山本一太

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日本の旗 日本の政治家
山本 一太
やまもと いちた
Ichita Yamamoto cropped 3 Ichita Yamamoto and Voltaire Gazmin 20130905.jpg
生年月日 1958年1月24日(58歳)
出生地 日本の旗 日本 群馬県吾妻郡草津町
出身校 中央大学法学部政治学科卒業
ジョージタウン大学大学院
修士課程修了
前職 国際協力事業団職員
所属政党 自由民主党(無派閥)
称号 政治学士(中央大学)
MSFS(ジョージタウン大学)
親族 山本泰太郎(祖父
山本富雄
田島雄一(義兄
公式サイト 山本一太「シンプル・メッセージ」

内閣 第2次安倍内閣
在任期間 2012年12月26日 - 2014年9月3日

内閣 第2次安倍内閣
在任期間 2012年12月26日 - 2014年9月3日

内閣 第2次安倍内閣
在任期間 2012年12月26日 - 2014年9月3日

選挙区 群馬県選挙区
当選回数 4回
在任期間 1995年7月27日 - 現職
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山本 一太(やまもと いちた、1958年1月24日 - )は、日本政治家参議院議員(4期)、自由民主党総裁ネット戦略アドバイザー・政調担当、中央大学大学院客員教授

自由民主党参議院政策審議会長内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)内閣府特命担当大臣(宇宙政策担当)外務副大臣福田康夫改造内閣)、参議院外交防衛委員長を歴任した。学位MSFSジョージタウン大学)。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

群馬県吾妻郡草津町出身。1976年群馬県立渋川高等学校を卒業した[1]。その後、中央大学に進学し、1982年に同大学の法学部を卒業した[1]1985年5月、ジョージタウン大学大学院の国際政治学修士課程を修了した[1]。大学院時代について、山本は「1983年84年?)に米国のジョージタウン大学でMSFS(Master Science of School of Foreign Service [原文ママ Master of Science in Foreign Serviceの間違い])という国際政治学修士号を取得した。2年間、毎日のように授業に通い、夜遅くまでキャンパスにある図書館で猛勉強した」[2](原文ママ)と述懐している。

大学院修了後に朝日新聞社の入社試験を受けて合格し、福島支局に配属された[3]1986年11月国際協力事業団に採用され、一時は国際連合開発計画に出向していた[1]

父の死去に伴って1995年第17回参議院議員通常選挙群馬県選挙区から出馬し、初当選。同年の自民党総裁選挙においては、小泉純一郎が出馬するために必要な推薦人集めに奔走した。小泉は出馬したが結果は惨敗だった。2001年第19回参議院議員通常選挙で再選。

第1次安倍政権[編集]

2006年9月19日東京都渋谷区での自由民主党総裁選挙の応援演説にて衆議院議員菅義偉(右から2人目)、衆議院議員片山さつき(右から1人目)らと

2007年7月の第21回参議院議員通常選挙で3選。安倍応援団として活躍。

福田政権[編集]

2008年8月発足の福田康夫改造内閣外務副大臣に就任。直後の8月26日アフガニスタンで起きた邦人の拘束・殺害事件の対策本部長となった。

その後、福田の総理総裁辞任を受け、9月5日自民党総裁選への出馬を表明し、外務副大臣の辞任を表明(1972年に自民党総裁選で推薦制が導入されて以来、参議院議員の自民党総裁選立候補表明は初である)。河野太郎ら、プロジェクト日本復活のメンバー6人に支持されたが、出馬に必要な20人の推薦人集めが難航し、棚橋泰文との一本化も決裂したために3日後の9月8日に出馬を断念した。

谷垣体制[編集]

2010年4月、所属していた町村派を退会。同年8月11日に行われた党参議院議員会長選挙では中曽根弘文の推薦人に名を連ねて当選させ、その後の参院自民党の人事で山本が参院政審会長に起用された。参院政審会長として党務における3つの目標(自民党役員会の正式メンバー昇格、執行部の一員としての総務会出席、本部政調会長代理との兼任)を掲げ、翌9月に発足した新党三役(幹事長:石原伸晃・総務会長:小池百合子・政調会長:石破茂)が山本の主張を取り入れたことで3つの目標が実現した[4]

