元史

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元史』(げんし)は、中国王朝(大元ウルス)について書かれた歴史書正史)。二十四史の一。編纂者は宋濂高啓など。本紀47、表8、志58、列伝97の計210巻からなる紀伝体。成立は1369年洪武3年)。収録年代はチンギス・カンイェケ・モンゴル・ウルス(モンゴル帝国)を建国した1206年から、順帝トゴン・テムルが大都を放棄した1367年まで。

拙速な編纂により誤謬・重複・脱漏が多いことが早くより知られており、考証学者の銭大昕が「古今、史成るの速やかなる、未だ元史に如く者あらず。而して文の陋劣もまた、元史に如く者なし」と評するなど、清代には既に正史二十四史の中で最も完成度が低いとの評価が定まっていた。そのため多くの歴史家によって『元史』改訂の試みがなされており、その集大成とも言うべきものが20世紀に編纂された『新元史』であった。

概要[編集]

編纂過程[編集]

前年に皇帝に即位後、大元ウルスを華北から追い落とした洪武帝は洪武2年2月1日に詔を出すと、宋濂を主幹として『元史』の編纂を始めた[1][2]。半年後の8月に一旦に最初の編纂が終わったが、元朝最後の皇帝順帝の本紀がないといった問題点が指摘され、翌洪武3年2月に編纂が再開し[3]、8月に完成を見た[4]。編纂に携わった宋濂・高啓らはいずれも当代一流の文人であったが、『元史』には多くの問題点があった。その原因として第一に、明が成立して即座に編纂が行われたことが挙げられる。普通、正史の編纂には恣意的なものが混じらないように、100年程度の間隔をおいてから行うのが良いとされる。第二に、開始から1年半というごく短時間にて完成したことが挙げられる。その次の正史である『明史』が94年という、歴代でも最長の時間をかけたのとは好対照である。

洪武帝がここまで編纂を急いだのは、漢族王朝を復興したという立場から、夷狄の王朝である元を一刻も早く過去の存在となすと、自らの正当性を誇示したかったゆえと推察される。

原史料[編集]

本紀(『元朝実録』他)[編集]

『進元史表』には「上は太祖(チンギス・カン)より下は寧宗(リンチェンパル・カーン)まで、十三朝実録の文に拠り百巻余りの粗完の史を成す」とあり、『元史』の雛形が「十三朝実録」即ち太祖・太宗・定宗・憲宗・世祖・成宗・武宗・仁宗・英宗・泰定帝・明宗・文宗・寧宗ら元朝の歴代実録を原史料に編纂されたものであったとわかる。

元朝の実録は世祖クビライの治世に編纂が始まったがクビライの存命中には完成せず、成宗テムルの治世に始めて『世祖実録』並びに『太祖実録』・『太宗実録』・『定宗実録』・『睿宗実録』・『憲宗実録』が完成した[5][6]。以後、元朝の歴代皇帝は前代の皇帝の実録を編纂するのが慣例となり、明朝の時代には「十三朝実録」が残されるに至った。

残念ながら『元朝実録』は散逸して現存していないが、『元史』各本紀が各『実録』の性格をそのまま引き継いでいるであろうことは多くの研究者が指摘している。すなわち、各朝『実録』は今上帝が先帝の事蹟を纏めて編纂させるものであるため、基本的に「現政権にとって都合の悪い事実は記されない」という共通点を有しており、『元史』の各本紀もこの特徴を継承している。1例を挙げると、英宗政権によって編纂された『仁宗実録』を元とする「仁宗本紀」は、「仁宗が息子の英宗を即位させるため、武宗の諸子(後の明宗・文宗)を冷遇・排除した」事実を徹底的に排除して編纂されているが、逆に文宗政権によって編纂された英宗〜明宗の『実録』を元にする本紀はその間の経緯を包み隠さず記している[7]

