山本一太
山本 一太 やまもと いちた | |
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生年月日 | 1958年1月24日(62歳) |
出生地 |
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出身校 |
中央大学法学部卒業 ジョージタウン大学大学院 修士課程修了 |
前職 | 国際協力事業団職員 |
所属政党 |
(自由民主党(無派閥)→) 無所属 |
称号 | MSFS(ジョージタウン大学) |
親族 |
山本泰太郎(祖父) 山本富雄(父) 田島雄一(義兄) |
公式サイト | 山本一太「シンプル・メッセージ」 |
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当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2019年7月28日 - 現職 |
内閣 | 第2次安倍内閣 |
在任期間 | 2012年12月26日 - 2014年9月3日 |
選挙区 | 群馬県選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1995年7月27日 - 2019年7月4日 |
山本 一太(やまもと いちた、1958年1月24日 - )は、日本の政治家。群馬県知事(公選第20代)。群馬県立女子大学客員教授[1]。
参議院議員(4期)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、科学技術政策、宇宙政策)、外務副大臣(福田康夫改造内閣)、参議院外交防衛委員長、参議院予算委員長を歴任した。学位はMSFS(ジョージタウン大学)。
来歴[編集]
生い立ち[編集]
群馬県吾妻郡草津町出身。1976年、群馬県立渋川高等学校を卒業した[2]。その後、中央大学に進学し、1982年に中央大学法学部政治学科を卒業した。1985年5月、ジョージタウン大学大学院の国際政治学修士課程を修了した。大学院時代について、山本は「1983年(84年?)に米国のジョージタウン大学でMSFS(Master Science of School of Foreign Service)という国際政治学の修士号を取得した。2年間、毎日のように授業に通い、夜遅くまでキャンパスにある図書館で猛勉強した」(原文ママ。なお、MSFSの正しい名称は、Master of Science in Foreign Serviceと思われる[要出典])と述懐している[3]。
大学院修了後に朝日新聞社の入社試験を受けて合格し、福島支局に配属された[4]。1986年11月に国際協力事業団に採用され、一時は国際連合開発計画に出向していた。
父の死去に伴って1995年の第17回参議院議員通常選挙に群馬県選挙区から立候補し、初当選。同年の自民党総裁選挙においては、小泉純一郎が立候補するために必要な推薦人集めに奔走した。小泉は立候補したが結果は惨敗だった。2001年の第19回参議院議員通常選挙で再選。
第1次安倍政権[編集]
2007年7月の第21回参議院議員通常選挙で3選。
福田政権[編集]
2008年8月発足の福田康夫改造内閣で外務副大臣に就任。直後の8月26日にアフガニスタンで起きた邦人の拘束・殺害事件の対策本部長となった。
その後、福田の総理総裁辞任を受け、9月5日、自民党総裁選への立候補を表明し、外務副大臣の辞任を表明(1972年に自民党総裁選で推薦制が導入されて以来、参議院議員の自民党総裁選立候補表明は初である)。河野太郎ら、プロジェクト日本復活のメンバー6人に支持されたが、出馬に必要な20人の推薦人集めが難航し、棚橋泰文との一本化も決裂したために3日後の9月8日に出馬を断念した。
谷垣体制[編集]
2010年4月、所属していた町村派を退会。同年8月11日に行われた党参議院議員会長選挙では中曽根弘文の推薦人に名を連ねて当選させ、その後の参院自民党の人事で山本が参院政審会長に起用された。参院政審会長として党務における3つの目標(自民党役員会の正式メンバー昇格、執行部の一員としての総務会出席、本部政調会長代理との兼任)を掲げ、翌9月に発足した新党三役(幹事長:石原伸晃・総務会長:小池百合子(現東京都知事)・政調会長:石破茂)が自身の主張を取り入れたことで3つの目標が実現したと述べている[5]。
