嘉田由紀子
| 嘉田 由紀子 かだ ゆきこ | |
|---|---|
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| 生年月日 | 1950年5月18日(69歳) |
| 出生地 |
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| 出身校 |
京都大学農学部 京都大学大学院 |
| 前職 | 京都精華大学教授 |
| 所属政党 |
(無所属→) (日本未来の党(旧)→) (日本未来の党→) (無所属/チームしが→) (国民民主党/チームしが→) 無所属/チームしが(碧水会) |
| 称号 | 学位:農学博士(京都大学) |
| 配偶者 | 元夫・嘉田良平(2008年離婚)[1] |
| 親族 |
父・渡辺康雄(元本庄市議会議員) 姉・明堂純子(元本庄市議会議員) 次男・嘉田修平(大津市議会議員) |
| 公式サイト | かだ由紀子 – いま、滋賀は一つ! |
| 選挙区 | 滋賀県選挙区 |
| 当選回数 | 1回 |
| 在任期間 | 2019年7月29日 - 現職 |
| 当選回数 | 2回 |
| 在任期間 | 2006年7月20日 - 2014年7月19日 |
嘉田 由紀子(かだ ゆきこ、1950年5月18日 - )は、日本の政治家、農学者、環境社会学者、文化人類学者。院内会派「碧水会」所属の参議院議員(1期)、地域政党チームしが代表。滋賀県知事(第8代)、日本未来の党代表、びわこ成蹊スポーツ大学学長などを歴任。
元夫は元京都大学農学部教授の嘉田良平(農業経済学、専門は環境保全型農業)[1]。姉は元本庄市議の明堂純子[2]。次男は大津市議会議員の嘉田修平[3]。
目次
来歴・人物[編集]
埼玉県本庄市に、本庄市議会議員を務める渡辺康雄の娘として生まれる。埼玉県立熊谷女子高等学校時代に生徒会長を務め、小田実の「なんでも見てやろう」を読みアフリカへ憧れを抱く。
京都大学農学部へ進学して当時女性部員がいなかった探検部へ、後に夫となる当時の部長と入部許可を求めて口論の上で入部する。3回生の時にタンザニアで半年間生活した。
1973年、京都大学農学部を卒業、1981年、京都大学大学院農学研究科博士課程を修了し、京都大学より農学博士(論文名『琵琶湖の水問題をめぐる生活環境史的研究』)を授与される。滋賀県立琵琶湖博物館研究顧問、京都精華大学人文学部教授を歴任し、2006年7月2日の滋賀県知事選に当選して全国で5人目の女性知事となる。2014年10月びわこ成蹊スポーツ大学の3代目学長に就任するも、第48回衆議院議員選挙出馬に伴い2017年9月に辞任した。
学究[編集]
1973年、京都大学農学部を卒業して大学院農学研究科へ進学し、アメリカ・ウィスコンシン大学大学院へ、アフリカやアジアの経済発展を社会開発や環境の面から研究するため留学するも、指導教官より日本の農村研究を促され、1974年、一時帰国して琵琶湖湖畔における農村生活の形態変化について研究しながら海外での調査研究も継続する。1981年、京都大学大学院農学研究科博士後期課程を修了し、琵琶湖研究所員として琵琶湖周辺の農村生活、ホタルダスや水環境カルテなどを調査研究する。1996年開館の滋賀県立琵琶湖博物館に構想段階から深く関わり、後に滋賀県知事の座を争うことになる國松善次とは同僚である。2000年、京都精華大学人文学部環境社会学科教授となる。
滋賀県知事へ[編集]
2006年、「もったいない」を合言葉に、新幹線新駅の建設凍結、県内に計画されているダムの凍結見直し、旧志賀町に予定している廃棄物処分場の中止などを主張して滋賀県知事選挙に出馬。
