ひまわり (1970年の映画)

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ひまわり
I Girasoli
Sunflower
Подсолнухи
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ソフィア・ローレン
監督 ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本 チェーザレ・ザヴァッティーニ
アントニオ・グエラ
ゲオルギ・ムディバニ
製作 アーサー・コーン
カルロ・ポンティ
製作総指揮 ジョセフ・E・レヴィーン
出演者 マルチェロ・マストロヤンニ
ソフィア・ローレン
リュドミラ・サベーリエワ
音楽 ヘンリー・マンシーニ
撮影 ジュゼッペ・ロトゥンノ
公開 イタリアの旗 1970年3月14日
ソビエト連邦の旗 1970年5月24日
日本の旗 1970年9月12日
アメリカ合衆国の旗 1970年9月25日
フランスの旗 1970年10月14日
上映時間 101分
製作国 イタリアの旗 イタリア
フランスの旗 フランス
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 イタリア語
ロシア語
英語
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ひまわり』(原題(イタリア語): I Girasoli )は、マルチェロ・マストロヤンニソフィア・ローレンが主演した、1970年公開のイタリアフランスソビエト連邦アメリカ合衆国の合作映画。日本での公開は1970年9月12日。

監督ネオレアリズモ(イタリアンリアリズム)の一翼を担ったヴィットリオ・デ・シーカ。冷戦期にソビエト連邦で初めて撮影された西側諸国の映画である。音楽をヘンリー・マンシーニが担当し、数多くの映画音楽を手がけたマンシーニの作品中でも特に評価は高く、主題曲は世界中でヒットした。戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を悲哀たっぷりに描いた作品で、エンディングでの地平線にまで及ぶ画面一面のひまわり畑が評判となった。このひまわり畑はソビエト連邦時代のウクライナの首都キエフから南へ500キロメートルほど行ったヘルソン州で撮影されたものである[1]。数あるローレン主演の映画の中で最も日本で愛されている作品である。

2020年に、「ひまわり 50周年HDレストア版」として上映。

ストーリー[編集]

第二次世界大戦終結後のイタリア。出征したきり行方不明の夫の消息を求め、関係省庁へ日参する女性の姿があった。

戦時中、洋裁で生計を立てる陽気なナポリジョバンナアフリカ戦線行きを控えた兵士アントニオは海岸で出会い、すぐに恋に落ちる。12日間の結婚休暇を目当てに結婚式を挙げた2人は、幸せな新婚の日々を過ごす[2]が、休暇の12日間は瞬く間に過ぎてしまう。精神疾患による除隊を目論んだアントニオは首尾よく精神病院に入院するが、あえなく詐病が露見、懲罰のためソ連戦線へと送られることに。見送るジョバンナに「毛皮がお土産だ」と笑顔を見せるアントニオら大勢の兵士を乗せた汽車は、ミラノ中央駅を出発する。

終戦後、ジョバンナは年老いたアントニオの母親を励ましながら、夫の帰りを何年も待ち続け、ようやく同じ部隊にいたという男を見つける。男の話によると、アントニオは敗走中、極寒の雪原で倒れたという。ジョバンナは愛するアントニオを探しに、ヨシフ・スターリン亡き後のソ連へ行くことを決意する。

当時のソ連は社会主義国家であり、ジョバンナが降り立ったモスクワは別世界だった。かつてイタリア軍が戦闘していたという南部ウクライナの街でアントニオの写真を見せて回るジョバンナだったが、一向に消息が掴めない。ジョバンナの前に、地平線の彼方まで続くひまわり畑が広がる。多くの兵士たちがこのひまわりの下に眠っているという。無数の墓標が並ぶ丘[3]まで案内した役人の男性はジョバンナに「諦めたほうが良いのでは」と言うが、彼女はきっぱりと「夫はここにいない」と言い拒絶する。やがてとある駅の雑踏の中で、戦後も祖国へは戻らずにロシア人として生活しているイタリア人男性と出会う。しかし彼は多くを語らず、また、アントニオのことも知らないと言う。ジョバンナはもしやアントニオもと、微かな不安を抱く。

言葉も通じない異国で、なおも諦めずにアントニオを探し続けるジョバンナは、ある村で写真を見せた3人の中高年の女性たちから、身振りを交えてついて来るように言われ、一軒の慎ましい家に案内される。そこには、若妻風のロシア人女性マーシャと幼い女の子カチューシャが暮らしていた。言葉は通じずとも互いに事情を察するジョバンナとマーシャ。マーシャはジョバンナを家に招き入れる。室内には枕が2つ置かれた夫婦のベッドがあった。マーシャは片言のイタリア語で、アントニオと出会った過去を話し始める。雪原で凍死しかけていた彼をマーシャが救ったのだが、その時アントニオは、自分の名さえ思い出せないほど記憶を無くしていたという。

