嘉田由紀子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
嘉田 由紀子
かだ ゆきこ
生年月日 (1950-05-18) 1950年5月18日(73歳)
出生地 日本の旗 日本埼玉県本庄市
出身校 京都大学農学部
京都大学大学院
前職 京都精華大学教授
所属政党無所属→)
旧日本未来の党→)
日本未来の党→)
(無所属[注 1]→)
旧国民民主党[注 1]→)
(無所属[注 1][注 2]→)
国民民主党→)
教育無償化を実現する会
称号 学位:農学博士(京都大学)
配偶者 元夫・嘉田良平(2008年離婚)[1]
親族 父・渡辺康雄(元本庄市議会議員)
姉・明堂純子(元本庄市議会議員)
次男・嘉田修平(大津市議会議員)
公式サイト かだ由紀子 - いま、滋賀は一つ!

選挙区 滋賀県選挙区
当選回数 1回
在任期間 2019年7月29日 - 現職

滋賀県の旗 公選第16-17代 滋賀県知事
当選回数 2回
在任期間 2006年7月20日 - 2014年7月19日

その他の職歴
教育無償化を実現する会副代表
2023年11月30日[2] - 現職)
テンプレートを表示

嘉田 由紀子(かだ ゆきこ、1950年昭和25年〉5月18日 - )は、日本の政治家農学者環境社会学者、文化人類学者。参議院議員(1期)、教育無償化を実現する会副代表。

滋賀県知事(第8代)、地域政党チームしが代表、日本未来の党代表、びわこ成蹊スポーツ大学学長などを歴任。

来歴・人物[編集]

埼玉県本庄市の養蚕農家に、3兄妹の末っ子として生まれる[3]。父親の渡辺康雄は本庄市議会議員も務めた人物で、父が8人兄弟の長男であったことから、3世代13人の大家族で暮らす[4]。嫁ぎ先でこき使われ結核を患った母の姿を見て、「女性がなぜ苦しい思いをするのか」との思いから学問を志す[5]

今西錦司梅棹忠夫の本でアフリカ研究に憧れを抱くようになり、埼玉県立熊谷女子高等学校卒業後、京都大学農学部へ進学[6][5]。当時女性部員がいなかった探検部へ、当時の部長の嘉田良平とともに入部許可を求めて、口論の上で入部する。3回生の時にタンザニアで4ヶ月生活した[7]。22歳のときに嘉田良平と結婚[8]。なお、夫は嘉田の政界入りに反対であったとされ、知事就任後の2008年に離婚している[8]

1973年、京都大学農学部卒業。同年、大学院農学研究科へ進学し、アメリカウィスコンシン大学大学院へ、アフリカやアジアの経済発展を社会開発や環境の面から研究するため留学するも、指導教官より日本の農村研究を促され、1974年、一時帰国して琵琶湖湖畔における農村生活の形態変化について研究しながら海外での調査研究も継続する。26歳で長男を出産[8]。2年間は専業主婦をしていたが、その後京大院に復帰。29歳で次男を出産し、滋賀県に移住した[8][9]

1981年3月、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。京都大学より農学博士(論文名『琵琶湖の水問題をめぐる生活環境史的研究』)を授与される。同年4月、滋賀県庁に入庁し、まだ準備室だった「滋賀県立琵琶湖研究所」の研究員として採用される。琵琶湖周辺の農村生活、ホタルダスや水環境カルテなどを調査研究する。1996年開館の滋賀県立琵琶湖博物館に構想段階から深く関わり、後に滋賀県知事の座を争うことになる國松善次とは同僚である。

2000年、京都精華大学人文学部環境社会学科教授となる。滋賀県立琵琶湖博物館研究顧問、京都精華大学人文学部教授を歴任した。

滋賀県知事へ[編集]

知事選最大の争点となった南びわ湖駅予定地

滋賀県では、栗東市に建設が予定されていた新幹線新駅(名称は南びわ湖駅)の是非が大きな問題となっていた。住民投票条例案の条例制定請求が提出された2006年1月31日、滋賀県議会で傍聴をした際、「この住民投票条例案は受け入れられない」という言葉が響いた時、「こんなに県民がおかしいと思っているのに、どうなんだろう」と思ったのが知事選へ出馬しようと思った最初のきっかけだという[3]。同年3月30日に出馬を決意し、4月18日に正式な出馬表明を行う。

選挙戦では「もったいない」を合言葉に、新幹線新駅の建設凍結、県内に計画されているダムの凍結見直し、旧志賀町に予定している廃棄物処分場の中止などを訴えた。

真に県民のための県政を目指すという「超政党」という立場から全政党に対して推薦依頼を提出する。自民党と民主党は別々に、國松知事と嘉田の双方から主張を聞く会を催した。民主党内には嘉田を推す声が強かったが、新幹線の新駅に対する立場を変えることができず、結果的に自民、民主両党は現職の國松に相乗りした(民主党県連の決定直後に小沢一郎代表の相乗り禁止指令が出た)。その後、公明党も國松の推薦に回った。一方、共産党は当初嘉田支援のために動いたが、途中で推薦から支持に切り替えた嘉田に対する反発と、新駅及びダム建設推進に含みを残す自民党近江八幡支部との対立から支援を見送り、対立候補(無所属の推薦候補)を立てた。嘉田側は、共産党から他党の関係者を入れないように申し入れを受け、「政党の違いは小異であり、県民党の立場で支持を求めた」が、受け入れられなかったと言っている。嘉田は社民党に対する要請でも、途中で推薦から支持に切り替え、社民は不快感を表明したが、最終的に受け入れた。

