山本一太

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山本 一太
やまもと いちた
Ichita Yamamoto, 20191206.jpg
生年月日 (1958-01-24) 1958年1月24日(63歳)
出生地 日本の旗 日本 群馬県吾妻郡草津町
出身校 中央大学法学部卒業
ジョージタウン大学大学院
修士課程修了
前職 国際協力事業団職員
所属政党自由民主党
町村派→無派閥)→)
無所属
称号 MSFS(ジョージタウン大学)
親族 山本泰太郎(祖父
山本富雄
田島雄一義兄
公式サイト 山本一太「シンプル・メッセージ」

群馬県の旗 第20代 群馬県知事(公選)
当選回数 1回
在任期間 2019年7月28日 - 現職

内閣 第2次安倍内閣
在任期間 2012年12月26日 - 2014年9月3日

選挙区 群馬県選挙区
当選回数 4回
在任期間 1995年7月27日 - 2019年7月4日
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山本 一太(やまもと いちた、1958年1月24日 - )は、日本政治家群馬県知事(公選第20代)。群馬県立女子大学客員教授[1]

参議院議員(4期)、内閣府特命担当大臣沖縄及び北方対策科学技術政策宇宙政策)、外務副大臣福田康夫改造内閣)、参議院外交防衛委員長参議院予算委員長を歴任した。学位MSFSジョージタウン大学)。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

群馬県吾妻郡草津町出身。1976年群馬県立渋川高等学校を卒業した[2]。その後、中央大学に進学し、1982年中央大学法学部政治学科を卒業した。1985年5月、ジョージタウン大学大学院国際政治学修士課程を修了した。大学院時代について、山本は「1983年84年?)に米国のジョージタウン大学でMSFS (Master Science of School of Foreign Service) という国際政治学の修士号を取得した。2年間、毎日のように授業に通い、夜遅くまでキャンパスにある図書館で猛勉強した」(原文ママ。なお、MSFSの正しい名称は、Master of Science in Foreign Serviceと思われる[要出典])と述懐している[己 1]。因みに、日本の文科省令の一種である学位規則ではいずれにしてもこういう学位は一切認めていない。つまり、日本では修士号取得者と認められないということである。

大学院修了後に朝日新聞社の入社試験を受けて合格し、福島支局に配属された[己 2]1986年11月に国際協力事業団に採用され、一時は国際連合開発計画に出向していた。

父の死去に伴って1995年第17回参議院議員通常選挙群馬県選挙区から立候補して初当選する。1995年の自民党総裁選挙で、小泉純一郎が立候補するために必要な推薦人集めに奔走した。小泉は立候補したが結果は惨敗だった。2001年第19回参議院議員通常選挙で再選。

第1次安倍政権[編集]

2006年9月19日東京都渋谷区での自由民主党総裁選挙の応援演説にて当時衆議院議員菅義偉(右から2人目)、衆議院議員片山さつき(右から1人目)らと

2007年7月の第21回参議院議員通常選挙で3選。

福田政権[編集]

2008年8月発足の福田康夫改造内閣外務副大臣に就任。直後の8月26日にアフガニスタンで起きた邦人の拘束・殺害事件の対策本部長となった。

その後、福田の総理総裁辞任を受け、9月5日、自民党総裁選へ立候補を表明し、外務副大臣の辞任を表明する。1972年に自民党総裁選で推薦制が導入されて以来、参議院議員の自民党総裁選立候補表明は初である。河野太郎ら、プロジェクト日本復活のメンバー6人に支持されたが、出馬に必要な20人の推薦人集めが難航し、棚橋泰文との一本化も決裂したために3日後の9月8日に出馬を断念した。

谷垣体制[編集]

2010年4月に所属していた町村派を退会し、8月11日に行われた党参議院議員会長選挙で中曽根弘文の推薦人に名を連ねて当選させ、その後の参院自民党の人事で山本が参院政審会長に起用された。参院政審会長として、自民党役員会の正式メンバー昇格、執行部の一員としての総務会出席、本部政調会長代理との兼任、を党務における3つの目標に掲げ、9月に発足した幹事長の石原伸晃、総務会長の小池百合子、政調会長の石破茂ら新党三役が自身の主張を取り入れたことで3つの目標が実現したと述べている[己 3]