真に県民のための県政を目指すという「超政党」という立場から全政党に対して推薦依頼を提出する。自民党と民主党は別々に、國松知事と嘉田の双方から主張を聞く会を催した。民主党内には嘉田を推す声が強かったが、新幹線の新駅に対する立場を変えることができず、結果的に自民、民主両党は現職の國松に相乗りした(民主党県連の決定直後に小沢一郎代表の相乗り禁止指令が出た)。その後、公明党も國松の推薦に回った。一方、共産党は当初嘉田支援のために動いたが、途中で推薦から支持に切り替えた嘉田に対する反発と、新駅及びダム建設推進に含みを残す自民党近江八幡支部との対立から支援を見送り、対立候補(無所属の推薦候補)を立てた。嘉田側は、共産党から他党の関係者を入れないように申し入れを受け、「政党の違いは小異であり、県民党の立場で支持を求めた」が、受け入れられなかったと言っている。嘉田は社民党に対する要請でも、途中で推薦から支持に切り替え、社民は不快感を表明したが、最終的に受け入れた。
最終的に嘉田には、社民党支持と近江八幡支部をはじめとする自民党非主流派の支援が残り、選挙戦の末、自民、公明、民主の3党が推薦する現職の國松を破り、当選する。
2010年7月、滋賀県知事選挙に再選を目指して出馬し、自民党前衆議院議員の上野賢一郎らを破り再選する。この時の得票数419,921票は、滋賀県知事選挙史上最多得票である。
滋賀県知事として[編集]
知事当選により、この時点で大阪府の太田房江、熊本県の潮谷義子、千葉県の堂本暁子、北海道の高橋はるみに次ぐ全国で5人目の女性知事となった。
当選以降、自身が公約で主張した「新幹線新駅・産廃処理施設・ダム事業の凍結、見直し」政策を進め、新幹線新駅関連・廃棄物処分場については2007年(平成19年)度における関係予算をつけないことが決まり、これらの事業を事実上中止することができた。
滋賀県栗東市の新幹線新駅問題では、一部では損害賠償請求を求められるという噂もあったが、JR東海の松本正之社長は2007年7月9日、今後の対応について「10月末に出る地元の結論を受けて法的対応を考えるが、工事負担金を5月に仮精算したので大きな問題はない」と述べ、地元に対する新駅計画凍結による損害の賠償請求を行う可能性は低いとの認識を示し、新幹線新駅凍結の今後は地元の事後処理へと焦点が移ることとなった。
ただ、ダム事業の凍結・見直し(撤回でも中止でもない)公約では、県内に計画されているダム6つ(丹生ダム、大戸川ダム、永源寺第二ダム、芹谷ダム、北川第一ダム、北川第二ダム)の内、県営の芹谷・北川第一のダム建設計画については2007年2月の議会で容認と取れる答弁を行った。他方、県営北川第二ダムは公約通りの凍結方針を表明しているにもかかわらず、マスコミには取り上げられることはほとんどなかった。また、国営の丹生ダムについては、今までの貯水ダム計画には否定的な見解を示している。ただ、穴あきダムの可能性はあり得るとの発言をとりあげ、マスコミはまたも推進と報じたが、その後は推進するような態度を嘉田は示していない。統一地方選挙後は、県議会の流れの変化によるものか、ダム建設計画に前向きと思わせるような発言をすることは見られなくなった。一部ではダム建設計画への否定的な発言も見られ、また、就任一年の会見では、「社会変動の中でかつて計画したことをそのまま続けることが、本当に次の世代に喜ばれることなのか。勇気ある撤退が必要。」と新幹線のみならずダム計画の凍結に対するこだわりを感じさせる発言もあった。こうした中、2008年11月の定例県議会で、国が計画する大戸川(だいどがわ)ダム(大津市)の建設中止を事実上求める知事の意見案が廃案となった。
当選後の議会における所信表明演説においては「財政的観点からもダム事業は凍結する」という姿勢を見せていたが、一方で「治水事業の瑕疵(かし)で一人でも死者が出た場合は辞任する」とも述べていた。ダム建設を推進・要望していた大津市や彦根市をはじめ県内の自治体は知事の公約に反発、特に丹生ダム建設が計画されていた余呉町とは激しく対立した。
本人は公約について「一切ダムを作らないという、脱ダム(という意味)ではない」、「(マニフェストでは)ダムだけに頼らない治水計画を掲げた。ダムすべてを否定はしていない」また「(現在は)ダムの必要性、効果、影響も含めて議論する過程の中にある」と述べている。この間、ダム事業に対する流れは2004年に発生した平成16年7月福井豪雨をきっかけとした足羽川ダム(福井県)の建設再開(凍結解除)や、2006年に発生した平成18年7月豪雨をひきがねとして長野県の田中康夫が知事選挙に落選したことおよび後任の村井仁による「脱ダム宣言」の撤回など、ダム事業再評価の動きが見られ、こうした流れも微妙に影響を及ぼしている。