2011年10月6日、自民党参議院政策審議会長を退任。2012年8月、衆議院群馬2区への転出要請があるも[6]、結局転出しなかった[7]。
第2次安倍政権[編集]
2012年12月26日に発足した第2次安倍内閣で初入閣し、内閣府特命担当大臣として沖縄及び北方対策、科学技術政策、宇宙政策の3ポストを担当することとなった[8][9]。また、国務大臣の所管事項として、「情報通信技術(IT)による産業・社会構造の変革を円滑に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[8]と「海洋及び領土問題に関する施策を集中的かつ総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[8]もそれぞれ担当することとなった。2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙では、次点候補に40万票以上の差をつけ4選。2014年9月の内閣改造により退任。
その後、安倍晋三に「総裁ネット戦略アドバイザー」の創設するよう要望し、また自薦した結果、2014年10月29日、自由民主党の総裁ネット戦略アドバイザーに任命された[10]。
2015年12月15日、自由民主党の総裁ネット戦略アドバイザー・政調担当に任命された[11][12]。
2016年10月1日、自民党群馬県連会長に就任[14]。
2019年群馬県知事選挙[編集]
2018年11月、東京の世論調査会社に、次期群馬県知事に関する県民の意識調査を依頼[15]。11月23日、自身のブログ「山本一太の気分はいつも直滑降」において世論調査の結果を示し、「全体としては山本一太が大沢知事をダブルスコアで引き離している」と高い支持があることを強調した[16][17]。「なるほど、『努力』はひとを裏切らない」[18]と自信を深めた山本は12月5日、ブログで翌年7月執行予定の群馬県知事選挙への立候補を表明した[19]。立候補準備のため、参議院自民党の政策審議会長や自民党群馬県連の会長職など党の要職を2019年2月までに全て退任した[20]。
2019年7月4日、群馬県知事選挙の告示に伴い立候補を届け出たため、公職選挙法の規定により参議院議員を退職(自動失職)[21][22]。同年7月21日の知事選挙に於いては日本共産党推薦の対立石田清人候補に圧勝して当選を果たした[23]。石田18万5959票に対し、山本57万6935票と圧倒的での当選であった。
政策[編集]
- 政局
- 改革派の若手議員と称しベテラン議員や派閥批判を行うが、政局(特に自民党総裁選挙)においては町村派(旧三塚派・旧森派)のために働くことで一貫しており、小泉純一郎・安倍晋三・福田康夫など、同じ派閥に所属する人物を自民党総裁にするため奔走した。かつて除名勧告を受けるも派閥を辞めることはまったくないと宣言している[25]。
批判[編集]
ツイッター社が2013年の参議院議員通常選挙に際して立ち上げた「政党と話そう」という企画の第一弾においてハッシュタグ「#自民党に質問」をつけて質問を投稿すると、山本がネット生中継でそれらの疑問に答えるという選挙活動を行った。それに対して、ニュースサイトのLITERAが「質問をほぼ完全に無視し、自民党の宣伝に終始した」との記事を掲載した。[28]
これに対し山本は6月24日早朝「予想したとおり、視聴者からのツイートは辛辣なものが多かったらしい。参院選挙中であることを考えれば当然だろう。ここぞとばかり、アンチ安倍の人たちが、ワッと攻撃を仕掛けて来るのは目に見えていたが、自分以外だったら、もっとひどかったに違いない(笑)とにもかくにも、反響が大きかったのは良かったと思う。伝わるひとには、伝わっているはずだ。」と自身のブログでコメントしている[29]。
人物[編集]
交友[編集]
- 安倍晋三
- 2012年5月、「安倍元首相には、一日も早く、今の派閥(清和政策研究会)を抜け、独自のグループを立ち上げて欲しい」[30]と安倍晋三に呼びかけた。
- 世耕弘成
- 安倍内閣の広報担当補佐官として官邸入りした世耕弘成をYS懇談(山本と世耕のイニシャルから)と称して頻繁に訪ねた。山本は自身のブログの中で「ほぼ毎日、首相官邸に足を運ぶ。たとえ10分でも、『YS懇』をやらねばならない。(これは2人の約束だ)」と述べている。