また、当然のことながら最後の皇帝ウカート・カーン(順帝トゴン・テムル)には『実録』が存在せず、そのため第一次編纂の後に編纂官が各地で採録・収集した資料を元に編纂されている。このような編纂経緯のため「順帝本紀」は他の本紀に比べて記述に一貫性がなく、他の書物と比較検討なしに記事間の脈絡を見出すことはほとんど不可能と評されている[8]

志/表(『経世大典』他)[編集]

『元史』巻97志47食貨志5には「(元史の)『食貨』の前誌は『経世大典』に拠って19の項目の項目を載せており、天暦以前については記載が詳細である……」とあるように[9]、『元史』の志類の大部分は天暦2年のジャヤート・カーン(文宗トク・テムル)即位記念に出版された『経世大典』を主要な史料源として編纂されている。

『経世大典』も『元朝実録』と同様に散逸して現存していないが、その一部が『永楽大典』中に「站赤」や「漕運」といった項目で記録されている。『永楽大典』所収の「站赤」 と『元史』巻101兵志4「站赤」を比較すると、後者は前者の文章を一部の語句を代えるのみでそのまま引用しているが、その分量は前者の30分の1程度に過ぎない。そのため、『元史』の志とは、『経世大典』の記載を数十分の一程度に抄録したものであると考えられている。

評価[編集]

17世紀以降、清朝統治下の中国では考証学が盛んとなり、『元史』に対しても顧炎武趙翼銭大昕邵遠平魏源ら名だたる考証学者が批評を行った。

評価点[編集]

列伝の配置[編集]

清初の考証学者銭大昕が最初に指摘した点であり、『元史』の列伝が蒙古人・色目人・漢人の順に編纂されていることを評価するもの。モンゴル帝国及び大元ウルスは前代に類を見ない世界帝国であり、非常に多種多様な地域出身の人物が臣下として仕えていた。その点を踏まえ、『元史』の列伝では第5巻から第32巻までが蒙古人・色目人、第33巻から第73巻までを漢人・南人にあてている。なお、列伝が「后妃列伝-睿宗・裕宗・顕宗・順宗伝」から始まる構成であることを評価する意見も存在する[10]

直訳体漢文の採録[編集]

清代の考証学者たちからは批判点として認識されていたが、近年のモンゴル史研究者からはむしろ評価点として見られるようになったもの。13世紀から14世紀にかけてモンゴル帝国では「モンゴル語を世界共通語とする」という目標の下、征服した諸民族の言語の翻訳環境を整備していた。その過程で中国方面に導入されたのが「モンゴル語直訳体漢文」で、特にクビライの治世以後に文章の定型化が進められたものを「大元ウルス書式」とも呼称する。

「モンゴル語直訳体」はモンゴル語文章をモンゴル語特有の語句と語順を保ったたまま漢文に翻訳した特殊な文章で、モンゴル語と漢語の双方に通じている者ならば元となるモンゴル語文章をある程度復元可能という特徴を持つ。反面、一般的な漢文の知識では全く読めない文章となっており、伝統的な漢文教養を有する考証学者たちはこのような文章を「文は鄙俚を極む」と蔑んだ。逆に、近年のモンゴル史学者にとって直訳体は当時のモンゴル語原文を類推可能な貴重な資料であり、研究対象として注目されている。

『元史』に記載される直訳体で最も著名な例は巻29泰定帝本紀の「即位の詔」であり、実際に杉山正明はこの文章を考察し、大部分のモンゴル語原文を明らかにしている。これ以外にも、各本紀が実録の正確を引き継いでいる点など、原史料を文体を統一せずにそのまま引き写している点がかえって史料価値の高さを生んでいるとされる点がしばしばある[11]

批判点[編集]

列伝の重複[編集]

  • 『元史』巻121列伝8の「速不台」と巻122列伝9の「雪不台」(四狗の一人・スブタイのこと)
  • 『元史』巻131列伝18の「完者都」と巻133列伝20の「完者都拔都」(キプチャク人のオルジェイトゥ・バートルのこと)
  • 『元史』巻150列伝37の「石抹也先」と巻152列伝39の「石抹阿辛」(キタイ人石抹姓のエセンのこと)