最終的に嘉田には、社民党支持と近江八幡支部をはじめとする自民党非主流派の支援が残り、7月2日に行われた知事選で、自民、民主、公明の3党が推薦する現職の國松を破り、初当選。

滋賀県知事として[編集]

知事当選により、この時点で大阪府太田房江熊本県潮谷義子千葉県堂本暁子北海道高橋はるみに次ぐ全国で5人目の女性知事となった。

当選以降、自身が公約で主張した「新幹線新駅・産廃処理施設・ダム事業の凍結、見直し」政策を進め、新幹線新駅関連・廃棄物処分場については2007年(平成19年)度における関係予算をつけないことが決まり、これらの事業を事実上中止することができた。

滋賀県栗東市の新幹線新駅問題では、一部では損害賠償請求を求められるという噂もあったが、JR東海松本正之社長は2007年7月9日、今後の対応について「10月末に出る地元の結論を受けて法的対応を考えるが、工事負担金を5月に仮精算したので大きな問題はない」と述べ、地元に対する新駅計画凍結による損害の賠償請求を行う可能性は低いとの認識を示し、新幹線新駅凍結の今後は地元の事後処理へと焦点が移ることとなった。

ただ、ダム事業の凍結・見直し(撤回でも中止でもない)公約では、県内に計画されているダム6つ(丹生ダム大戸川ダム永源寺第二ダム、芹谷ダム、北川第一ダム、北川第二ダム)の内、県営の芹谷・北川第一のダム建設計画については2007年2月の議会で容認と取れる答弁を行った。他方、県営北川第二ダムは公約通りの凍結方針を表明しているにもかかわらず、マスコミには取り上げられることはほとんどなかった。また、国営の丹生ダムについては、今までの貯水ダム計画には否定的な見解を示している。ただ、穴あきダムの可能性はあり得るとの発言をとりあげ、マスコミはまたも推進と報じたが、その後は推進するような態度を嘉田は示していない。統一地方選挙後は、県議会の流れの変化によるものか、ダム建設計画に前向きと思わせるような発言をすることは見られなくなった。一部ではダム建設計画への否定的な発言も見られ、また、就任一年の会見では、「社会変動の中でかつて計画したことをそのまま続けることが、本当に次の世代に喜ばれることなのか。勇気ある撤退が必要。」と新幹線のみならずダム計画の凍結に対するこだわりを感じさせる発言もあった。こうした中、2008年11月の定例県議会で、国が計画する大戸川(だいどがわ)ダム(大津市)の建設中止を事実上求める知事の意見案が廃案となった。

当選後の議会における所信表明演説においては「財政的観点からもダム事業は凍結する」という姿勢を見せていたが、一方で「治水事業の瑕疵(かし)で一人でも死者が出た場合は辞任する」とも述べていた。ダム建設を推進・要望していた大津市彦根市をはじめ県内の自治体は知事の公約に反発、特に丹生ダム建設が計画されていた余呉町とは激しく対立した。

本人は公約について「一切ダムを作らないという、脱ダム(という意味)ではない」、「(マニフェストでは)ダムだけに頼らない治水計画を掲げた。ダムすべてを否定はしていない」また「(現在は)ダムの必要性、効果、影響も含めて議論する過程の中にある」と述べている。この間、ダム事業に対する流れは2004年に発生した平成16年7月福井豪雨をきっかけとした足羽川ダム(福井県)の建設再開(凍結解除)や、2006年に発生した平成18年7月豪雨をひきがねとして長野県田中康夫が知事選挙に落選したことおよび後任の村井仁による「脱ダム宣言」の撤回など、ダム事業再評価の動きが見られ、こうした流れも微妙に影響を及ぼしている。

2007年、統一地方選挙では彼女を応援する、対話でつなごう滋賀の会が結成され、躍進した。2007年4月23日には留守番電話で、「長崎のようになりたくなければ新駅を作れ」と脅迫された。伊藤一長長崎市長射殺事件を指しているものと思われる[要出典]

議会で新駅建設反対派が推進派を上回った結果、推進派の自民党滋賀県連は「知事の考えに従う」として新駅の凍結に賛成する意向を示した。こうした情勢を受けて中川秀直幹事長が現地入りして嘉田と対談し、7月9日には新幹線新駅の凍結方針が国から示された。森喜朗元首相に、「女の人だな、やっぱり(視野が)狭い」と批判された[10][注 3]。嘉田は「女性蔑視(べっし)だと言うのは控えたい。問題の本質は財政問題。男だから、女だからとは無縁」と述べた[要出典]

10月24日、新駅問題について国松正一栗東市長らと話し合う会議が同日午後、大津市内で開かれ、新駅建設の根拠となる各種協定が今月末で白紙に戻ることを大半の市長が容認した。嘉田知事が前年7月の知事選で「凍結」と訴えた最重要公約が約1年4カ月かけて実現することになる。