やがて汽笛が聴こえ、マーシャはジョバンナを駅に連れて行く。汽車から次々と降り立つ労働者たちの中に、アントニオの姿があった。駆け寄ったマーシャをアントニオは抱き寄せようとするが、マーシャは彼をとどめてジョバンナの方を指さす。驚くアントニオ、やつれ果てたジョバンナ。かつての夫と妻は距離をおいたまま、身じろぎもせず互いを見つめ合う[4]。ジョバンナの表情が悲しみで歪み、アントニオが何か言おうと一歩踏み出した途端、ジョバンナは背を向け、既に動き出していた汽車に乗せてくれと叫び、飛び乗る。そして、座席に倒れ込むように座ると、見知らぬロシアの人々が奇異の目で見る中、声を上げてむせび泣く。

ジョバンナが去った後、アントニオとマーシャ夫婦は新築の高層アパートに引っ越すが、新しい生活のスタートであるはずのその日の晩、アントニオは物思いに沈んでほとんど口を利かない。そんなアントニオを見てマーシャは「もう私を愛してないの?」と涙を浮かべる。

ミラノに帰ったジョバンナは、壁に飾ってあったアントニオの写真を外し、泣きながら踏みつけ、そして男たちと遊ぶ荒れた生活を始める。そんな中で訪ねてきたアントニオの母親は、ジョバンナの不実を咎めるが、ジョバンナはソ連で見たアントニオの様子を母親にぶちまける。死んでいたほうがましだった、と。

月日が経ち、マーシャの許しを得たアントニオは、約束していた毛皮をモスクワで買い求め、ミラノへ向かう。嵐で停電したアパートの暗闇の中、再会した2人だったが、感情がすれ違う。アントニオは毛皮を渡し、もう一度2人でやり直そうと訴えるが、その時、隣の部屋から赤ん坊の泣き声が。赤ん坊を見て名前を訊く彼に、ジョバンナは赤ん坊の名はアントニオだと言う。ジョバンナもまた別の人生を歩んでいることを知ったアントニオは、ソ連に帰ることを決心する。

翌日のミラノ中央駅。モスクワ行きの汽車に乗るアントニオをジョバンナが見送りに来る。二度と会うことはない2人。動き始めた汽車の窓辺に立ったままジョバンナを見詰めるアントニオ。遠ざかり消えてゆく彼の姿に、ジョバンナは抑えきれず涙を流し、ホームにひとり立ち尽くす。彼を乗せた汽車が去っていったこのホームは、以前戦場へ行く若き夫を見送った、その同じホームだった。

キャスト[編集]

※括弧内は日本語吹替[5](テレビ版、放送日1984年10月19日他)

脚注[編集]

  1. ^ ウクライナ情報:エピソード集(映画編)”. 在ウクライナ日本国大使館. 2015年9月30日閲覧。
  2. ^ アントニオが新婚早々に作ったのは、祖父も父も結婚式の翌日に作ったという、卵24個で作るプレーンオムレツ。アントニオがバターを使おうとすると、ジョバンナは「私の家は油よ」という。さすがに大きすぎて全部は食べれず、「しばらく卵とは絶交だ」。
  3. ^ この丘には慰霊碑があり、ソ連の詩人ミハイル・スヴェトロフロシア語版の詩「イタリア人」の一節が刻まれていた。"Молодой уроженец Неаполя!Что оставил в России ты на поле? Почему ты не мог быть счастливым Над родным знаменитым заливом?" (訳:ナポリに生まれし若者よ!/ロシアの平原に君は何か残していたのか?/なぜ幸福になれなかったのだ、故郷の名高い湾を見下ろしながら。)
  4. ^ ジョバンナの背後で動き出した列車とテーマ曲が見事にシンクロする名場面である。
  5. ^ 演出:田島荘三、翻訳:トランス・グローバル、調整:杉浦日出弥、制作:トランス・グローバル

関連項目[編集]

  • ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ主演、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の映画。
  • 言葉にできない - オフコースの楽曲。1982年6月30日日本武道館公演では曲の後半部分で『ひまわり』の中の、一面に広がるひまわり畑のシーンがスクリーンに映された。このアイデアについて小田和正は「まさに言葉にできないほどの、圧倒的な花の映像が欲しかったので、映画の版権の一部を買い取って武道館一面、ひまわりで埋めたんだ」と、後のインタビューで答えている。

外部リンク[編集]