宗室世系表の不備[編集]

清代の考証学ではあまり指摘されてこなかったが、『集史』や『五族譜』といったペルシア語史料との比較検討が可能となった20世紀後半以後に指摘されるようになったもの。『五族譜』などの系譜史料と比較したとき、「宗室世系表」にはあまりにも問題点が多いため、杉山正明は「これに基づいて、大元ウルス治下の諸王統を正確に把握することなど、ほとんど不可能事に近い」とさえ称している[12]

根拠のない系譜の創作[編集]

ジョチ家、チャガタイ家、フレグ家といった、所謂「西方3ハン国」の系図にみられるもので、事実に基づかない系図が創作されている。甚だしいのはジョチ家の系図(「朮赤太子位 )でバトゥ(拔都)、サルタク(撒里答)、モンケ・テムル(忙哥帖木児)、トダ・モンケ(脱脱蒙哥)、トクタ(脱脱)、ウズベク(月即別)らジョチ・ウルス歴代当主を全て兄弟関係にあるとしている。詰まるところ、これらの系図は本紀や列伝(ジョチ家の場合は巻107朮赤伝)に散見する人名を何の根拠もなく、恣意的につなぎあわせたものに過ぎないと言える。

同一人名の取り違え[編集]

トクト、テムルといったモンゴル人の間ではありふれた人名でよく見られるもので、同じ名前だが実際には異なる人物を取り違えてしまうもの。以下のような事例が指摘されている。

  • ジョチ家系図(朮赤太子位)の寧肅王トクト(脱脱)、肅王コンチェク(寛撤)父子:ジョチ家のトクタとチャガタイ系チュベイ王家の人物を取り違えている
  • トゥルイ系ソゲドゥ家系図(歲哥都大王位)の荊王トク・テムル(脱脱木児)、荊王イェス・エブゲン(也速不堅)父子:ソゲドゥ家のトク・テムルとオゴデイ系コデン家のトク・テムルを取り違えている
全く関係のない系図の挿入[編集]

ある家系図に全く関係のない別の家系図がいり混ざってしまうもの。例えばチンギス・カンの庶子コルゲンの家系図の第5、第6世代は全く関係のない家系図が混ざりこんだものであると考えられている。また、前述した同一人名の別人を取り違えた箇所から別の家系図が挿入されるという事例もある。  

内容[編集]

本紀[編集]