2007年、統一地方選挙では彼女を応援する、対話でつなごう滋賀の会が結成され、躍進した。2007年4月23日には留守番電話で、「長崎のようになりたくなければ新駅を作れ」と脅迫された。伊藤一長長崎市長射殺事件を指しているものと思われる。
議会で新駅建設反対派が推進派を上回った結果、推進派の自民党滋賀県連は「知事の考えに従う」として新駅の凍結に賛成する意向を示した。こうした情勢を受けて中川秀直幹事長が現地入りして嘉田と対談し、7月9日には新幹線新駅の凍結方針が国から示された。森喜朗元首相に、「女の人だな、やっぱり(視野が)狭い」と批判された[4][5]。しかし、嘉田は「女性蔑視(べっし)だと言うのは控えたい。問題の本質は財政問題。男だから、女だからとは無縁」などと大人の対応をし、株を上げた。
10月24日、新駅問題について国松正一栗東市長らと話し合う会議が同日午後、大津市内で開かれ、新駅建設の根拠となる各種協定が今月末で白紙に戻ることを大半の市長が容認した。嘉田知事が前年7月の知事選で「凍結」と訴えた最重要公約が約1年4カ月かけて実現することになる。
国土交通省が推し進める大戸川ダム建設については、淀川水系に属する知事として橋下徹大阪府知事・山田啓二京都府知事・野呂昭彦三重県知事らとともにNOとする共同声明を出している。また、橋下の昨年1年間の大阪府の財政改革などに対する奮闘振りに「やはりマスコミ慣れしている分、はっきりとした意見が言えるのは少し羨ましいですね」と評している。一方、ダム事業の対応についてマスコミや一部支援者から「態度が曖昧」と批判されている。
2008年1月から4月の記者会見等の中で嘉田は、県政にとっては財源の視点から道路特定財源の暫定税率廃止は困るが、しかし、暫定が続いているという現制度自体の問題点や一般財源化の議論が必要であると指摘した。新名神高速道路の大津ジャンクション予定地以西の「当面着工しない区間」については、必要な道路であるとし凍結解除を訴えていた。2012年4月に新名神建設の凍結は解除され、事業区間となっている。
2009年11月、ジーエス・ユアサコーポレーションが新駅予定地跡地に電気自動車用リチウムイオン電池の新工場を建設する計画を表明。2010年4月には生産計画が発表された。嘉田は新駅凍結の代替案として「電気自動車用の電池工場の誘致に成功した」「400億円の投資と800人の雇用が見込まれる」[6]としている。しかし予定地約50ヘクタールのうち、2012年9月時点でなお30-40ヘクタールの土地の利用が決まっていない。
2010年2月16日、7月11日に投開票が予定されている県知事選に出馬する意向を表明した。4月2日には、新しい支援団体として滋賀の未来をひらく会が発足し、元成安造形大学長の木村至宏が会長に、県商工会連合会長の川瀬重雄が同会の副会長に就任している。
都道府県を廃止する安易な道州制の導入は地域のアイデンティティを破壊するとして、道州制にはきわめて慎重な姿勢を示している[7]。6月、みんなの党に支援を要請するが、みんなの党は道州制に関する議論で認識の違いがあるとして拒否した[8]。
栗東市のRDエンジニアリング産廃問題では、全量撤去案(240 - 400億円)ではなく遮水壁案(約50億円)を提案し、全量撤去を望む住民から批判されていた。2010年1月には「有害物の除去」を柱とする案を新たに示したが、除去する有害物の範囲などで住民側と協議が難航。新たに「有害物をできる限り除去する」との方針を打ち出し、工事に取りかかるためのボーリング調査を提案。地元自治会は県の姿勢を評価し、6月20日に地元7自治会と県との間で調査へ着手することが同意された。自治会側からは「約10年を経て、問題解決に一歩進んだ」と評価する声や、「今後も継続して自治会と協議してほしい」と注文する意見が挙がっている[9]。
2012年、未来政治塾の開講を発表する。