- 河野太郎
- 河野太郎とはジョージタウン大学の先輩後輩の関係であり、本人は親友だと主張しているが、河野は一切のコメントを避けている。2009年自由民主党総裁選挙では河野の推薦人となった。
河野が行政改革相となり、内閣府のほか、愛知県や高知県といった地方自治体の職員による直轄チームを発足させた際には、『ええ?!そもそも、地方から河野大臣のチームに職員を派遣するアイデアは、群馬県が提案したものだ。にもかかわらず、3県に先を越されてしまうなんて…。とても残念だ。』と自らのブログにコメントしている。
その他[編集]
家族・縁戚[編集]
父は農林水産大臣や自由民主党の参議院幹事長等を歴任し、福田赳夫の側近であった山本富雄。父方の祖父は元群馬県草津町長の山本泰太郎[32]。
姉の夫は群馬県議会議員の田島雄一(1949年1月13日 - )。田島の父・由雄(1917年 - 1975年)も群馬県議を一期務めている[33][34]。
妻は国際連合職員。
また、本人によれば母方が内村鑑三の遠い親せきにあたるという[35]。
略歴[編集]
- 1958年1月24日 - 出生。
- 1976年3月 - 群馬県立渋川高等学校卒業。
- 1982年3月25日 - 中央大学法学部政治学科卒業。
- 1985年
- 1986年
- 1991年10月15日 - 出向。ニューヨークで国際連合開発計画本部勤務。
- 1994年10月15日 - JICAへ復帰。
- 1995年
- 1月31日 - JICA退職。
- 2月1日 - 父である山本富雄(参議院自民党幹事長(当時))の秘書となる。
- 7月23日 - 第17回参議院議員通常選挙(群馬県選挙区・自由民主党公認)初当選。
- 1999年10月5日 - 外務政務次官就任(小渕第2次改造内閣・第1次森内閣)。
- 2001年7月29日 - 第19回参議院議員通常選挙(群馬県選挙区・自民党公認)2期目当選。
- 2003年 - 参議院外交防衛委員長就任。
- 2006年
- 党内役職の他に、自由民主党拉致対策本部・対北朝鮮経済制裁シミュレーションチーム座長及び国連改革議員連盟幹事長を務めている。
- 4月 - 中央大学大学院公共政策研究科客員教授。
- 10月 - 舛添要一参議院政策審議会長の下、政策審議会副会長に就任。
- 2007年7月29日 - 第21回参議院議員通常選挙(群馬県選挙区・自由民主党公認)3期目当選。
- 2008年
- 2010年
- 2011年10月‐役員改選では参議院政策審議会長を退任。
- 2012年12月26日 - 第2次安倍内閣において、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、科学技術政策、宇宙政策)に就任。
- 2013年7月21日 - 第23回参議院議員通常選挙(群馬県選挙区・自由民主党公認)4期目当選。
- 2014年9月 ‐ 内閣改造により内閣府特命担当大臣を退任。
- 2014年10月29日 - 自由民主党の総裁ネット戦略アドバイザーに就任。
- 2016年
- 2019年
- 7月21日 - 群馬県知事選挙に当選。
主な所属団体・議員連盟[編集]
- 創生「日本」(副幹事長)
- 日本の前途と歴史教育を考える議員の会(事務局次長)
- 北京オリンピックを支援する議員の会(幹事)
- 平和を願い真の国益を考え靖国神社参拝を支持する若手国会議員の会
- 神道政治連盟国会議員懇談会
- 日韓議員連盟
- 自民党国際人材議員連盟
- 再チャレンジ支援議員連盟
- 対北朝鮮外交カードを考える会
- 北朝鮮外交を慎重に進める会
著作[編集]
- 『なぜいま安倍晋三なのか』 リヨン社、2006年7月、ISBN 457606083X
- 『私が総理になったなら-若き日本のリーダーたち- 』角川書店、2002年11月
論文[編集]
音楽活動[編集]
- 『見せかけのデモクラシー』1998年
- 『かいかくの詩』2003年
- 「チャレンジャーにささげる詩」(作曲:西井慶太、作詞:山本一太)2006年
- 自民党総裁選出に際し安倍晋三を応援する歌。
脚注[編集]
- ^ 山本知事の客員教授辞令交付式及び記者会見が行われました
- ^ 山本 一太(やまもと いちた) 参議院
- ^ 博士と修士
- ^ 山本一太にスキャンダル発覚?!
