渡辺謙

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わたなべ けん
渡辺 謙
渡辺 謙
2007年5月10日ニューヨークブルックリンにて。
本名 渡辺 謙
生年月日 1959年10月21日(54歳)
出生地 日本の旗 日本 新潟県北魚沼郡広神村
魚沼市小出町
民族 日本人
身長 184 cm
血液型 A型
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1979年 -
活動内容 1979年:演劇集団 円入団
1982年:正劇団員へ昇格
1987年:『独眼竜政宗
1989年白血病発症
2002年ケイダッシュへ移籍
2003年:『ラストサムライ
2006年:『硫黄島からの手紙
2009年:『沈まぬ太陽
2010年:『インセプション
配偶者 一般人(1983年 - 2005年
南果歩2005年 - )
家族 前妻との間に
渡辺大(息子)、(娘)
事務所 ケイダッシュ
公式サイト プロフィール
主な作品
日本映画
タンポポ』/『海と毒薬
スペーストラベラーズ
陽はまた昇る』/『北の零年
明日の記憶
日本国外映画
ラストサムライ』/『SAYURI
硫黄島からの手紙』/『インセプション
テレビドラマ
はね駒』/『独眼竜政宗
仕掛人・藤枝梅安
池袋ウエストゲートパーク
御家人斬九郎』/『砂の器
舞台
下谷万年町物語』/『ピサロ
ハムレット』/『永遠 Part2

渡辺 謙(わたなべ けん、1959年昭和34年)10月21日 - )は、日本俳優。本名同じ。「謙」は越後戦国武将上杉謙信に因む。新潟県北魚沼郡広神村魚沼市小出町)出身。演劇集団 円を経て2002年平成14年)よりケイダッシュ所属。

日本国内・日本国外双方において映画を中心にテレビドラマ舞台テレビコマーシャルと幅広く活躍する俳優の一人。身長184cm体重80kgてんびん座[1][2]。父の渡辺亮一は画家として活動している。

来歴[編集]

デビューまで[編集]

新潟県北魚沼郡広神村にて共に教師をしていた両親の元に生まれる。両親の転勤で幼少期を入広瀬村守門村(ともに魚沼市)、高田市上越市)で過ごす。新潟県立小出高等学校在学時には吹奏楽部に所属し、幼少の頃から親しんできたトランペットを担当。高校卒業後の1978年、東京の武蔵野音楽大学進学を目指す。しかし正規の音楽教育は受けておらず、また渡辺が中学生の時、父・亮一が病に倒れ仕事が出来なくなったこともあり、学費捻出の困難などの問題から断念。

同年、芥川比呂志演出による演劇集団 円公演『夜叉ヶ池』を観劇して感銘を受け、翌年に同劇団附属の研究所に入所。アルバイト先で知り合った猪俣公章の紹介で唐十郎作、蜷川幸雄演出『下谷万年町物語』のオーディションを受け、研究生ながら主演の青年役に抜擢された。

1982年(昭和57年)、演劇集団 円の劇団員に昇格し、『未知なる反乱』でテレビデビューを果たすと1984年には『瀬戸内少年野球団』で映画デビュー。その後も『タンポポ』、『海と毒薬』などの映画に相次いで準主役級で出演。1986年(昭和61年)のNHK朝の連続テレビ小説はね駒』にも出演した。

『独眼竜 政宗』、『藤枝 梅安』と闘病[編集]

1987年(昭和62年)のNHK大河ドラマ独眼竜政宗』で主役(伊達政宗役)を演じ、39.7%という大河ドラマ史上最高の平均視聴率を獲得。一躍全国的な人気を獲得、スターダムにのし上がる。また、その頃から歌手としても1992年(平成4年)頃まで活動していた。

以降、舞台・テレビドラマなどで次々と大役を演じ、前途洋々に見えた1989年(平成元年)、映画初主演となるはずであった『天と地と』の撮影中に急性骨髄性白血病を発症し降板。再起はおろか生命も危ぶまれたが、約1年の闘病の後、治療を続けながらも俳優業に復帰。定期的に入院治療を続けながら、仕掛人・藤枝梅安を中心に活動するが、大きな仕事はできなかった。経過は良好に見え、一応治療が終了した1993年(平成5年)、NHK大河ドラマ『炎立つ』に再び主演、完全復活をアピール。しかし、発病から5年経過した1994年(平成6年)に再発。再治療を行い、経過は良好となって、翌年無事復帰を果たす。