巻目 巻題 節目
巻1 本紀第1 太祖 太祖テムジン/チンギス・カン
巻2 本紀第2 太宗 定宗 太宗オゴデイ/カアン定宗グユク/カン
巻3 本紀第3 憲宗 憲宗メング/モンケ・カーン
巻4 本紀第4 世祖1 世祖クビライ/セチェン・カーン(中統元年中統2年)
巻5 本紀第5 世祖2 世祖クビライ/セチェン・カーン(中統3年至元元年)
巻6 本紀第6 世祖3 世祖クビライ/セチェン・カーン(至元2年至元6年)
巻7 本紀第7 世祖4 世祖クビライ/セチェン・カーン(至元7年至元9年)
巻8 本紀第8 世祖5 世祖クビライ/セチェン・カーン(至元10年至元12年)
巻9 本紀第9 世祖6 世祖クビライ/セチェン・カーン(至元13年至元14年)
巻10 本紀第10 世祖7 世祖クビライ/セチェン・カーン(至元15年至元16年)
巻11 本紀第11 世祖8 世祖クビライ/セチェン・カーン(至元17年至元18年)
巻12 本紀第12 世祖9 世祖クビライ/セチェン・カーン(至元19年至元20年)
巻13 本紀第13 世祖10 世祖クビライ/セチェン・カーン(至元21年至元22年)
巻14 本紀第14 世祖11 世祖クビライ/セチェン・カーン(至元23年至元24年)
巻15 本紀第15 世祖12 世祖クビライ/セチェン・カーン(至元25年至元26年)
巻16 本紀第16 世祖13 世祖クビライ/セチェン・カーン(至元27年至元28年)
巻17 本紀第17 世祖14 世祖クビライ/セチェン・カーン(至元29年至元31年)
巻18 本紀第18 成宗1 成宗テムル/オルジェイトゥ・カーン(至元31年元貞元年)
巻19 本紀第19 成宗2 成宗テムル/オルジェイトゥ・カーン(元貞2年大徳2年)
巻20 本紀第20 成宗3 成宗テムル/オルジェイトゥ・カーン(大徳3年大徳6年)
巻21 本紀第21 成宗4 成宗テムル/オルジェイトゥ・カーン(大徳7年大徳11年)
巻22 本紀第22 武宗1 武宗カイシャン/クルク・カーン(大徳11年至大元年)
巻23 本紀第23 武宗2 武宗カイシャン/クルク・カーン(至大2年至大4年)
巻24 本紀第24 仁宗1 仁宗アユルバルワダ/ブヤント・カーン(至大4年皇慶 (元)2年)
巻25 本紀第25 仁宗2 仁宗アユルバルワダ/ブヤント・カーン(延祐元年延祐3年)
巻26 本紀第26 仁宗3 仁宗アユルバルワダ/ブヤント・カーン(延祐4年延祐7年)
巻27 本紀第27 英宗1 英宗シデバラ/ゲゲーン・カーン(延祐7年至治元年)
巻28 本紀第28 英宗2 英宗シデバラ/ゲゲーン・カーン(至治2年至治3年)
巻29 本紀第29 泰定帝1 泰定帝イェスン・テムル・カーン(至治3年泰定2年)
巻30 本紀第30 泰定帝2 泰定帝イェスン・テムル・カーン(泰定3年致和元年)
巻31 本紀第31 明宗 明宗コシラ/クトクト・カーン(天暦1329年)
巻32 本紀第32 文宗1 文宗トク・テムル/ジャヤート・カーン(天暦元年)
巻33 本紀第33 文宗2 文宗トク・テムル/ジャヤート・カーン(天暦2年)
巻34 本紀第34 文宗3 文宗トク・テムル/ジャヤート・カーン(至順元年)
巻35 本紀第35 文宗4 文宗トク・テムル/ジャヤート・カーン(至順2年)
巻36 本紀第36 文宗5 文宗トク・テムル/ジャヤート・カーン(至順3年)
巻37 本紀第37 寧宗 明宗コシラ/クトクト・カーン(至順3年)
巻38 本紀第38 順帝1 順帝トゴン・テムル/ウカート・カーン(元統元年後至元元年)
巻39 本紀第39 順帝2 順帝トゴン・テムル/ウカート・カーン(後至元2年後至元4年)
巻40 本紀第40 順帝3 順帝トゴン・テムル/ウカート・カーン(後至元5年至正2年)
巻41 本紀第41 順帝4 順帝トゴン・テムル/ウカート・カーン(至正3年至正8年)
巻42 本紀第42 順帝5 順帝トゴン・テムル/ウカート・カーン(至正9年至正12年)
巻43 本紀第43 順帝6 順帝トゴン・テムル/ウカート・カーン(至正13年至正14年)
巻44 本紀第44 順帝7 順帝トゴン・テムル/ウカート・カーン(至正15年至正16年)
巻45 本紀第45 順帝8 順帝トゴン・テムル/ウカート・カーン(至正17年至正20年)
巻46 本紀第46 順帝9 順帝トゴン・テムル/ウカート・カーン(至正21年至正25年)
巻47 本紀第47 順帝10 順帝トゴン・テムル/ウカート・カーン(至正26年至正28年)