2011年10月6日、自民党参議院政策審議会長を退任。2012年8月、衆議院群馬2区への転出要請があるも[3]、結局転出しなかった[4]

第2次安倍政権[編集]

2013年9月5日フィリピン国防大臣ヴォルテル・ガズミン(右)と

2012年12月26日に発足した第2次安倍内閣で初入閣し、内閣府特命担当大臣として沖縄及び北方対策科学技術政策宇宙政策の3ポストを担当することとなった[5][6]。また、国務大臣の所管事項として、「情報通信技術(IT)による産業社会構造の変革を円滑に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[5]と「海洋及び領土問題に関する施策を集中的かつ総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[5]もそれぞれ担当することとなった。2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙では、次点候補に40万票以上の差をつけ4選。2014年9月の内閣改造により退任。

その後、安倍晋三に「総裁ネット戦略アドバイザー」の創設を要望し、また自薦した結果、2014年10月29日、自由民主党の総裁ネット戦略アドバイザーに任命された[7]

2015年12月15日、自由民主党の総裁ネット戦略アドバイザー・政調担当に任命された[己 4][己 5]

2016年9月26日、参議院予算委員長に就任[8]

2016年10月1日、自民党群馬県連会長に就任[9]

2017年9月28日、参議院予算委員長を離任。

2019年群馬県知事選挙[編集]

2018年11月、東京の世論調査会社に、次期群馬県知事に関する県民の意識調査を依頼[己 6]。11月23日、自身のブログ「山本一太の気分はいつも直滑降」において世論調査の結果を示し、「全体としては山本一太が大沢知事をダブルスコアで引き離している」と高い支持があることを強調した[己 7][10]。「なるほど、『努力』はひとを裏切らない」[己 8]と自信を深めた山本は12月5日、ブログで翌年7月執行予定の群馬県知事選挙への立候補を表明した[己 9]。立候補準備のため、参議院自民党の政策審議会長や自民党群馬県連の会長職など党の要職を2019年2月までに全て退任した[11]

2019年7月4日に、群馬県知事選挙の告示に伴い立候補を届け出て、公職選挙法の規定により参議院議員を退職(自動失職)[12][13]する。7月21日の知事選挙で、対立候補の日本共産党推薦石田清人候補18万5959票、山本57万6935票の結果で当選した[14]

政策[編集]

外交・安全保障
既に当選4回ながら、外交・安全保障分野の「若手」論客を自称している[己 10]2012年第2次安倍内閣にて沖縄担当大臣として初入閣した。
政局
改革派の若手議員と称しベテラン議員や派閥批判を行うが、政局(特に自民党総裁選挙)においては町村派(旧三塚派・旧森派)のために働くことで一貫しており、小泉純一郎・安倍晋三・福田康夫など、同じ派閥に所属する人物を自民党総裁にするため奔走した。かつて除名勧告を受けるも派閥を辞めることはまったくないと宣言している[己 11]
産業・経済
経済政策では「上げ潮派」に属し、財政再建消費税率の上昇による増収ではなく、経済成長による増収によって行うべきとの立場[15]
内政
選択的夫婦別姓制度に賛同する。「自分と妻は別姓ではないが、選択する自由はあるべき」と述べている[16]

活動[編集]

  • 2021年3月21日、館林市長選が告示され、元自民党県議同士の保守分裂選挙となった[17]。現職市長須藤和臣は山本一太の館林市の後援会長であり[18]、県知事である山本は須藤の全面支援を行った[19]。さらに連合群馬は現職須藤を推薦した[17]。新人の多田善洋は館林市議会最大会派の9名中7名から支援を受けた[20][注 1]。同月28日の投開票の結果、現職須藤は新人多田に敗れ落選した[21]

エピソード[編集]