方向性の模索[編集]

病気再発を経て再復帰した時期と前後して、初の本格的娯楽時代劇シリーズドラマ『御家人斬九郎』、2時間ドラマでは『わが町』『鍵師』などが当たり役となりシリーズ化されたが、渡辺はあまりにも強烈な「政宗」のイメージと、俳優としての評価以前にまず病気のことを持ち出されることなどに悩んでいたという。30代の終わりを機にこれらの人気シリーズを全て終了させるとともに、従来彼のイメージにはなかった悪役・ダメ男役・格好悪い役柄などを積極的に演じるようになる。2000年(平成12年)には、『池袋ウエストゲートパーク』に出演。2001年(平成13年)、久々に演劇集団 円の公演『永遠 Part2』で舞台に立つが、これが結局「円」での最後の舞台となった。2002年(平成14年)元日をもって演劇集団 円を退団、所属をケイダッシュに移す。

世界進出と映画初主演[編集]

日本国外映画初出演となったアメリカ映画ラストサムライ』(2003年公開)で、渡辺は同年度の第76回アカデミー賞助演男優賞ならびに第61回ゴールデングローブ賞 助演男優賞第30回サターン賞 助演男優賞にノミネートされる等高い評価を得る[3]。これを機にロサンゼルスに居を構え、『バットマン ビギンズ』や『SAYURI』など日本国外映画に立て続けに出演。当初通訳を要していた英会話に関しても猛勉強の末、殆どの会話を自らこなしている(現地での生活ぶりや英語学習の様子は「AERA English」に掲載中)。2005年には米国のTIME誌の表紙にグラビアが掲載されたりピープル誌が企画する「最もセクシーな外国人男性」に選出されたりするなど、米国における知名度が最も高い日本人俳優の一人である。

日本映画では2006年(平成18年)に、荻原浩小説明日の記憶』映画化作品で映画初主演を果たす[4]。同作品の映画化に当たっては各映画会社の駆け引きがあり、渡辺を含む複数の日本を代表する大物俳優達が候補に挙がったが、自らも闘病経験があり原作に人一倍の共感を持てた渡辺が、荻原に映画化を熱望する旨の手紙を直接送付したことで(荻原は最初誰かの悪戯だと思ったが、紛れもなく渡辺本人からのものだと知り仰天したという)、渡辺の主演で映画化された。白血病の発症以降、患者役や医療関係者役、難病を扱った作品は避けてきたが、この作品で若年性のアルツハイマー病に冒されていくという主人公を演じている。また、映画公開と同じ時期に発表した自らの著書『誰? - WHO AM I?』で、かつて白血病の治療中頻繁に受けた輸血(主に血小板輸血)が原因でC型肝炎ウィルスに感染し、『明日の記憶』の撮影はその治療の副作用に悩まされながら敢行していたことを告白。現在は急性骨髄性白血病・C型肝炎ウィルス感染ともに問題のない良好な状態を保っているという。更にこの作品で初めてエグゼクティブ・プロデューサーを兼任[5]。映画の普及とアルツハイマー病への理解を促進するため全国各地を奔走した(ただし、渡辺本人は「自分はプロデューサーというよりも『イントロデューサー(紹介者)』である」と述べている)。

2006年には、クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』に、栗林忠道役で日本国外映画初主演。他の主要日本人キャストはオーディションの末選出されたが、渡辺だけは監督から直接出演要請があった。外国語映画賞を受賞したゴールデングローブ賞の授賞式において、壇上のクリント・イーストウッド監督は「偉大なるケン・ワタナベに敬意を表したい」と渡辺に言葉を贈った。

2007年2月25日日本時間26日)、第79回アカデミー賞授賞式に出席し、カトリーヌ・ドヌーヴと2人で非英語圏の俳優代表として舞台に立ち、賞が設定されて50周年を迎えた外国語映画賞の歴史を紹介した。