国土交通省が推し進める大戸川ダム建設については、淀川水系に属する知事として橋下徹大阪府知事山田啓二京都府知事野呂昭彦三重県知事らとともにNOとする共同声明を出している。また、橋下の昨年1年間の大阪府の財政改革などに対する奮闘振りに「やはりマスコミ慣れしている分、はっきりとした意見が言えるのは少し羨ましいですね」と評している。一方、ダム事業の対応についてマスコミや一部支援者から「態度が曖昧」と批判されている。

2008年1月から4月の記者会見等の中で嘉田は、県政にとっては財源の視点から道路特定財源の暫定税率廃止は困るが、しかし、暫定が続いているという現制度自体の問題点や一般財源化の議論が必要であると指摘した。新名神高速道路大津ジャンクション予定地以西の「当面着工しない区間」については、必要な道路であるとし凍結解除を訴えていた。2012年4月に新名神建設の凍結は解除され、事業区間となっている。

2009年10月30日鳩山由紀夫内閣下で総務省顧問に就任[12]

2009年11月、ジーエス・ユアサコーポレーションが新駅予定地跡地に電気自動車リチウムイオン電池の新工場を建設する計画を表明。2010年4月には生産計画が発表された。嘉田は新駅凍結の代替案として「電気自動車用の電池工場の誘致に成功した」「400億円の投資と800人の雇用が見込まれる」[13] としている。しかし予定地約50ヘクタールのうち、2012年9月時点でなお30-40ヘクタールの土地の利用が決まっていない。

2010年2月16日、7月11日に投開票が予定されている県知事選に再選を目指して出馬する意向を表明した。4月2日には、新しい支援団体として滋賀の未来をひらく会が発足し、元成安造形大学長の木村至宏が会長に、県商工会連合会長の川瀬重雄が同会の副会長に就任している。7月11日、投開票の結果、自民党前衆議院議員の上野賢一郎らをダブルスコアの大差で破り再選する。この時の得票数419,921票は、滋賀県知事選挙史上最多得票である。

都道府県を廃止する安易な道州制の導入は地域のアイデンティティを破壊するとして、道州制にはきわめて慎重な姿勢を示している[14]。6月、みんなの党に支援を要請するが、みんなの党は道州制に関する議論で認識の違いがあるとして拒否した[15]

栗東市のRDエンジニアリング産廃問題では、全量撤去案(240 - 400億円)ではなく遮水壁案(約50億円)を提案し、全量撤去を望む住民から批判されていた。2010年1月には「有害物の除去」を柱とする案を新たに示したが、除去する有害物の範囲などで住民側と協議が難航。新たに「有害物をできる限り除去する」との方針を打ち出し、工事に取りかかるためのボーリング調査を提案。地元自治会は県の姿勢を評価し、6月20日に地元7自治会と県との間で調査へ着手することが同意された。自治会側からは「約10年を経て、問題解決に一歩進んだ」と評価する声や、「今後も継続して自治会と協議してほしい」と注文する意見が挙がっている[16]

2012年、未来政治塾の開講を発表する。

2012年8月、嘉田は新幹線新駅問題の時点ではJR東海のリニアモーターカーによる中央新幹線建設が順調に進行することを予期できなかったとし、その上で中央新幹線が完成した後は東海道新幹線は中距離輸送を担うことになるため、その際には米原駅と京都駅の間に新駅が必要となるという見通しを述べる。これはあくまで中長期的な見通しであるとし、南びわ湖駅建設の復活や特定の他の場所における建設を意味するものではないとしている[17][18]

新党を結成、代表に就任 - 辞任へ[編集]

同年11月27日、新党日本未来の党を結成すると発表した[19]。この政党の結成を受けて、小沢一郎は、自身が代表を務めてきた国民の生活が第一(以下、生活)を解党した上で、党ごと合流することを決定した[20]。翌28日、減税日本・反TPP・脱原発を実現する党共同代表の山田正彦や生活の広野允士参院議員会長など所属議員8名で総務省へ政党届出を行った[21]

小沢一郎さんを使いこなせずに官僚を使いこなすことはできません。」と述べている。

同年12月16日に執行された第46回衆議院議員総選挙において、日本未来の党は公示前の62議席から約7分の1にあたる9議席に大きく減らした。嘉田は開票センターでの記者会見で「十分時間が取れなかった。政策が浸透していなかった」と述べたが[22]、記者の質問を聞き逃し「ごめんなさい。もうろうとしていまして」と取り繕うという場面もあった[23]

総選挙後、小沢との対立が表面化。嘉田は未来の党を離党し阿部知子衆議院議員と新たに政治団体として日本未来の党を結成した。また、未来の党は生活の党に改称した。

2012年12月26日に党代表と県知事の兼務解消を求める決議が滋賀県議会で可決されたことを受け、2013年1月4日に党の代表を辞任することを正式表明した[24]

知事引退[編集]

嘉田は日本未来の党代表辞任後も次期知事選への立候補については明言を避けていた。こうした中2014年3月、前回知事選時に嘉田を支援した民主党の滋賀県連代表・三日月大造が嘉田の意向表明を待たずして同年6月の次期知事選への立候補を表明、嘉田の去就に注目が集まった。