  • 2021年6月8日、自民・リベラル群馬・令明・公明の県議会4会派の代表と議会の議長・副議長で構成される県議会代表者会議が県議会との協調を重視することを求める要望書を山本知事に提出した[22]。山本が議会で審議中だった事項を会見で決定事項であるかのように発表したことが提出理由であった[22]

批判[編集]

ツイッター社が2013年の参議院議員通常選挙に際して立ち上げた「政党と話そう」という企画の第一弾においてハッシュタグ「#自民党に質問」をつけて質問を投稿すると、山本がネット生中継でそれらの疑問に答えるという選挙活動を行った[23]。それに対して、ニュースサイトのLITERAが「質問をほぼ完全に無視し、自民党の宣伝に終始した」との記事を掲載した[23]

これに対し山本は6月24日早朝「予想したとおり、視聴者からのツイートは辛辣なものが多かったらしい。参院選挙中であることを考えれば当然だろう。ここぞとばかり、アンチ安倍の人たちが、ワッと攻撃を仕掛けて来るのは目に見えていたが、自分以外だったら、もっとひどかったに違いない(笑)とにもかくにも、反響が大きかったのは良かったと思う。伝わるひとには、伝わっているはずだ。」と自身のブログでコメントしている[23]

人物[編集]

交友[編集]

安倍晋三
2012年5月、「安倍元首相には、一日も早く、今の派閥(清和政策研究会)を抜け、独自のグループを立ち上げて欲しい」[己 12]安倍晋三に呼びかけた。
世耕弘成
安倍内閣の広報担当補佐官として官邸入りした世耕弘成をYS懇談(山本と世耕のイニシャルから)と称して頻繁に訪ねた。山本は自身のブログの中で「ほぼ毎日、首相官邸に足を運ぶ。たとえ10分でも、『YS懇』をやらねばならない。(これは2人の約束だ)」と述べている。
河野太郎
河野太郎とはジョージタウン大学の先輩後輩の関係であり、本人は親友だと主張しているが、河野は一切のコメントを避けている。2009年自由民主党総裁選挙では河野の推薦人となった。
 河野が行政改革相となり、内閣府のほか、愛知県や高知県といった地方自治体の職員による直轄チームを発足させた際には、『ええ?!そもそも、地方から河野大臣のチームに職員を派遣するアイデアは、群馬県が提案したものだ。にもかかわらず、3県に先を越されてしまうなんて…。とても残念だ。』と自らのブログにコメントしている。

その他[編集]

  • 大学時代にロックバンドを組んでいた[24]
  • シンガーソング・ライターとして、これまでに6枚のCDを発表している。6枚目のラップ『かいかくの詩』は 東芝EMIから発売された[己 10]

家族・縁戚[編集]

父は農林水産大臣自由民主党参議院幹事長等を歴任し、福田赳夫の側近であった山本富雄。父方の祖父は元群馬県草津町長の山本泰太郎[25]

姉の夫は群馬県議会議員の田島雄一1949年1月13日 - )。田島の父・由雄(1917年 - 1975年)も群馬県議を一期務めている[26][27]

妻は国際連合職員。

また、本人によれば母方が内村鑑三の遠い親せきにあたるという[己 13]

略歴[編集]

主な所属団体・議員連盟[編集]

著作[編集]

  • 『なぜいま安倍晋三なのか』 リヨン社、2006年7月、ISBN 457606083X
  • 『私が総理になったなら-若き日本のリーダーたち- 』角川書店、2002年11月

論文[編集]

音楽活動[編集]

  • 「Simple Message」1997年
  • 「素顔のエンジェル」1997年
  • 「見せかけのデモクラシー」1998年11月21日
  • 「一衣帯水」1999年
  • 「世界がどんなに変わっても」2000年
  • 「かいかくの詩」2003年
  • 「チャレンジャーにささげる詩」(作曲:西井慶太、作詞:山本一太)2006年
    • 自民党総裁選出に際し安倍晋三を応援する歌。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ この選挙で、群馬3区(選挙区に館林市を含む)選出の笹川博義衆議院議員は新人多田を間接的に支援した[19]

出典[編集]

