 故宮の至宝 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
外部リンク[ソースを編集]
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