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巻目 巻題 節目
巻48 志第1 天文1
巻49 志第2 天文2
巻50 志第3上 五行1
巻51 志第3下 五行2
巻52 志第4 暦1
巻53 志第5 暦2
巻54 志第6 暦3
巻55 志第7 暦4
巻56 志第8 暦5
巻57 志第9 暦6
巻58 志第10 地理1
巻59 志第11 地理2
巻60 志第12 地理3
巻61 志第13 地理4
巻62 志第14 地理5
巻63 志第15 地理6
巻64 志第16 河渠1
巻65 志第17上 河渠2
巻66 志第17下 河渠3
巻67 志第18 礼楽1
巻68 志第19 礼楽2
巻69 志第20 礼楽3
巻70 志第21 礼楽4
巻71 志第22 礼楽5
巻72 志第23 祭祀1
巻73 志第24 祭祀2
巻74 志第25 祭祀3
巻75 志第26 祭祀4
巻76 志第27上 祭祀5
巻77 志第27下 祭祀6
巻78 志第28 輿服1
巻79 志第29 輿服2
巻80 志第30 輿服3
巻81 志第31 選挙1
巻82 志第32 選挙2
巻83 志第33 選挙3
巻84 志第34 選挙4
巻85 志第35 百官1
巻86 志第36 百官2
巻87 志第37 百官3
巻88 志第38 百官4
巻89 志第39 百官5
巻90 志第40 百官6
巻91 志第41上 百官7
巻92 志第41下 百官8・選挙附録
巻93 志第42 食貨1
巻94 志第43 食貨2
巻95 志第44 食貨3
巻96 志第45上 食貨4
巻97 志第45下 食貨5
巻98 志第46 兵1
巻99 志第47 兵2
巻100 志第48 兵3
巻101 志第49 兵4
巻102 志第50 刑法1
巻103 志第51 刑法2
巻104 志第52 刑法3
巻105 志第53 刑法4

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巻目 巻題 節目
巻106 表第1 后妃表
巻107 表第2 宗室世系表
巻108 表第3 諸王表
巻109 表第4 諸公主表
巻110 表第5上 三公表1
巻111 表第5下 三公表2
巻112 表第6上 宰相年表1
巻113 表第6下 宰相年表2

列伝[編集]