同年4月26日、嘉田と三日月が同席した集会において候補者一本化の合意を発表、その結果は5月7日に発表し同時に新政治集団「チームしが」を発足させるとした[25]

4月29日、『嘉田が関係者に知事選不出馬の意向を示した』[26][27][28] という報道がなされ、嘉田本人は『いかにも決定したような内容であり、このような憶測記事を出すことには強く抗議をします』と発表[29]

5月7日、正式に不出馬を表明し二期をもって知事を引退した[30]

10月、びわこ成蹊スポーツ大学の3代目学長に就任。

2017年衆院選で落選、2019年参院選で当選[編集]

2017年9月末、嘉田は引退を表明していた民進党川端達夫衆議院議員の後継として、10月22日に行われる第48回衆議院議員総選挙滋賀1区から立候補する意向を固めた[31]。10月2日に嘉田は記者会見で立候補を正式表明。嘉田は当初は希望の党からの出馬を目指した[31]ものの、前日夜に前原誠司から嘉田がかつて国政政党の党首だったことから公認を認められないと回答されたことや[32][33]立憲民主党からは参加の要請があったが固辞したことを明らかにし[34]、無所属で立候補すると表明した[32][33][35]

嘉田は会見で「比例代表では希望の党を推す」とも述べたため[35]、かつて嘉田と共闘関係にあった社民党がこれに反発し、対立候補として県連代表の小坂淑子の擁立を急遽決定。共産党も小坂を推薦した[36]。その後希望の党が公約に原発の再稼働容認を掲げることが明らかとなると嘉田も希望の党と距離を置き始め、公示後には「私は無所属。比例区でどの政党に投票して、とお願いすることはない」「『比例は希望』と言った話が広がっているが、どうか情報のアップデート(更新)をお願いします。私は無所属。比例は関係ありません」と釈明に追われ[37][36]、嘉田と小坂の間で反自民票が割れたことで自民党前職の大岡敏孝が得票率47.7%で逃げ切り3選を果たした[38][39]

2018年6月の滋賀県知事選挙では松井一郎大阪府知事から出馬を促されるなどされたものの[40]チームしが関係者とともに自身の後継にあたる三日月大造知事の応援に入った[41]

同年12月6日、国民民主党滋賀県連が嘉田を第25回参議院議員通常選挙滋賀県選挙区に擁立する方針を固めたことが報道により明らかとなった[42]。これに対し同選挙区では立憲民主党は元衆院議員の田島一成を、日本共産党は党滋賀県委員会常任委員の佐藤耕平を予定候補としていたため、12月7日に嘉田は記者会見し「野党統一候補でなければ出馬しない」と表明した[43]

2019年3月1日、国民民主党・立憲民主党両党の県連は調整の結果、嘉田が国民民主党を離党して無所属で立候補することを条件に統一候補として推す方針で合意したと発表。嘉田は同日に国民民主党を離党した[44][45]。社民党も嘉田を推すことを決定。5月末、共産党は佐藤の公認を取り下げ[46]、嘉田は晴れて野党4党の統一候補となった。選挙戦中は共産党への抵抗感がある支持者の存在を意識し、社民党、共産党はそれぞれの支持者を固める方式をとった。対する二之湯武史の自民陣営は、安倍晋三首相はじめ閣僚級の政治家を連日投入する組織戦を展開したが、自民党支持層でも一定数が嘉田に投票した[47]

同年7月21日、投開票。現職の二之湯を小差で破り国政選挙に初当選した[48]。当選後国民民主党代表の玉木雄一郎に復党を持ちかけられたが「当面は無所属で、というのが選挙中の(支援者との)約束だ」と断り[49]、同じく野党統一無所属として当選した永江孝子と共に院内会派碧水会」を結成した[50]

大津市長選挙公示翌日の2020年1月13日、嘉田が代表を務める政治団体「チームしが」は、越直美市長の後継候補である元市職員の小西元昭の推薦を決定したが[51]、小西は元自民党県議の佐藤健司に敗れた。

2020年9月3日、立憲民主党と国民民主党の合流新党(後の(新)立憲民主党)への入党受け付けが締め切られ[52]、9月7日には玉木雄一郎ら旧国民民主側の合流不参加者を中心とする(新)国民民主党に加わる国会議員の募集が締め切られた。嘉田は一時国民民主党入りを検討していたが、「チームしが」に身の振り方を決めかねている国民民主党の自治体議員がいたことや、衆院選への立候補を予定する県内の野党候補者を平等に応援するなどの理由から、いずれの党にも参加しなかった。これにより無所属での活動を継続することとなった[53][54]

2022年8月31日、院内会派「碧水会」を解散。翌9月1日に嘉田は国民民主党の参議院会派に入会した[55]2023年6月6日、地域政党チームしがの代表を退任し顧問に就任[56]。6月7日に国民民主党に入党した[57]

2023年11月30日、国民民主党に離党届を提出し、前原誠司らとともに教育無償化を実現する会を結成した[58]。その後、同年12月13日の国民民主党両院議員総会で、提出されていた離党届を受理せず「党の結束を乱した」事により除籍処分となった[59][60]

政策・主張[編集]

憲法[編集]