  1. ^ 山本知事の客員教授辞令交付式及び記者会見が行われました
  2. ^ 山本 一太(やまもと いちた) 参議院
  3. ^ “山本一太氏にくら替え要請…自民空白の群馬2区”. 読売新聞 (読売新聞社). (2012年8月23日). オリジナルの2012年8月25日時点におけるアーカイブ。. https://archive.fo/20120825220633/http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/news/20120823-OYT1T00379.htm? 
  4. ^ “自民、次期衆院選2区候補 井野市議擁立で決着 群馬”. msn、産経ニュース (産業経済新聞社). (2012年9月8日). オリジナルの2012年9月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120913133646/https://sankei.jp.msn.com/region/news/120908/gnm12090802070000-n1.htm 
  5. ^ a b c 「人事異動」『官報』号外特35号、国立印刷局2012年12月26日、1面。
  6. ^ 「人事異動」『官報』号外特35号、国立印刷局2012年12月26日、2面。
  7. ^ “山本IT相が「総裁ネット戦略アドバイザー」就任”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2014年10月29日). オリジナルの2014年11月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141113174209/http://www.sankei.com/politics/news/141029/plt1410290044-n1.html 
  8. ^ “予算委員長に自民・山本一氏=議運は山本順氏-参院”. 時事ドットコム (時事通信社). (2016年9月26日). オリジナルの2016年10月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161005083156/http://www.jiji.com/jc/article?k=2016092600709&g=pol 
  9. ^ 自民群馬県連会長に山本一太氏 無投票当選、中曽根弘文氏と交代 産経新聞 2016年9月6日
  10. ^ “群馬知事選は保守分裂も 山本氏出馬表明に関係者「寝耳に水」”. 毎日新聞. (2018年12月6日). https://mainichi.jp/senkyo/articles/20181206/k00/00m/010/134000c 2018年12月25日閲覧。 
  11. ^ “知事選対応県議選後に…自民県連、候補者推薦など”. 読売新聞 (読売新聞社). (2019年2月13日). オリジナルの2019年2月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190224173520/https://www.yomiuri.co.jp/local/gunma/news/20190212-OYTNT50196/ 
  12. ^ 『官報』第45号12ページ 令和元年7月8日
  13. ^ “山本一太参院議員が失職【19参院選】”. 時事ドットコム (時事通信社). (2019年7月4日). オリジナルの2019年8月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190820110649/https://www.jiji.com/jc/article?k=2019070400860&g=pol 
  14. ^ “群馬知事に山本一太氏”. アサヒ・コム. 朝日新聞社. (2019年7月22日). https://digital.asahi.com/articles/DA3S14107467.html 2019年7月28日閲覧。 
  15. ^ 東奥・特集/断面2007 - 東奥日報 2007年10月25日
  16. ^ 山本 一太、「政論!―山本一太vs次世代を担う政治家たち」 2007年
  17. ^ a b “館林市長選告示 前回に続き保守分裂の論戦 元自民県議の現新対決”. 上毛新聞 (上毛新聞社). (2021年3月22日). https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/politics/281711 2021年6月11日閲覧。 
  18. ^ “館林市長選 多田県議が出馬意向 前回に続き保守分裂か”. 上毛新聞 (上毛新聞社): p. 1. (2020年11月29日) ネット版の記事には全文が掲載されていないので注意)
  19. ^ a b “館林市長に多田氏 須藤氏の再選阻み初当選”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2021年3月29日). https://www.asahi.com/articles/ASP3X7SKZP3VUHNB01H.html 2021年6月12日閲覧。 
  20. ^ “館林市長選あす告示 保守一騎打ちの公算”. 上毛新聞 (上毛新聞社): p. 1. (2021年3月20日) ネット版の記事には全文が掲載されていないので注意)
  21. ^ “館林市長に多田氏 現職破り初当選 保守分裂の争い制す”. 上毛新聞 (上毛新聞社). (2021年3月29日). https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/politics/283563 2021年6月9日閲覧。 
  22. ^ a b 複数の出典:
  23. ^ a b c 小杉みすず (2016年6月24日). “ツイッター企画「#自民党に質問」で自民党が厳しい質問や安倍批判を一切無視してヤラセまがい自己宣伝!(全3ページ)”. LITERA. https://lite-ra.com/2016/06/post-2367.html 2017年11月23日閲覧。 
  24. ^ 「山本一太の『大臣vs大臣』」logmi 2014年2月12日
  25. ^ 【第2のバンソウコウ大臣は誰だ】山本一太 ゲンダイネット 2007年8月9日
  26. ^ 『サンケイ日本紳士年鑑 第18版』(サンケイ新聞データシステム)
  27. ^ 『群馬県人名大事典』(上毛新聞社
  28. ^ 複数の出典:

山本一太自身により自己公表された情報源(公式ウェブサイト・ブログ・SNSなど)

  1. ^ 山本一太 (2005年11月20日). “博士と修士 | 山本一太オフィシャルブログ「山本一太の気分はいつも直滑降」”. 山本一太公式ブログ - アメーバブログ. 2021年8月27日閲覧。
  2. ^ 山本一太にスキャンダル発覚?!
  3. ^ 参院政策審議会、3つの差別条約を撤廃!:その2
  4. ^ 軽減税率をめぐる自公合意〜「丁寧かつ真摯な議論を重ね、民意を汲み取った最善の結論」と安倍総理
  5. ^ 山本一太 [@ichita_y]. "山本一太のツイート 2015年12月15日 午後8:31(日本時間)" (ツイート). Twitterより2021年6月15日閲覧
  6. ^ 来夏の群馬県知事選に関する山本一太の独自かつ信頼性の高い世論調査の結果を公表する!:その2 | 山本一太オフィシャルブログ「山本一太の気分はいつも直滑降」
  7. ^ 来夏の群馬県知事選に関する山本一太の独自かつ信頼性の高い世論調査の結果を公表する!:その3 | 山本一太オフィシャルブログ「山本一太の気分はいつも直滑降」
  8. ^ 来夏の群馬県知事選に関する山本一太の独自かつ信頼性の高い世論調査の結果を公表する!:その4 | 山本一太オフィシャルブログ「山本一太の気分はいつも直滑降」
  9. ^ 2018年12月05日のブログ|山本一太オフィシャルブログ「山本一太の気分はいつも直滑降」
  10. ^ a b 山本一太のプロフィール
  11. ^ 山本一太 (2010年8月9日). “除名処分はあり得ない! | 山本一太オフィシャルブログ「山本一太の気分はいつも直滑降」”. 山本一太公式ブログ - アメーバブログ. 2021年8月27日閲覧。
  12. ^ 山本一太 (2012年5月16日). “山本一太の密かでない願望 | 山本一太オフィシャルブログ「山本一太の気分はいつも直滑降」”. 山本一太公式ブログ - アメーバブログ. 2021年8月27日閲覧。
  13. ^ 偉大なる上州人、内村鑑三のDNA:その1

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
大澤正明
群馬県の旗 群馬県知事
公選第20代:2019年 -
次代:
現職
先代:
樽床伸二
日本の旗 特命担当大臣沖縄及び北方対策
第20代:2012年 - 2014年
次代:
山口俊一
先代:
前原誠司
日本の旗 特命担当大臣科学技術政策
第21代:2012年 - 2014年
次代:
山口俊一
先代:
前原誠司
日本の旗 特命担当大臣宇宙政策
第3代:2012年 - 2014年
次代:
山口俊一
先代:
小野寺五典
木村仁
日本の旗 外務副大臣
伊藤信太郎と共同
2008年
次代:
伊藤信太郎
橋本聖子
議会
先代:
石井準一
日本の旗 参議院予算委員長
2016年 - 2017年
次代:
金子原二郎
先代:
松村龍二
日本の旗 参議院外交防衛委員長
2003年 - 2004年
次代:
林芳正
党職
先代:
林芳正
武見敬三
自由民主党参議院政策審議会長
2010年 - 2011年
2018年 - 2019年
次代:
岩城光英
有村治子