巻目 巻題 節目
巻114 列伝第1 后妃一 - 太祖后孛児台旭真太宗后脱列哥那定宗后斡兀立海迷失憲宗后忽都台世祖后察必世祖后南必成宗后失憐答里成宗后卜魯罕武宗后真哥武宗后速哥失里武宗妃亦乞烈氏唐兀氏仁宗后阿納失失里英宗后速哥八剌泰定帝后八不罕・泰定帝妃必罕・速哥答里明宗后邁來迪明宗后八不沙文宗后卜答失里・寧宗后答里也忒迷失・順帝后答納失里順帝后伯顔忽都順帝后完者忽都
巻115 列伝第2 睿宗裕宗顕宗順宗
巻116 列伝第3 后妃二 - 睿宗后唆魯和帖尼裕宗后伯藍也怯赤顕宗后普顔怯里迷失順宗后答己
巻117 列伝第4 別里古台朮赤禿剌牙忽都寛徹普化帖木児不花
巻118 列伝第5 特薛禅孛禿阿剌兀思剔吉忽里
巻119 列伝第6 木華黎博魯朮博爾忽
巻120 列伝第7 察罕札八児火者朮赤台鎮海肖乃台吾也而曷思麦里
巻121 列伝第8 速不台按竺邇畏答児博羅歓抄思
巻122 列伝第9 巴而朮阿而忒的斤鉄邁赤・按扎児忙漢・雪不台唵木海昔里鈐部槊直腯魯華昔児吉思哈散納
巻123 列伝第10 布智児・召烈台抄兀児・闊闊不花拜延八都魯阿朮魯・紹古児子忽都虎・阿剌瓦而思・抄児阿必察・也蒲甘卜昂阿禿・趙阿哥潘・純只海・苫徹抜都児・怯怯里・相兀速・塔不已児・脱察剌・直脱児・忽剌出・月里麻思・捏古剌阿塔赤・阿児思蘭・哈八児禿・察罕・艾貌
巻124 列伝第11 塔本・哈剌亦哈赤北魯・塔塔統阿岳璘帖穆爾李楨速哥忙哥撒児孟速思
巻125 列伝第12 賽典赤贍思丁布魯海牙高智耀鉄哥
巻126 列伝第13 安童兀都帯廉希憲
巻127 列伝第14 伯顔
巻128 列伝第15 阿朮阿里海牙相威土土哈
巻129 列伝第16 来阿八赤紐璘阿剌罕阿塔海唆都李恒
巻130 列伝第17 徹里不忽木完沢阿魯渾薩理
巻131 列伝第18 速哥嚢加歹忙兀台奥魯赤完者都伯帖木児懐都亦黒迷失拝降
巻132 列伝第19 杭忽思歩魯合答玉哇失麦里探馬赤抜都児昂吉児哈剌䚟沙全帖木児不花
巻133 列伝第20 塔出拝延也罕的斤葉仙鼐脱力世官忽剌出重喜・旦只児・脱歓完者都拔都失里伯孛蘭奚怯烈暗伯也速䚟児昔都児
巻134 列伝第21 撒吉思昔班鉄連愛薛闊闊・禿忽魯・唐仁祖朶児赤和尚劉容迦魯納答思闊里吉思英語版小雲石脱忽憐斡羅思・朶羅台・也先不花
巻135 列伝第22 鉄哥朮・塔出・塔里赤・塔海帖木児・口児吉・忽都・孛児速・月挙連赤海牙・阿答赤明安忽林失・失剌抜都児・徹里・曷剌・乞台・脱因納・和尚
巻136 列伝第23 哈剌哈孫阿沙不花拝住
巻137 列伝第24 察罕曲樞阿礼海牙奕赫抵雅爾丁脱烈海牙
巻138 列伝第25 康里脱脱燕鉄木児伯顔馬札児台脱脱
巻139 列伝第26 乃蛮台朶児只朶爾直班阿魯図紐的該
巻140 列伝第27 別児怯不花太平鉄木児塔識達識帖睦邇
巻141 列伝第28 太不花察罕帖木児擴廓帖木児
巻142 列伝第29 答失八都魯慶童也速徹里帖木児納麟
巻143 列伝第30 馬祖常自当阿栄小雲石海涯泰不華余闕
巻144 列伝第31 答里麻月魯帖木児卜顔鉄木児星吉福寿道童
巻145 列伝第32 亦憐真班廉恵山海牙月魯不花達礼麻識理
巻146 列伝第33 耶律楚材粘合重山楊惟中
巻147 列伝第34 張柔史天倪史天祥
巻148 列伝第35 董俊厳実
巻149 列伝第36 耶律留哥劉伯林郭宝玉石天応耶律禿花王珣
巻150 列伝第37 石抹也先何伯祥李守賢耶律阿海何実郝和尚抜都趙瑨石抹明安張栄劉亨安
巻151 列伝第38 薛塔剌海高閙児王義王玉趙迪邸順王善杜豊石抹孛迭児賈塔剌渾奧敦世英田雄張抜都張栄趙天錫
巻152 列伝第39 張晋亨王珍楊傑只哥劉通岳存張子良唐慶斉栄顕石天禄石抹阿辛劉斌趙柔
巻153 列伝第40 劉敏王檝王守道高宣王玉汝焦徳裕石天麟李邦瑞楊奐賈居貞
巻154 列伝第41 洪福源鄭鼎李進石抹按只謁只里鄭温
巻155 列伝第42 汪世顕史天沢
巻156 列伝第43 董文炳張弘範
巻157 列伝第44 劉秉忠張文謙郝経
巻158 列伝第45 姚枢許衡竇黙
巻159 列伝第46 宋子貞商挺趙良弼趙璧