  • 憲法改正について、2017年のアンケートで「どちらかと言えば賛成」と回答[61]。改正すべき項目として「地方自治」「環境権」「衆議院の解散」を挙げた[61]
  • 9条改憲について、2017年の朝日新聞滋賀版のアンケートで「反対」と回答[37]

外交・安全保障[編集]

  • 安全保障関連法の成立について、2017年のアンケートで「どちらかと言えば評価しない」と回答[61]
  • 「他国からの攻撃が予想される場合には敵基地攻撃もためらうべきではない」との問題提起に対し、2017年、2019年のアンケートで「どちらかと言えば反対」と回答[61][62]
  • 北朝鮮に対しては対話よりも圧力を優先すべきだ」との問題提起に対し、2017年のアンケートで「どちらかと言えば反対」と回答[61]
  • 非核三原則を堅持すべきだ」との問題提起に対し、2017年のアンケートで「賛成」と回答[61]

ジェンダー[編集]

  • 選択的夫婦別姓制度の導入について、2017年、2019年のアンケートで「賛成」と回答[61][62]
  • 同性婚を可能とする法改正について、2017年のアンケートで「どちらかと言えば賛成」と回答[61]。2019年のアンケートで「賛成」と回答[62]

経済・税制[編集]

  • アベノミクスについて、2017年、2019年のアンケートで「評価しない」と回答[61][62]
  • 経済競争力を多少犠牲にしても格差是正を優先すべきという考えにどちらかと言えば近い[61]
  • 財政赤字は危機的水準であるので、国債発行を抑制すべき[61]
  • 2017年衆議院議員選挙に先駆けて行われたアンケートにおいて、消費税10%に「どちらかと言えば反対」、長期的に消費税率を10%よりも高くすることに「どちらかと言えば反対」と回答している[61]
  • 2019年参議院議員選挙公示日での第一声では、消費税増税反対を強く訴えた[63]
  • 所得や資産の多い富裕層に対する課税を強化すべき[61]

その他[編集]

  • 安倍内閣による森友学園問題加計学園問題への対応について、2017年のアンケートで「評価しない」と回答[61]
  • 原子力規制委員会の審査に合格した原子力発電所は運転を再開すべき、という考えに対し、2017年のアンケートで「どちらかと言えば反対」と回答[61]
  • 原発の存置・廃止問題について、2017年のアンケートで「今すぐ原発を廃止すべきだとの考えにどちらかと言えば近い」と回答[61]
  • 被選挙権を得られる年齢を引き下げることに、どちらかと言えば賛成[61]
  • 共謀罪の成立を評価しない[61]
  • 治安を守るためにプライバシーや個人の権利が制約されることに反対[61]
  • 首相には靖国神社に参拝してほしいという考えに反対[61]
  • ひとり親家庭やDINKSなど家族の形は多様でよいという考えに近い[61]
  • 幼稚園・保育所から大学までの教育を無償化することに賛成[61]
  • 共同親権の在り方に賛成[64]

議員連盟[編集]

発言[編集]

  • 2012年の第46回衆議院議員総選挙の際、同年12月4日の日本未来の党党首として臨んだインタビューで、「実は、第二次世界大戦は2つの原爆で戦後、戦中の軍国主義から抜け出ました」と発言。同月9日、大津市内での記者のぶら下がりで「米国側の歴史観に立ったものでなく、原爆と原発事故の二つの出来事は大きな歴史的転換点だったということを述べたもの」と釈明した[66]

不祥事[編集]

  • 2021年4月21日に嘉田は共同親権を求めるオンライン集会に出席した際、ドメスティックバイオレンス被害者保護の為所在地が秘匿されている滋賀県内のDVシェルターについて、市町村名や目印となる近くの建物など具体的な場所を推測できる発言をした[67]。この集会の様子は翌22日にYouTube上で公開され、28日に県からの指摘を受け主催者側が削除するまで1週間不特定多数が閲覧できる状態にあった[68]。嘉田は5月12日に自身のホームページ上で「配慮が足りない発言があったとの指摘を受けました。この点について、真摯に受け止めております」などとするコメントを発表した[69]

知事選挙結果詳細[編集]

2006年滋賀県知事選挙における嘉田(緑)と國松善次(赤)の得票率の差を表した地図
嘉田は主に琵琶湖線沿線で支持を集めた。なかでも近江八幡市では、嘉田が自民党支部の推薦を受けたこともあり特に得票率が高かった。他方で、南びわ湖駅の建設が予定されていた草津線の沿線に位置する栗東市湖南市甲賀市では國松の得票率が嘉田を上回ったほか、自民党などの地盤が強い犬上郡ほか農村部の多くでも國松のほうが支持を集めた。

※当日有権者数:人 最終投票率:44.94%(前回比:pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
嘉田由紀子56無所属217,842票46.03%(支持)社会民主党
國松善次68無所属185,344票39.16%(推薦)自由民主党・民主党・公明党
辻義則59無所属70,110票14.81%(推薦)日本共産党

※当日有権者数:人 最終投票率:61.56%(前回比:+16.62pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
嘉田由紀子60無所属419,921票63.17%
上野賢一郎44無所属208,707票31.40%
丸岡英明61無所属36,126票5.43%(推薦)日本共産党

家族・親族[編集]