2012年8月、嘉田は新幹線新駅問題の時点ではJR東海のリニアモーターカーによる中央新幹線建設が順調に進行することを予期できなかったとし、その上で中央新幹線が完成した後は東海道新幹線は中距離輸送を担うことになるため、その際には米原駅と京都駅の間に新駅が必要となるという見通しを述べる。これはあくまで中長期的な見通しであるとし、南びわ湖駅建設の復活や特定の他の場所における建設を意味するものではないとしている[10][11]。
新党を結成、代表に就任 - 辞任へ[編集]
同年11月27日、新党日本未来の党を結成すると発表した[12]。この政党の結成を受けて、小沢一郎は、自身が代表を務めてきた国民の生活が第一(以下、生活)を解党した上で、党ごと合流することを決定した[13]。翌28日、減税日本・反TPP・脱原発を実現する党共同代表の山田正彦や生活の広野允士参院議員会長など所属議員8名で総務省へ政党届出を行った[14]。
「小沢一郎さんを使いこなせずに官僚を使いこなすことはできません。」と述べる。
同年12月16日に執行された第46回衆議院議員総選挙において、日本未来の党は公示前の62議席から約7分の1にあたる9議席に大きく減らした。嘉田は開票センターでの記者会見で「十分時間が取れなかった。政策が浸透していなかった」と述べたが[15]、記者の質問を聞き逃し「ごめんなさい。もうろうとしていまして」と取り繕うという場面もあった[16]。
総選挙後、小沢との対立が表面化。嘉田は未来の党を離党し阿部知子衆議院議員と新たに政治団体として日本未来の党を結成した。また、未来の党は生活の党に改称した。
2012年12月26日に党代表と県知事の兼務解消を求める決議が滋賀県議会で可決されたことを受け、2013年1月4日に党の代表を辞任することを正式表明した[17]。
知事引退[編集]
嘉田は日本未来の党代表辞任後も次期知事選への立候補については明言を避けていた。こうした中2014年3月、前回知事選時に嘉田を支援した民主党の滋賀県連代表・三日月大造が嘉田の意向表明を待たずして同年6月の次期知事選への立候補を表明、嘉田の去就に注目が集まった。
同年4月26日、嘉田と三日月が同席した集会において候補者一本化の合意を発表、その結果は5月7日に発表し同時に新政治集団「チームしが」を発足させるとした[18]。
4月29日、『嘉田が関係者に知事選不出馬の意向を示した』[19][20][21]という報道がなされ、嘉田本人は『いかにも決定したような内容であり、このような憶測記事を出すことには強く抗議をします』と発表[22]。
5月7日、正式に不出馬を表明し二期をもって知事を引退した[23]。
知事引退後[編集]
2017年10月22日に行われる第48回衆議院議員総選挙において、衆議院議員引退予定の民進党川端達夫からの後継指名を受けて[24]滋賀1区から出馬する意向を同年9月末に固め[25]、当初は希望の党からの出馬を目指した[25] が希望の党からは嘉田がかつて国政政党の党首だったことから公認を認められないと回答され叶わなかった[26][27]。また立憲民主党からは参加の要請があったが嘉田はこの要請を断り[28]、無所属で立候補[26][27][29]。一部では嘉田が比例代表では希望の党を推す意向だと報じられたが[29]、公示後のインタビューでは「私は無所属。比例区でどの政党に投票して、とお願いすることはない」とこれを否定した[30]。滋賀1区は嘉田、自民党前職の大岡敏孝、社民党の新人の3人の争いとなった。79,724票を獲得したが、大岡に約5,000票差で敗れ落選[31][32]。
2018年滋賀県知事選挙では松井一郎大阪府知事から出馬を促されるなどされたものの[33]、チームしが関係者とともに自身の後継にあたる三日月大造知事の応援に入った[34]。
2018年12月、国民民主党滋賀県連が嘉田を第25回参議院議員通常選挙の滋賀県選挙区公認候補とする意向であると報じられた[35]。これに対し同選挙区では立憲民主党は元衆院議員の田島一成を、日本共産党は党滋賀県委員会常任委員の佐藤耕平を予定候補としていたため嘉田は野党統一候補でなければ出馬しないと表明[36]。調整の結果2019年3月1日に国民民主党・立憲民主党両党の県連は、嘉田が国民民主党を離党して無所属で立候補することを条件に統一候補として推す方針で合意したと発表し、嘉田は同日に国民民主党を離党した[37][38]。投開票の結果自民党現職の二之湯武史を破り国政選挙に初当選した[39]。当選後国民民主党代表の玉木雄一郎に復党を持ちかけられたが「当面は無所属で、というのが選挙中の(支援者との)約束だ」と断り[40]、同じく野党統一無所属として当選した永江孝子と共に院内会派「碧水会」を結成した[41]。