2011年10月6日、自民党参議院政策審議会長を退任。2012年8月、衆議院群馬2区への転出要請があるも[5]、9月、出馬しないこととなる[6]

第2次安倍政権[編集]

2013年9月5日フィリピン国防大臣ヴォルテル・ガズミン(右)と

2012年12月26日に発足した第2次安倍内閣にて初入閣し、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当)内閣府特命担当大臣(宇宙政策担当)の3ポストを兼務することとなった[7][8]。また、国務大臣としての所管事項として、「情報通信技術(IT)による産業社会構造の変革を円滑に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[7]と「海洋及び領土問題に関する施策を集中的かつ総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[7]をそれぞれ担当することとなった。2013年7月21日第23回参議院議員通常選挙では、次点候補に40万票以上の差をつけ4選。2014年9月の内閣改造により退任。

その後、安倍晋三に対して「総裁ネット戦略アドバイザー」を創設するよう要望するとともに、その候補者として自分で自分を推薦していた[9]。その結果、2014年10月29日、自由民主党の総裁ネット戦略アドバイザーに任命された[10]

2015年12月15日、自由民主党の総裁ネット戦略アドバイザー・政調担当に任命された[11][12]

政策[編集]

外交・安全保障
既に当選4回ながら、自らを外交・安全保障分野の若手論客としている[13]2012年第2次安倍内閣にて初入閣した。
政局
改革派の若手議員と称しベテラン議員や派閥批判を行うが、政局(特に自民党総裁選挙)においては町村派(旧三塚派・旧森派)のために働くことで一貫しており、小泉純一郎・安倍晋三・福田康夫など、同じ派閥に所属する人物を自民党総裁にするため奔走した。かつて除名勧告を受けるも派閥を辞めることはまったくないと宣言している[14]
産業・経済
経済政策では「上げ潮派」に属し、財政再建消費税率の上昇による増収ではなく、経済成長による増収によって行うべきとの立場[15]
内政
選択的夫婦別姓制度に賛同する。「自分と妻は別姓ではないが、選択する自由はあるべき」と述べている[16]

人物[編集]

交友[編集]

安倍晋三
2012年5月、「安倍元首相には、一日も早く、今の派閥(清和政策研究会)を抜け、独自のグループを立ち上げて欲しい」[17]安倍晋三に呼びかけた。
世耕弘成
安倍内閣の広報担当補佐官として官邸入りした世耕弘成をYS懇談(山本と世耕のイニシャルから)と称して頻繁に訪ねた。山本は自身のブログの中で「ほぼ毎日、首相官邸に足を運ぶ。たとえ10分でも、『YS懇』をやらねばならない。(これは2人の約束だ)」と述べている。
河野太郎
河野太郎とはジョージタウン大学の先輩後輩の関係であり、親友だとしている。2009年自由民主党総裁選挙では河野の推薦人となった。

家族・縁戚[編集]

父は農林水産大臣自由民主党参議院幹事長等を歴任し、福田赳夫の側近であった山本富雄。父方の祖父は元群馬県草津町長の山本泰太郎[18]

姉の夫は群馬県議会議員の田島雄一(1949年1月13日 - )。田島の父・由雄(1917年 - 1975年)も群馬県議を一期務めている[19][20]

妻は国際連合職員。

また、本人によれば母方が内村鑑三の遠い親せきにあたるという[21]

その他[編集]

  • 大学時代にロックバンドを組んでいた[22]
  • シンガーソング・ライターとして、これまでに6枚のCDを発表している。6枚目のラップ『かいかくの詩』は 東芝EMIから発売された[13]

略歴[編集]

主な所属団体・議員連盟[編集]

テレビ出演[編集]

タイトル 放送日
自民党よ、なぜ奪権しないのか【3】民主党政権の末路―その不甲斐なさの根因 2012年7月14日
自民党よ、なぜ奪権しないのか【4】自民党再生の鍵は何か? 保守政党の必要性 2012年7月21日
自民党よ、なぜ奪権しないのか【5】危機に直面する21世紀世界 2012年7月28日