  • 父・渡辺康雄(政治家、元本庄市議会議員)
2010年1月24日、老衰のため死去。89歳没[70]
1949年2月18日 -
  • 姉・明堂純子(政治家、元本庄市議会議員)[71]
1946年 -
1972年11月13日 -

著書[編集]

  • 『水と人の環境史 琵琶湖報告書』鳥越皓之編、御茶の水書房、1991年6月
  • 『生活世界の環境学 琵琶湖からのメッセージ』農山漁村文化協会、1995年5月
他、多数あり。※詳細は、嘉田由紀子ウェブサイト ‐ モノ、コト、ココロの環境論 を参照。

京都精華大時代には光村図書の小学校国語の教科書の編著者の一人であり、5年生の1単元で著作が使用された。

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b c 地域政党チームしがの代表も務める
  2. ^ 国会での所属会派は碧水会→国民民主党・新緑風会
  3. ^ 森は北陸新幹線の関西方面への延伸について説明するなかで「もったいない知事」として嘉田を批判した。その理由として、「日本列島が全部新幹線でつながると、人の動き、ものの動きが変わる。その中、(新駅がないと)滋賀県が恩恵に浴するのは米原しかなくなる。そこまで考えて施策はやらないといけない」と述べている。なお、この後森は米原接続をした上以西は東海道新幹線の線増をすることを提言している[11]

出典[編集]