政策[編集]
憲法[編集]
外交・安全保障[編集]
- 安全保障関連法案の成立について「どちらかと言えば評価しない」[42]。
- 日本の防衛力はもっと強化すべきだ、という考えに「どちらかと言えば反対」[42]。
- 他国からの攻撃が予想される場合には先制攻撃もためらうべきではない、という考えに「どちらかと言えば反対」[42]。
- 北朝鮮に対しては対話よりも圧力を優先すべきだ、という考えに「どちらかと言えば反対」[42]。
- 非核三原則を堅持すべき[42]。
経済[編集]
- 安倍内閣の経済政策全般(アベノミクス)を評価しない[42]。
- 経済競争力を多少犠牲にしても格差是正を優先すべきという考えにどちらかと言えば近い[42]。
- 財政赤字は危機的水準であるので、国債発行を抑制すべき[42]。
税制[編集]
- 2017年の衆議院議員選挙に先駆けて行われたアンケートにおいて、消費税10%に「どちらかと言えば反対」、長期的に消費税率を10%よりも高くすることに「どちらかと言えば反対」と回答している[42]。
- 2019年の参議院議員選挙公示日での第一声では、消費税増税反対を強く訴えた[43]。
- 所得や資産の多い富裕層に対する課税を強化すべき[42]。
エネルギー政策[編集]
社会[編集]
- 被選挙権を得られる年齢を引き下げることに、どちらかと言えば賛成[42]。
- 共謀罪の成立を評価しない[42]。
- 治安を守るためにプライバシーや個人の権利が制約されることに反対[42]。
- 安倍内閣の森友学園・加計学園の問題への対応を評価しない[42]。
- 首相には靖国神社に参拝してほしいという考えに反対[42]。
- ひとり親家庭やDINKSなど家族の形は多様でよいという考えに近い[42]。
- 同性婚を法律で認めることに、どちらかと言えば賛成[42]。
- 選択的夫婦別姓制度に賛成[42][44]。
- 幼稚園・保育所から大学までの教育を無償化することに賛成[42]。
発言[編集]
2つの原爆で軍国主義から抜け出た[編集]
2012年の第46回衆議院議員総選挙の際、同年12月4日の日本未来の党党首として臨んだインタビューで、「実は、第二次世界大戦は2つの原爆で戦後、戦中の軍国主義から抜け出ました」と発言。同月9日、大津市内での記者のぶら下がりで「米国側の歴史観に立ったものでなく、原爆と原発事故の二つの出来事は大きな歴史的転換点だったということを述べたもの」と釈明した[45]。
知事選挙結果詳細[編集]
| 当落 | 得票数 | 候補者 | 所属党派 | 前歴 | 推薦・支持 |
|---|---|---|---|---|---|
| 当 | 217,842 | 嘉田由紀子 | 無所属 | 新人 | 社会民主党(支持) |
| 185,344 | 國松善次 | 無所属 | 現職 | 自由民主党、民主党、公明党(推薦) | |
| 70,110 | 辻義則 | 無所属 | 新人 | 日本共産党(推薦) |
| 当落 | 得票数 | 候補者 | 所属党派 | 前歴 | 推薦・支持 |
|---|---|---|---|---|---|
| 当 | 419,921 | 嘉田由紀子 | 無所属 | 現職 | |
| 208,707 | 上野賢一郎 | 無所属 | 新人 | ||
| 36,126 | 丸岡英明 | 無所属 | 新人 | 日本共産党(推薦) |
著書[編集]
- 他、多数あり。 ※詳細は、嘉田由紀子ウェブサイト ‐ モノ、コト、ココロの環境論 を参照。
京都精華大時代には光村図書の小学校国語の教科書の編著者の一人であり、5年生の1単元で著作が使用された。
関連項目[編集]
- みどりの政治
- ダイバーシティ・マネジメント
- 松田馨
- 原子力撤廃