巻160 列伝第47 王磐王鶚高鳴李冶李昶劉粛王思廉李謙徐世隆孟祺閻復
巻161 列伝第48 楊大淵劉整
巻162 列伝第49 李忽蘭吉李庭史弼高興劉国傑
巻163 列伝第50 李徳輝張雄飛張徳輝馬亨程思廉烏古孫沢趙炳
巻164 列伝第51 楊恭懿王恂郭守敬楊桓楊果王構魏初焦養直孟攀麟尚野李之紹
巻165 列伝第52 張禧賈文備解誠管如徳趙匣剌周全孔元朱国宝張立斉秉節張万家奴郭昂綦公直楊賽因不花鮮卑仲吉完顔石柱
巻166 列伝第53 王綧隋世昌羅璧劉恩石高山鞏彦暉蔡珍張泰亨賀祉孟徳鄭義張栄実石抹狗狗楚鼎樊楫張均信苴日段興智信苴福王昔剌趙宏偉
巻167 列伝第54 張立道張庭珍張恵劉好礼王国昌姜彧張礎譚資栄王惲
巻168 列伝第55 陳祐劉宣何栄祖陳思済秦長卿姚天福許国禎
巻169 列伝第56 賀仁傑賈昔剌劉哈剌八都魯石抹明里謝仲温高觿張九思王伯勝
巻170 列伝第57 尚文申屠致遠雷膺胡祗遹王利用暢師文張炤袁裕張昉郝彬高源楊湜呉鼎梁徳珪
巻171 列伝第58 劉因呉澄
巻172 列伝第59 程鉅夫趙孟頫鄧文原袁桷曹元用斉履謙
巻173 列伝第60 崔斌崔彧葉李燕公楠馬紹
巻174 列伝第61 姚燧郭貫夾谷之奇劉賡耶律有尚郝天挺張孔孫
巻175 列伝第62 張珪李孟張養浩敬儼
巻176 列伝第63 曹伯啓李元礼王寿王倚劉正謝讓韓若愚趙師魯劉徳温尉遅徳誠秦起宗
巻177 列伝第64 張思明呉元珪張昇臧夢解陳顥
巻178 列伝第65 梁曾劉敏中王約王結張伯淳
巻179 列伝第66 賀勝楊朶児只蕭拝住
巻180 列伝第67 耶律希亮趙世延孔思晦
巻181 列伝第68 元明善虞集掲傒斯黄溍
巻182 列伝第69 張起巌欧陽玄許有壬宋本謝端
巻183 列伝第70 王守誠王思誠李好文孛朮魯翀李泂蘇天爵
巻184 列伝第71 王都中王克敬任速哥陳思謙韓元善崔敬
巻185 列伝第72 呂思誠汪沢民干文伝韓鏞李稷蓋苗
巻186 列伝第73 張楨帰暘陳祖仁成遵曹鑑張翥
巻187 列伝第74 烏古孫良楨賈魯逯魯曾貢師泰周伯琦呉当
巻188 列伝第75 董摶霄劉哈剌不花王英石抹宜孫
巻189 列伝第76 儒学一 - 趙復金履祥許謙陳櫟胡一桂黄沢同恕安熙
巻190 列伝第77 儒学二 - 胡長儒・熊朋来・戴表元・牟応龍・陳孚・董朴・楊載・劉詵・韓性・呉師道・陸文圭・周仁栄・陳旅・李孝光・宇文公諒・伯顔・贍思
巻191 列伝第78 良吏一 - 譚澄許維禎許楫田滋卜天璋
巻192 列伝第79 良吏二 - 耶律伯堅段直諳都剌楊景行林興祖観音奴周自強白景亮王艮盧琦・鄒伯顔・劉秉直許義夫
巻193 列伝第80 忠義一 - 李伯温石珪攸哈剌抜都任志耶律忒伯八・合剌普華・劉天孚蕭景茂
巻194 列伝第81 忠義二 - 張桓李黼李斉褚不華郭嘉喜同韓因卞琛喬彝顔瑜王士元楊樸趙璉孫撝石普盛昭楊乘納速剌丁
巻195 列伝第82 忠義三 - 伯顔不花的斤樊執敬全普庵撒里周鏜聶炳劉耕孫兪述祖桂完沢丑閭孛羅帖木児彭庭堅王伯顔劉濬朶里不花野峻台陳君用卜理牙敦潮海魏中立
巻196 列伝第83 忠義四 - 普顔不花閔本趙弘毅鄭玉柏帖穆爾迭里彌実朴賽因不花丁好礼
巻197 列伝第84 孝友一 -
巻198 列伝第85 孝友二 -
巻199 列伝第86 隱逸 - 杜瑛張特立杜本孫轍何中武恪
巻200 列伝第87 列女一 - 朱淑信葛妙真李冬児朱錦哥馮淑安趙哇児王安哥
巻201 列伝第88 列女二 - 范妙元陳淑真夏婉常潘妙圓劉翠哥羅妙安安正同徐彩鸞禹淑靜
巻202 列伝第89 釋老 - 八思巴丘処機祁志誠張宗演酈希成蕭輔道
巻203 列伝第90 方技 - 田忠良靳徳進張康孫威・阿老瓦丁・亦思馬因・阿尼哥
巻204 列伝第91 宦者 - 李邦寧朴不花
巻205 列伝第92 姦臣 - 阿合馬盧世栄桑哥鉄木迭児哈麻搠思監
巻206 列伝第93 叛臣 - 李璮王文統阿魯輝帖木児
巻207 列伝第94 逆臣 - 鉄失孛羅帖木児
巻208 列伝第95 外夷一 - 高麗耽羅日本
巻209 列伝第96 外夷二 - 安南
巻210 列伝第97 外夷三 - 占城爪哇琉求三嶼