  1. ^ a b 嘉田知事の離婚に思う(見聞録)”. 滋賀夕刊 (2008年5月20日). 2013年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年10月20日閲覧。
  2. ^ “国民民主・前原氏ら4人離党届=新党「教育無償化の会」結成”. 時事通信ニュース (時事通信社). (2023年11月30日). オリジナルの2023年11月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20231130122228/https://sp.m.jiji.com/amp/article/show/3110532 2023年11月30日閲覧。 
  3. ^ a b 嘉田滋賀県知事が語る 就任1年の成果と課題―「マニフェスト」自己評価(第1回)をめぐって―” (PDF). 龍谷大学. 2019年12月16日閲覧。
  4. ^ “嘉田由紀子 新党結成の陰に「時代に泣いた13人家族の母」”. 女性自身. (2012年12月6日). https://jisin.jp/domestic/1621239/ 2023年6月25日閲覧。 
  5. ^ a b “参院選2019:主な立候補者の横顔/1 生い立ち /滋賀”. 毎日新聞. (2019年7月7日). https://mainichi.jp/articles/20190707/ddl/k25/010/247000c 2023年6月25日閲覧。 
  6. ^ 成田嵩憲、森田真奈子、浅井弘美 (2019年7月6日). “候補者はこんな人:参院選2019”. 中日新聞. https://www.chunichi.co.jp/article/senkyo/kokusei201907/sig/CK2019070602000277.html 2019年12月16日閲覧。 
  7. ^ “参院選2019:主な立候補者の横顔/2 政治家への志 /滋賀”. 毎日新聞. (2019年7月10日). https://mainichi.jp/articles/20190710/ddl/k25/010/404000c 2023年6月25日閲覧。 
  8. ^ a b c d “嘉田由紀子 育児ノイローゼに胃がん摘出…次男語る激動半生”. 女性自身. (2012年12月6日). https://jisin.jp/domestic/1621240/ 2019年12月17日閲覧。 
  9. ^ “<ニッポン女政考>「保育園落ちた日本死ね」 45年前の苦労、今も 嘉田由紀子さんインタビュー詳報”. 中日新聞. (2021年9月15日). https://www.chunichi.co.jp/article/327030 2023年6月25日閲覧。 
  10. ^ 「森元首相「女の方、狭いなあ」新駅反対の滋賀知事に 富山の講演会で」『読売新聞』2007年7月10日
  11. ^ 『ふるさと探査 2014年』、北國新聞朝刊、2008年1月30日付。
  12. ^ asahi.com(朝日新聞社):橋下知事・河村市長ら総務省顧問に 「地域主権」担当 - 2009政権交代”. www.asahi.com. 2023年12月13日閲覧。
  13. ^ 「かだ由紀子と県民がつくる 滋賀の未来をひらくマニフェスト 2010(第1版)」p.3
  14. ^ 嘉田由紀子 (2010)「論点-42;道州制を導入すべきか」『日本の論点2010』pp.412-415
  15. ^ みんなの党、嘉田知事支援に応じず 滋賀県知事選で[リンク切れ] - 京都新聞(2010年6月2日付)
  16. ^ 栗東RD産廃 9月ごろ調査着手 残る6自治会、県に同意書渡す[リンク切れ] - 京都新聞(2010年6月20日付)
  17. ^ 滋賀知事「新幹線に新駅必要」「もったいない」凍結から一転、波紋も Archived 2012年12月9日, at the Wayback Machine. SankeiBiz (2012年8月7日)
  18. ^ 「新幹線新駅は必要」発言_嘉田知事、栗東市長に直接謝罪も溝埋まらず Archived 2012年12月8日, at the Wayback Machine. SankeiBiz(2012年8月21日)
  19. ^ 滋賀県・嘉田知事 新党結成を表明 Archived 2012年11月30日, at the Wayback Machine. 2012年11月27日18:43配信(配信日に閲覧)
  20. ^ 生活 解党し嘉田新党に合流へ Archived 2012年11月29日, at the Wayback Machine. 2012年11月27日18:12(配信日に閲覧)
  21. ^ “「日本未来の党」設立=候補者・公約は来月2日発表-小沢氏は無役に【12衆院選】”. 時事ドットコム. (2012年11月28日). http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012112800681 2012年11月29日閲覧。 [リンク切れ]
  22. ^ 硬い表情…「政策浸透せず」 未来の党・嘉田代表 Archived 2012年12月17日, at the Wayback Machine. MSN産経ニュース 2012年12月16日
  23. ^ 衆院選:未来の党、嘉田代表 脱原発「前進したい」 Archived 2012年12月19日, at the Wayback Machine. 毎日jp 2012年12月17日
  24. ^ “未来代表の辞任を表明/嘉田氏”. 北海道新聞 (北海道新聞社): p. 3. (2013年1月4日(夕刊)) 
  25. ^ 加藤明子 (2014年4月27日). “選挙:滋賀県知事選 嘉田氏と三日月氏、候補者一本化合意”. 選挙毎日 (毎日新聞社). http://senkyo.mainichi.jp/news/20140427ddn002010048000c.html 2014年9月11日閲覧。 
  26. ^ “滋賀県の嘉田知事、不出馬へ…「達成感がある」”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2014年4月29日). https://web.archive.org/web/20140429153845/http://www.yomiuri.co.jp/election/local/20140429-OYT1T50007.html 2014年9月11日閲覧。 
  27. ^ 加藤明子 (2014年4月29日). “嘉田・滋賀県知事:3選不出馬へ”. 選挙毎日 (毎日新聞社). http://senkyo.mainichi.jp/news/20140429ddm002010112000c.html 2014年9月11日閲覧。 
  28. ^ “嘉田滋賀知事、3選不出馬意向”. MSN産経ニュース. (2014年4月29日). https://web.archive.org/web/20140429114753/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140429/elc14042920190002-n1.htm 2014年9月11日閲覧。 
  29. ^ 4月29日の読売、毎日新聞記事の「嘉田三選不出馬」記事について - Facebook”. 嘉田由紀子 Facebook (2014年4月28日).2014年9月11日閲覧。
  30. ^ 「嘉田由紀子から皆さまへー大切なメッセージ」”. かだ由紀子と歩む会 (2014年5月7日). 2014年9月11日閲覧。
  31. ^ a b “嘉田前滋賀知事が希望の党公認出馬へ 滋賀1区、引退の川端氏後継”. 産経新聞. (2017年9月29日). https://www.sankei.com/article/20170929-DDJVHDVKJNJERFD3XHFVF7QT6Y/ 2017年9月30日閲覧。 
  32. ^ a b “嘉田前滋賀知事、希望に公認断られる 無所属出馬へ”. 朝日新聞. (2017年10月2日). http://digital.asahi.com/articles/ASKB200YWKB1PTIL011.html 2017年10月3日閲覧。 
  33. ^ a b “嘉田前知事、無所属で出馬 希望の党「党首経験者は公認せず」 滋賀1区”. 産経新聞. (2017年10月2日). http://www.sankei.com/west/news/171002/wst1710020069-n1.html 2017年10月3日閲覧。 