2008年2月に撮影開始された映画『ダレン・シャン』にも、サーカスのオーナー、Mr.トールで出演。また、『バットマン ビギンズ』で仕事をしたクリストファー・ノーラン 監督の新作サスペンス『インセプション』で再び起用されている。

2009年平成21年)10月山崎豊子原作の映画『沈まぬ太陽』に恩地元役で主演し、第33回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、第34回報知映画賞主演男優賞を受賞。映画公開初日の舞台挨拶にて作品・撮影の厳しさを語り男泣きした。

2014年には、新たに製作されるハリウッド版『ゴジラ』へのメインキャストの一人として出演が決定している。

人物[編集]

1996年に刊行された社会派映画監督熊井啓の著書「映画の深い河」では、深く渡辺について言及している。熊井の「海と毒薬」に起用するかどうか判断するために初めて渡辺と会った時に感じた独特の雰囲気は、「初めて石原裕次郎小林旭赤木圭一郎吉永小百合らを見た時に感じたスター性と同じものを感じた」と記している。また、スター性だけでなく「海と毒薬」の製作過程で長尺のアフレコを行った際のあまりにも正確な仕事ぶりに感心し、三船敏郎に劣らない卓越した集中力を持っている俳優であると激賞。そして、いつか渡辺主演で映画を撮りたいと述べていた。

1983年(昭和58年)に結婚した前夫人とは2年に及ぶ調停の末、2005年平成17年)3月に離婚。時を同じくしてテレビ東京のサスペンスドラマの共演を機に知り合った女優南果歩と本格的に交際を開始し、同年12月3日に再婚。二人の交際に関しては日本の芸能マスコミもノーマークで、AP通信配信の写真で渡辺が映画『SAYURI』のニューヨークプレミアに同伴した「未確認ゲスト」の女性が南と判明すると同時に、二人の結婚が公表された。南が前夫の辻仁成との間に儲けた1子(男子)とも養子縁組(次男)し、一時は南と次男と共にロサンゼルスを生活の拠点にしていた。仕事で世界各地を飛び回る渡辺と、より家族の時間を多く持てるよう考慮して、家族の生活の拠点は日本においている。当初、結婚式などは挙げなかったが、2010年8月、結婚5年目の節目としてロサンゼルスで挙式したことを公表した。

前妻との間に儲けた第1子(長男)の渡辺大は俳優として、第2子(長女)の女優ファッションモデルとして活躍している。2008年平成20年)8月には長男の大に第1子が誕生し、渡辺は48歳の若さで初孫を持つ身となった。

趣味は乗馬やゴルフ、料理など多岐にわたる。無類の蕎麦好きで、テレビ番組に出演した際、十割蕎麦を「ケレン」と評するほどのこだわりを持ち、特に故郷新潟名物の「へぎそば」を好む。スポーツではラグビー神戸製鋼プロ野球阪神タイガースのファンとして知られる。特に阪神タイガースに関しては熱狂的なファンであり、阪神の試合結果はハリウッドに活動拠点を移した現在でもインターネットなどで随時情報収集しており、渡辺自身も多忙な中、2005年9月19日9月20日には阪神甲子園球場に駆けつけ、阪神×中日戦を観戦。20日には関西ローカルの独立UHF局のナイター中継『サンテレビボックス席』に5回までゲスト出演した。日本にいるときは精力的に甲子園球場にタイガースの応援に出かけて行く。野球解説者の福本豊と友人で、試合観戦後は福本と甲子園球場近隣の庶民的な居酒屋でにぎやかに野球談義に花を咲かせていた。

ヘビースモーカーであり、移動や上記の阪神タイガースの応援の際のぞみ号東京駅新大阪駅甲子園球場等の喫煙ルームや喫煙エリアに突然一人で姿を現し、周りを驚かせたこともある。[6]

上記のアカデミー賞のプレゼンターを一緒に務めたカトリーヌ・ドヌーヴが、約2週間後の3月13日に「フランス映画祭2007」の代表団長として来日。東京都港区のフランス大使館での記者会見の時に渡辺の印象について聞かれ、「彼の英語は素晴らしいと思った。非常に才能があって、すてきな方ですね」と語った。また、出演している作品の吹き替え版でも『バットマン ビギンズ』を除くすべての作品で渡辺自身が声を担当している。

