岩田順介
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岩田 順介(いわた じゅんすけ、1937年7月28日 - 2006年5月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。
岩田 順介 いわた じゅんすけ | |
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生年月日 | 1937年7月28日 |
没年月日 | 2006年5月5日(68歳没) |
死没地 | 福岡県福岡市 |
出身校 | 西日本短期大学卒業 |
所属政党 |
(日本社会党→) (社会民主党→) (旧民主党→) 民主党 |
選挙区 |
(旧福岡2区→) 比例九州ブロック(福岡8区) |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1990年2月18日 - 2000年6月2日 |
その他の職歴 | |
第2代 旧・民主党国会対策委員長 (1997年9月 - 1998年4月) |
来歴
[編集]飯塚商業高等学校(現在廃校)を経て、西日本短期大学法学部を卒業[1]後に福岡県職員となり[1]、飯塚土木事務所に勤務する[1]。その後、自治労福岡県本部委員長や福岡県評副議長などを経て[1]、1990年2月に行われた第39回衆議院議員総選挙で日本社会党の多賀谷真稔(衆議院副議長)の後継として、旧福岡2区から立候補し初当選[2]。
社会党シャドーキャビネットにおいて田辺誠時代は自治政務次官、山花貞夫時代は官房副長官の任に就いた。そして、社会民主党を経て、1996年の旧民主党結党に参画。民主党福岡県連初代代表(松本龍は民主党九州比例代表)に就任。
小選挙区制が初導入された同年10月の第41回衆議院議員総選挙では、福岡8区から立候補。麻生太郎に敗れたものの[3]、比例復活で3選した[4]。その際「全国で最後に議席を得た候補」として話題を呼んだ。
その後、1997年、民主党国会対策委員長に就任するなどしたが、2000年の第42回衆議院議員総選挙で落選[5]、政界を引退した。その間、衆議院労働委員長などを歴任した。2006年5月5日、急性骨髄性白血病のため、福岡市の病院で死去。68歳没。死没日をもって従四位叙位、旭日中綬章追贈。
政策
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]関連項目
[編集]議会 | ||
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先代 田中慶秋 |
衆議院労働委員長 1998年 - 1999年 |
次代 赤松広隆 |
党職 | ||
先代 赤松広隆 |
旧・民主党国会対策委員長 第2代:1997年 - 1998年 |
次代 新・民主党へ |