- ^ 参院政策審議会、3つの差別条約を撤廃!:その2
- ^ 山本一太氏にくら替え要請…自民空白の群馬2区 読売新聞 2012年8月23日
- ^ 自民、次期衆院選2区候補 井野市議擁立で決着 群馬
- ^ a b c 「人事異動」『官報』号外特35号、国立印刷局、2012年12月26日、1面。
- ^ 「人事異動」『官報』号外特35号、国立印刷局、2012年12月26日、2面。
- ^ 山本IT相が「総裁ネット戦略アドバイザー」就任 産経新聞 2014年10月29日
- ^ 軽減税率をめぐる自公合意〜「丁寧かつ真摯な議論を重ね、民意を汲み取った最善の結論」と安倍総理
- ^ #総裁ネット戦略アドバイザー
- ^ 予算委員長に自民・山本一氏=議運は山本順氏-参院
- ^ 自民群馬県連会長に山本一太氏 無投票当選、中曽根弘文氏と交代 産経新聞 2016年9月6日
- ^ 来夏の群馬県知事選に関する山本一太の独自かつ信頼性の高い世論調査の結果を公表する!:その2 | 山本一太オフィシャルブログ「山本一太の気分はいつも直滑降」
- ^ 来夏の群馬県知事選に関する山本一太の独自かつ信頼性の高い世論調査の結果を公表する!:その3 | 山本一太オフィシャルブログ「山本一太の気分はいつも直滑降」
- ^ “群馬知事選は保守分裂も 山本氏出馬表明に関係者「寝耳に水」”. 毎日新聞. (2018年12月6日) 2018年12月25日閲覧。
- ^ 来夏の群馬県知事選に関する山本一太の独自かつ信頼性の高い世論調査の結果を公表する!:その4 | 山本一太オフィシャルブログ「山本一太の気分はいつも直滑降」
- ^ 2018年12月05日のブログ|山本一太オフィシャルブログ「山本一太の気分はいつも直滑降」
- ^ 知事選対応県議選後に…自民県連、候補者推薦など読売新聞オンライン
- ^ 『官報』第45号12ページ 令和元年7月8日
- ^ 山本一太参院議員が失職【19参院選】 - 時事ドットコム 2019年7月4日
- ^ “群馬知事に山本一太氏”. アサヒ・コム. 朝日新聞社. (2019年7月22日) 2019年7月28日閲覧。
- ^ a b 山本一太のプロフィール
- ^ 山本一太の「気分はいつも直滑降」
- ^ 東奥・特集/断面2007 - 東奥日報 2007年10月25日
- ^ 山本 一太、「政論!―山本一太vs次世代を担う政治家たち」 2007年
- ^ ツイッター企画「♯自民党に質問」で自民党が厳しい質問を無視して自己宣伝LITERA、2017年11月23日閲覧
- ^ ツイッター企画「♯自民党に質問」で自民党が厳しい質問を無視して自己宣伝LITERA、2017年11月23日閲覧
- ^ 山本一太の密かでない願望
- ^ 「山本一太の『大臣vs大臣』」logmi 2014年2月12日
- ^ 【第2のバンソウコウ大臣は誰だ】山本一太 ゲンダイネット 2007年8月9日
- ^ 『サンケイ日本紳士年鑑 第18版』(サンケイ新聞データシステム)
- ^ 『群馬県人名大事典』(上毛新聞社)
- ^ 偉大なる上州人、内村鑑三のDNA:その1
- ^ “ファイル:内政・外交・安保 山本一太参院議員、派閥を離脱”. 毎日新聞. (2010年4月16日) 2010年4月18日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 山本一太「シンプル・メッセージ」 - 公式サイト
- 山本一太の「気分はいつも直滑降」 - Ameba Blog
- 山本一太 (@ichita_y) - Twitter
- 知事のページ - 群馬県
公職 | ||
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![]() 公選第20代:2019年 - |
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次代: 山口俊一 |
先代: 前原誠司 |
![]() 第3代:2012年 - 2014年 |
次代: 山口俊一 |
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議会 | ||
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![]() 2016年 - 2017年 |
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![]() 2003年 - 2004年 |
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党職 | ||
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