玉城デニー

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衆議院議員 玉城 デニー
生年月日 (1959-10-13) 1959年10月13日(57歳)
出生地 沖縄県与那城村(現うるま市
出身校 上智社会福祉専門学校
前職 沖縄市議会議員
現職 幹事長
国会対策委員長
所属政党 無所属→)
民主党→)
国民の生活が第一→)
日本未来の党→)
(生活の党→)
生活の党と山本太郎となかまたち→)
自由党
公式サイト Denny dot com
選挙区 沖縄3区→)
比例九州ブロック→)
沖縄3区
当選回数 3回
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玉城 デニー(たまき でにー、1959年10月13日 - )は、日本政治家、元タレント。自由党所属の衆議院議員(3期)、自由党幹事長国会対策委員長。元沖縄市議会議員(1期)。本名は玉城 康裕(たまき やすひろ)。

来歴[編集]

沖縄県与那城村(現うるま市)生まれ。父は沖縄の米軍基地に駐留していた米兵。与那城村教育区立与那城小学校、勝連町立与勝第二中学校、沖縄県立前原高等学校上智社会福祉専門学校(福祉主事任用課程)卒業[1]琉球放送ラジオの人気番組「ふれ愛パレット」のパーソナリティやタレントを経て[要出典]2002年9月、沖縄市議会議員選挙に無所属で出馬し、トップ当選。2005年8月、衆院選に出馬するため任期途中で市議を辞職[要出典]

2005年9月11日に行われた第44回衆議院議員総選挙に、沖縄3区から民主党公認で出馬するも、落選。反与党票が玉城、東門美津子社会民主党公認)に割れ[要出典]自由民主党嘉数知賢の当選を許した。

2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙に、沖縄3区から民主党公認で再び出馬。嘉数を破り、初当選した。民主党では沖縄県第3区総支部長、沖縄県総支部連合会副代表などを務めた[要出典]

2012年6月、野田佳彦首相が推進する、消費税増税を含む社会保障・税一体改革関連法案の衆議院本会議での採決で造反し、反対票を投じる。7月2日、民主党に離党届を提出するが受理されず、9日に除籍処分が確定[2]。11日、社会保障・税一体改革関連法案の採決で造反した議員らを中心に国民の生活が第一が結党され、玉城もこれに参加した[3]。なお、もうひとりの民主党沖縄県連所属国会議員である瑞慶覧長敏も同年に離党して無所属となり(その後落選)、これ以降県連は国会に議席を有していない。

同年12月16日に行われた第46回衆議院議員総選挙では、嘉田由紀子滋賀県知事が代表を務める日本未来の党の候補として沖縄3区から出馬、小選挙区では落選したが、比例九州ブロック復活当選した[4]。九州で唯一日本未来の党が獲得した議席である。同年末、未来の党の分党に伴い生活の党の結党に参加。

2014年第47回衆議院議員総選挙では、翁長雄志沖縄県知事が推薦する「オール沖縄」の候補として生活の党公認で沖縄3区から出馬。日本共産党社会民主党沖縄社会大衆党緑の党そして基地の県内移設に反対して自民党を除名された「新風会」の支援を受け[要出典]比嘉奈津美を破り、議席を取り戻した。

政策・主張[編集]

  • 宜野湾市普天間飛行場をはじめ、沖縄県内に駐留するアメリカ軍基地の県外移設・撤去を求める一方で、アメリカ軍に代わる自衛隊による沖縄の防衛の必要性を主張している[5]。 
  • 選択的夫婦別姓制度導入について、2016年の西日本新聞によるアンケート調査で、「結婚したら夫婦同姓か夫婦別姓を自由に選べるようにすべき」としている[6]。また、2017年には、選択的夫婦別姓を求める院内集会に出席し、国連からの勧告に対して従わない現状は許されない、お互いがそれぞれの姓を自由に選択できるようにするべき、個人の尊厳を勝ち取っていくとしている[7]。一方、自身のブログでは、疑問を投げかけるコメントを過去にしていたことがある[8]他、2014年の朝日新聞の調査では、選択的夫婦別姓制度導入について、「どちらとも言えない」としていた[9]

不祥事[編集]

  • 2014年の衆議院選挙前に、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設工事を受注した業者が玉城に対し寄付を行っていた[10]。国と契約を結ぶ業者からの国政選挙に関する寄付は、公職選挙法で禁止(特定寄付の禁止)されている[10]

所属団体・議員連盟[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]