脚注[編集]

  1. ^ 『明太宗実録』洪武二年二月丙寅朔「詔修元史」
  2. ^ 『明太宗実録』洪武二年七月乙未「詔遣儒士欧陽佑等十二人往北平等処、采訪故元元統及至正三十六年事蹟、増脩元史。時諸儒脩元史将成詔先成者上進闕者俟續采補之」
  3. ^ 『明太宗実録』洪武三年二月乙丑「詔続脩元史。時儒士欧陽佑等采摭故元元統以後事実還朝。仍命翰林学士宋濂、待制王禕為総裁、儒士趙壎・朱右・貝瓊・朱濂・王彝・張孟兼・高遜志・李懋・李汶・張宣・張簡・杜寅・殷弼・寅同十四人、同纂脩」
  4. ^ 『明太宗実録』洪武三年秋七月丁亥朔「続修元史成。計五十有三巻、紀十・志五・表二・列傳三十六。凡前書未備者、悉補完之、通二百一十二巻。翰林院学士宋濂率諸儒以進。詔刊行之人、賜白金二十両・文綺帛各二、授儒士張宣等官。惟趙壎・朱右・朱廉乞還田里、従之」
  5. ^ 『元史』巻18成宗本紀1「[元貞元年五月]甲寅、翰林承旨董文用等進『世祖実録』」
  6. ^ 『元史』巻21成宗本紀4「[大徳7年冬十月]庚戌、翰林國史院進太祖・太宗・定宗・睿宗・憲宗五朝『実録』」
  7. ^ 杉山1995,124頁
  8. ^ 宮2018,395-397頁
  9. ^ 『元史』巻97志47下食貨志5「食貨前誌、拠『経世大典』為之目、凡十有九、自天歷以前、載之詳矣」
  10. ^ 小林1972,13-22頁
  11. ^ 小林1972,18-20頁
  12. ^ 杉山2004,243頁

参考文献[編集]

  • 内藤湖南著『支那史学史』
  • 箭内亙『蒙古史研究』刀江書院、1930年
  • 小林高四郎『元史』明徳出版社、1972年
  • 杉山正明「大元ウルスの三大王国:カイシャンの奪権とその前後 (上)」『京都大學文學部研究紀要』34号、1995年
  • 杉山正明『モンゴル帝国と大元ウルス』京都大学学術出版会、2004年
  • 宮紀子『モンゴル時代の「知」の東西』名古屋大学出版会、2018年

外部リンク[編集]

  • 国学ネット — 原典宝庫『元史』(1巻/本紀1 - 210巻/列伝97・編集後記)(簡体字中国語)