著作[編集]

  • 『なぜいま安倍晋三なのか』 リヨン社、2006年7月、ISBN 457606083X
  • 『私が総理になったなら-若き日本のリーダーたち- 』角川書店、2002年11月

論文[編集]

音楽活動[編集]

  • 『見せかけのデモクラシー』1998年
  • 『かいかくの詩』2003年
  • 「チャレンジャーにささげる詩」(作曲:西井慶太、作詞:山本一太)2006年
    • 自民党総裁選出に際し安倍晋三を応援する歌。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d 「山本一太(やまもといちた)」『山本 一太(やまもと いちた):参議院議員プロフィール:参議院ホームページ参議院2010年11月10日
  2. ^ 山本一太「博士と修士」『博士と修士:山本一太の「気分はいつも直滑降」:So-netブログ2005年11月20日
  3. ^ 山本一太「山本一太にスキャンダル発覚?!」『山本一太にスキャンダル発覚?!:山本一太の「気分はいつも直滑降」:So-netブログ2006年6月27日
  4. ^ 参院政策審議会、3つの差別条約を撤廃!:その2
  5. ^ 山本一太氏にくら替え要請…自民空白の群馬2区
  6. ^ 自民、次期衆院選2区候補 井野市議擁立で決着 群馬
  7. ^ a b c 「人事異動」『官報』号外特35号、国立印刷局2012年12月26日、1面。
  8. ^ 「人事異動」『官報』号外特35号、国立印刷局2012年12月26日、2面。
  9. ^ 央「記者手帳――今度は『ネット補佐官』」『日本経済新聞日本経済新聞社2014年10月30日、2面。
  10. ^ 「山本前IT相が『総裁ネット戦略アドバイザー』就任」『山本前IT相が「総裁ネット戦略アドバイザー」就任 - 産経ニュース産経デジタル2014年10月29日
  11. ^ 軽減税率をめぐる自公合意〜「丁寧かつ真摯な議論を重ね、民意を汲み取った最善の結論」と安倍総理
  12. ^ #総裁ネット戦略アドバイザー
  13. ^ a b 山本一太のプロフィール
  14. ^ 山本一太の「気分はいつも直滑降」
  15. ^ 東奥・特集/断面2007 - 東奥日報 2007年10月25日
  16. ^ 山本 一太、「政論!―山本一太vs次世代を担う政治家たち」 2007年
  17. ^ 山本一太の密かでない願望
  18. ^ 【第2のバンソウコウ大臣は誰だ】山本一太、ゲンダイネット、2007年8月9日
  19. ^ 『サンケイ日本紳士年鑑 第18版』(サンケイ新聞データシステム)
  20. ^ 『群馬県人名大事典』(上毛新聞社
  21. ^ 偉大なる上州人、内村鑑三のDNA:その1 2014年6月10日
  22. ^ 「山本一太の『大臣vs大臣』」logmi 2014年2月12日
  23. ^ “ファイル:内政・外交・安保 山本一太参院議員、派閥を離脱”. 毎日新聞. (2010年4月16日). http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100416ddm005010190000c.html 2010年4月18日閲覧。 

外部リンク[編集]


議会
先代:
松村龍二
日本の旗 参議院外交防衛委員長
2003年 - 2004年
次代:
林芳正
公職
先代:
樽床伸二
日本の旗 特命担当大臣沖縄及び北方対策
第20代:2012年 -2014年
次代:
山口俊一
先代:
前原誠司
日本の旗 特命担当大臣科学技術政策
第21代:2012年 -2014年
次代:
山口俊一
先代:
前原誠司
日本の旗 特命担当大臣宇宙政策
第3代:2012年 -2014年
次代:
山口俊一
先代:
小野寺五典
木村仁
日本の旗 外務副大臣
伊藤信太郎と共同
2008年
次代:
伊藤信太郎
橋本聖子
党職
先代:
林芳正
自由民主党参議院政策審議会長
2010年 - 2011年
次代:
岩城光英