- 探偵ナイトスクープ - 2009年9月11日放送分(関西地区)にて、顧問として出演。
脚注[編集]
- ^ a b “嘉田知事の離婚に思う(見聞録)”. 滋賀夕刊 (2008年5月20日). 2013年3月10日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年10月20日閲覧。
- ^ 明堂純子ウェブサイト
- ^ 大津市議選、嘉田前知事の次男・修平氏がトップ当選 - 朝日新聞(2015年4月27日付、2015年7月17日閲覧)
- ^ 「森元首相「女の方、狭いなあ」新駅反対の滋賀知事に 富山の講演会で」『読売新聞』2007年7月10日
- ^ 森は北陸新幹線の関西方面への延伸について説明するなかで「もったいない知事」として嘉田を批判した。その理由として、「日本列島が全部新幹線でつながると、人の動き、ものの動きが変わる。その中、(新駅がないと)滋賀県が恩恵に浴するのは米原しかなくなる。そこまで考えて施策はやらないといけない」と述べている。なお、この後森は米原接続をした上以西は東海道新幹線の線増をすることを提言している。(『ふるさと探査 2014年』、北國新聞朝刊、2008年1月30日付)
- ^ 「かだ由紀子と県民がつくる 滋賀の未来をひらくマニフェスト 2010(第1版)」p.3
- ^ 嘉田由紀子 (2010)「論点-42;道州制を導入すべきか」『日本の論点2010』pp.412-415
- ^ みんなの党、嘉田知事支援に応じず 滋賀県知事選で[リンク切れ] - 京都新聞(2010年6月2日付)
- ^ 栗東RD産廃 9月ごろ調査着手 残る6自治会、県に同意書渡す[リンク切れ] - 京都新聞(2010年6月20日付)
- ^ 滋賀知事「新幹線に新駅必要」「もったいない」凍結から一転、波紋も Archived 2012年12月9日, at the Wayback Machine. SankeiBiz (2012年8月7日)
- ^ 「新幹線新駅は必要」発言_嘉田知事、栗東市長に直接謝罪も溝埋まらず Archived 2012年12月8日, at the Wayback Machine. SankeiBiz(2012年8月21日)
- ^ 滋賀県・嘉田知事 新党結成を表明 Archived 2012年11月30日, at the Wayback Machine. 2012年11月27日18:43配信(配信日に閲覧)
- ^ 生活 解党し嘉田新党に合流へ Archived 2012年11月29日, at the Wayback Machine. 2012年11月27日18:12(配信日に閲覧)
- ^ “「日本未来の党」設立=候補者・公約は来月2日発表-小沢氏は無役に【12衆院選】”. 時事ドットコム. (2012年11月28日) 2012年11月29日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 硬い表情…「政策浸透せず」 未来の党・嘉田代表 Archived 2012年12月17日, at the Wayback Machine. MSN産経ニュース 2012年12月16日
- ^ 衆院選:未来の党、嘉田代表 脱原発「前進したい」 Archived 2012年12月19日, at the Wayback Machine. 毎日jp 2012年12月17日
- ^ “未来代表の辞任を表明/嘉田氏”. 北海道新聞 (北海道新聞社): p. 3. (2013年1月4日(夕刊))
- ^ 加藤明子 (2014年4月27日). “選挙:滋賀県知事選 嘉田氏と三日月氏、候補者一本化合意”. 選挙毎日 (毎日新聞社) 2014年9月11日閲覧。
- ^ “滋賀県の嘉田知事、不出馬へ…「達成感がある」”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2014年4月29日) 2014年9月11日閲覧。
- ^ 加藤明子 (2014年4月29日). “嘉田・滋賀県知事:3選不出馬へ”. 選挙毎日 (毎日新聞社) 2014年9月11日閲覧。