2009年平成21年)5月29日東京新聞の一般投書欄へ渡辺自身が投稿していた。具体的には、日本の方向性を示しきれない政治家へ苦言を呈すると共に、麻生内閣が決定した補正予算の中の「アニメの殿堂(国立メディア芸術総合センター)」について「文化発信に繋がるという妄想は止めて、即座に予算から削除するべき」というものであった。

2013年、東日本大震災の被災者たちを支援しようと、宮城県気仙沼市にライブカフェ、K-portをプロデュース。オープニングイベントとして11月24日に1日だけのスペシャル企画として、南果歩と朗読劇「ラヴ・レターズ」 を上演している[7]

出演作品を選ぶ基準について「自分の心の針が振れるかどうかで素直に選んでいますね」と述べている[8]

出演作品[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

  • 悲劇・ブリタニキュス(1980年、演劇集団 円)
  • 下谷万年町物語(1981年、蜷川幸雄 演出)
  • 冬のライオン(1981年、演劇集団 円)
  • バジャゼ(1981年、演劇集団 円)
  • プラトーノフ(1982年、演劇集団 円)
  • 花粉熱(1984年、演劇集団 円)
  • ピサロ(1985年、パルコ山崎努プロデュース公演) - アタワルパ 役
  • ハムレット(1988年、蜷川幸雄 演出) - 主演・ハムレット 役
  • 永遠 Part2(2001年、演劇集団 円)
  • ホロヴィッツとの対話(2013年、三谷幸喜演出) - 主演・調律師フランツ=モア 役

ラジオ[編集]

  • ヤクルト本社(2007年 - )

吹き替え[編集]

ドキュメンタリー[編集]

CM[編集]

その他[編集]

歌手としての活動[編集]

シングル[編集]

  • 君を待つシーソー(1990年10月21日)

アルバム[編集]

  • 終わりのない輪舞(1987年11月)
  • ANDANTE(1988年11月21日)
  • Rit(1992年11月1日)

受賞[編集]

日本アカデミー賞[編集]

その他[編集]

  • 1987年度エランドール新人賞 - 『海と毒薬
  • 第42回(1987年)日本放送映画藝術大賞 放送部門 最優秀主演男優賞 - 『独眼竜政宗
  • 第3回(2003年)ブレイクスルー・オブ・ザ・イヤー賞 - 『ラストサムライ
  • 第46回(2003年)ブルーリボン賞 特別賞 - 『ラストサムライ』
  • 第41回(2004年)ゴールデン・アロー賞 映画賞 - 『ラストサムライ』
  • 第28回(2004年)山路ふみ子映画賞 山路ふみ子文化財団特別賞 - 『ラストサムライ』
  • 第59回(2004年) 日本放送映画藝術大賞 放送部門 優秀助演男優賞 - 『砂の器
  • 第15回(2006年)淀川長治賞 - 『ラストサムライ』『バットマン ビギンズ』『SAYURI』『明日の記憶』
  • 第31回(2006年)報知映画賞 最優秀主演男優賞 - 『明日の記憶』
  • 第19回(2006年)日刊スポーツ映画大賞 主演男優賞 - 『明日の記憶』
  • 第80回(2006年)キネマ旬報ベスト・テン 主演男優賞 - 『明日の記憶』
  • 第49回(2006年)ブルーリボン賞 主演男優賞 - 『明日の記憶』
  • 2006年度SARVH賞 - 『明日の記憶』
  • 第35回(2006年)ベストドレッサー賞 - 『明日の記憶』
  • 第61回(2006年)日本放送映画藝術大賞 映画部門 最優秀主演男優賞 - 『明日の記憶』
  • 第34回(2009年)報知映画賞 最優秀主演男優賞 - 『沈まぬ太陽』
  • 第64回(2009年)日本放送映画藝術大賞 映画部門 最優秀主演男優賞 - 『沈まぬ太陽』
  • 第4回(2009年)安吾賞新潟市主催)

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]