  34. ^ “嘉田前知事は「立憲民主党」参加拒否 民進分裂に関係者「残念」”. 京都新聞. (2017年10月3日). http://kyoto-np.co.jp/top/article/20171003000049 2017年10月3日閲覧。 
  35. ^ a b “嘉田前知事、滋賀1区から無所属で出馬表明”. 毎日新聞. (2017年10月2日). https://mainichi.jp/senkyo/articles/20171003/k00/00m/010/064000c 2017年10月3日閲覧。 
  36. ^ a b “前知事出馬が波紋 1区、共闘崩れて混沌”. 中日新聞. (2017年10月15日). https://static.chunichi.co.jp/chunichi/archives/article/senkyo/shuin2017/sig/CK2017101502100027.html 2023年6月25日閲覧。 
  37. ^ a b “衆院選候補者に聞く 1区 /滋賀県”. 朝日新聞滋賀版. (2017年10月12日) 
  38. ^ “滋賀1区、嘉田由紀子氏が落選 無所属出馬”. 東京新聞. (2017年7月19日). http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017102201002642.html 2017年10月23日閲覧。 
  39. ^ 滋賀-開票速報-2017衆議院選挙(衆院選):朝日新聞デジタル
  40. ^ 「迫る'18年 滋賀県知事選挙(3)」 滋賀報知新聞平成30年6月7日(木) 第18135号
  41. ^ 「2018知事選告示 現新2氏、17日間の熱戦へ 24日に投開票 /滋賀」 毎日新聞2018年6月8日 地方版
  42. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2018年12月6日). “参院選滋賀選挙区に嘉田元知事 国民民主が擁立方針”. 産経ニュース. 2019年3月1日閲覧。
  43. ^ 参院選:立憲、国民に懸念表明 嘉田氏「統一候補以外は出ず」 /滋賀”. 毎日新聞. 2019年3月1日閲覧。
  44. ^ 参院滋賀、嘉田氏擁立方針を発表 立憲民主と国民民主”. 中日新聞 CHUNICHI Web. 2019年3月1日閲覧。
  45. ^ “参院選:立憲と国民、嘉田氏擁立で合意 共産との調整、焦点 /滋賀”. 毎日新聞. (2019年3月2日). https://mainichi.jp/articles/20190302/ddl/k25/010/448000c 2019年3月2日閲覧。 
  46. ^ “共産、滋賀3区に佐藤耕平氏擁立へ 次期衆院選”. 京都新聞. (2019年6月4日). https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/7971 2019年12月18日閲覧。 
  47. ^ 森田真奈子 (2019年12月30日). "湖国の一年 回顧2019 (4)嘉田前知事が参院選初当選 共闘奏功 結束続くか". 中日新聞。
  48. ^ 嘉田由紀子氏、雪辱果たす滋賀3年越し野党共闘が結実 朝日新聞2019年7月21日付
  49. ^ 嘉田氏、国民民主入り断る 時事ドットコム2019年7月25日付
  50. ^ 参議院で初当選した永江さんが新会派 日テレ2019年7月30日付
  51. ^ 「京都新聞」2020年1月14日。
  52. ^ “合流新党に149人参加 うち衆院議員106人”. NHK. (2020年9月4日). https://www.nhk.or.jp/politics/articles/statement/44103.html 2020年9月6日閲覧。 
  53. ^ “合流新党に山井氏参加「より大きな固まりの野党でコロナ対策前進へ」、嘉田氏は無所属で活動”. 京都新聞. (2020年9月3日). https://this.kiji.is/674215370594944097?c=39546741839462401 2020年9月6日閲覧。 
  54. ^ “玉木氏ら新国民民主は14人 大塚氏参加、連合系割れる”. 中日新聞. (2020年9月8日). https://www.chunichi.co.jp/article/117311 2020年9月8日閲覧。 
  55. ^ “嘉田由紀子氏、国民民主党会派入り 参院”. 日本経済新聞. (2022年9月1日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA018FS0R00C22A9000000/ 2022年9月6日閲覧。 
  56. ^ “地域政党「チームしが」新代表に中沢啓子氏 嘉田由紀子参院議員は顧問就任”. 京都新聞. (2023年6月7日). https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1040809 2023年12月7日閲覧。 
  57. ^ “前滋賀県知事の嘉田由紀子参院議員、国民民主党に入党…党が了承”. 読売新聞. (2023年6月7日). https://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20230607-OYT1I50110/ 2023年6月7日閲覧。 
  58. ^ 国民民主・前原氏ら4人離党届 新党「教育無償化の会」結成 - 時事ドットコム 2023年11月30日
  59. ^ 新党結成の前原氏ら除名へ 国民民主、離党届受理せず - 共同通信 2023年12月12日
  60. ^ 国民民主、前原誠司氏らの除名決定 新党結成表明「結束乱した」 - 産経ニュース 2023年12月13日
  61. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v “2017衆院選 候補者アンケート”. 朝日新聞. (2017年). https://www.asahi.com/senkyo/senkyo2017/asahitodai/koho.html?k=00000B3V 2017年10月16日閲覧。 
  62. ^ a b c d 朝日・東大谷口研究室共同調査”. 朝日新聞 (2019年). 2019年7月8日閲覧。
  63. ^ “3陣営、舌戦スタート”. 中日新聞 (中日新聞社). (2019年7月5日). https://www.chunichi.co.jp/article/senkyo/kokusei201907/sig/CK2019070502000283.html 2019年7月5日閲覧。 
  64. ^ File PDF”. 三菱UFJリサーチ&コンサルティング. 2020年5月2日閲覧。
  65. ^ 人権外交を超党派で考える議員連盟”. 2021年4月19日閲覧。
  66. ^ 「2つの原爆で軍国主義から抜け出た」 滋賀報知新聞 2012年12月12日
  67. ^ “DVシェルター特定情報、動画で発言 嘉田参院議員”. 産経新聞. (2021年5月13日). https://www.sankei.com/affairs/news/210513/afr2105130008-n1.html 2022年2月10日閲覧。 
  68. ^ “嘉田前滋賀知事 DV被害シェルター特定される発言 ユーチューブで”. 京都新聞. (2021年5月13日). https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/564127 2022年2月10日閲覧。 
  69. ^ “DVシェルター特定につながる情報 嘉田参院議員が発言”. 朝日新聞. (2021年5月12日). https://www.asahi.com/articles/ASP5D7FX8P5DPTJB00Z.html 2022年2月10日閲覧。 
  70. ^ [2010年1月25日 毎日新聞]
  71. ^ 明堂純子ウェブサイト
  72. ^ 渡辺やすゆきOfficial Site
  73. ^ 大津市議選、嘉田前知事の次男・修平氏がトップ当選 - 朝日新聞(2015年4月27日付、2015年7月17日閲覧)

外部リンク[編集]

公職
先代
國松善次
滋賀県の旗 滋賀県知事
公選第16-17代:2006年 - 2014年
次代
三日月大造
党職
先代
(結成)
チームしが代表
初代:2014年 - 2023年
次代
中沢啓子
先代
(結成)
日本未来の党代表
初代:2012年 - 2013年
次代
生活の党:森裕子
日本未来の党 (政治団体):阿部知子