- ^ “嘉田滋賀知事、3選不出馬意向”. MSN産経ニュース. (2014年4月29日) 2014年9月11日閲覧。
- ^ “4月29日の読売、毎日新聞記事の「嘉田三選不出馬」記事について - Facebook”. 嘉田由紀子 Facebook (2014年4月28日).2014年9月11日閲覧。
- ^ “「嘉田由紀子から皆さまへー大切なメッセージ」”. かだ由紀子と歩む会 (2014年5月7日). 2014年9月11日閲覧。
- ^ 衆院選:嘉田前知事、滋賀1区から無所属で出馬表明 毎日新聞(2017年10月2日)
- ^ a b “嘉田前滋賀知事が希望の党公認出馬へ 滋賀1区、引退の川端氏後継”. 産経新聞. (2017年9月29日) 2017年9月30日閲覧。
- ^ a b “嘉田前滋賀知事、希望に公認断られる 無所属出馬へ”. 朝日新聞. (2017年10月2日) 2017年10月3日閲覧。
- ^ a b “嘉田前知事、無所属で出馬 希望の党「党首経験者は公認せず」 滋賀1区”. 産経新聞. (2017年10月2日) 2017年10月3日閲覧。
- ^ “嘉田前知事は「立憲民主党」参加拒否 民進分裂に関係者「残念」”. 京都新聞. (2017年10月3日) 2017年10月3日閲覧。
- ^ a b “嘉田前知事、滋賀1区から無所属で出馬表明”. 毎日新聞. (2017年10月2日) 2017年10月3日閲覧。
- ^ a b “衆院選候補者に聞く 1区 /滋賀県”. 朝日新聞滋賀版. (2017年10月12日)
- ^ “滋賀1区、嘉田由紀子氏が落選 無所属出馬”. 東京新聞. (2017年7月19日) 2017年10月23日閲覧。
- ^ 滋賀-開票速報-2017衆議院選挙(衆院選):朝日新聞デジタル
- ^ 「迫る'18年 滋賀県知事選挙(3)」 滋賀報知新聞平成30年6月7日(木) 第18135号
- ^ 「2018知事選告示 現新2氏、17日間の熱戦へ 24日に投開票 /滋賀」 毎日新聞2018年6月8日 地方版
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2018年12月6日). “参院選滋賀選挙区に嘉田元知事 国民民主が擁立方針”. 産経ニュース. 2019年3月1日閲覧。
- ^ “参院選:立憲、国民に懸念表明 嘉田氏「統一候補以外は出ず」 /滋賀”. 毎日新聞. 2019年3月1日閲覧。
- ^ “参院滋賀、嘉田氏擁立方針を発表 立憲民主と国民民主”. 中日新聞 CHUNICHI Web. 2019年3月1日閲覧。
- ^ “参院選:立憲と国民、嘉田氏擁立で合意 共産との調整、焦点 /滋賀”. 毎日新聞. (2019年3月2日) 2019年3月2日閲覧。
- ^ 嘉田由紀子氏、雪辱果たす滋賀3年越し野党共闘が結実朝日新聞2019年7月21日付
- ^ 嘉田氏、国民民主入り断る時事ドットコム2019年7月25日付
- ^ 参議院で初当選した永江さんが新会派日テレ2019年7月30日付
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w “2017衆院選 候補者アンケート”. 朝日新聞. (2017年) 2017年10月16日閲覧。
- ^ “3陣営、舌戦スタート”. 中日新聞 (中日新聞社). (2019年7月5日) 2019年7月5日閲覧。
- ^ “朝日・東大谷口研究室共同調査”. 朝日新聞 (2019年). 2019年7月8日閲覧。
- ^ 「2つの原爆で軍国主義から抜け出た」 滋賀報知新聞 2012年12月12日
外部リンク[編集]
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代: 國松善次 |
公選第16-17代:2006年 - 2014年 |
次代: 三日月大造 |
| 党職 | ||
| 先代: (結成) |
日本未来の党代表 初代:2012年 - 2013年 |
次代: 生活の党:森裕子 日本未来の党 (政治団体):阿部知子 |
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