全日本自治団体労働組合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
全日本自治団体労働組合
(自治労)
All-Japan Prefectural and Municipal Workers Union(JICHIRO)
設立年月日 1954年昭和29年)
組織形態 労働組合の連合体、合同労働組合
加盟団体数 2,737単組:2010(平成22)年5月現在
組合員数 80万2,000人:2016(平成28)年6月現在
国籍 日本の旗 日本
本部所在地 〒102-8464
東京都千代田区六番町1 自治労会館
北緯35度41分16.05秒 東経139度44分7.41秒 / 北緯35.6877917度 東経139.7353917度 / 35.6877917; 139.7353917
8010005007841
加盟組織 日本労働組合総連合会
公務公共サービス労働組合協議会
国際公務労連
国際運輸労連
支持政党 民進党
社会民主党
公式サイト 全日本自治団体労働組合

全日本自治団体労働組合(ぜんにほんじちだんたいろうどうくみあい、略称:自治労(じちろう)、英語:All-Japan Prefectural and Municipal Workers Union、略称:JICHIRO)は、日本地方自治体職員などによる労働組合の連合体で合同労働組合でもある。
日本労働組合総連合会(連合)、公務公共サービス労働組合協議会(公務労協)、国際公務労連(PSI)、国際運輸労連(ITF)に加盟している。2010年(平成22年)5月27日~28日に開催された中央委員会で自治労自身が発表した組合員数は、2,737単組・83万2,814人となっており(厚生労働省平成28年労働組合基礎調査によれば80万2000人[1])、官公労の中では日本最大で、単位産業別組合(単産)としてはUAゼンセンに次ぐ第二位の組合である。また民進党の主な支持団体の一つであり、同党に組織内候補を輩出している。

概要[編集]

  • 本部:東京都千代田区六番町1 自治労会館
  • 中央執行委員長:川本淳
    • 副中央執行委員長:荒金廣明、杣谷尚彦、仙葉久
    • 書記長:福島嘉人

地方自治体の一般職員ほか、現業公営企業、公共サービス団体、衛生医療社会福祉国民健康保険連合会及び公営競技公営交通労働者が加入している。また、組織統合により合同労働組合の役割も受け持つようになった。単組では2,700あまりが加入している。

組合歌[編集]

  • 自治労組合歌(作詞:羽柴達、作曲:林光
  • 限りなき躍進(作詞:但野一博、作曲:但野一博・岡田和夫)

正式な組合歌は「自治労組合歌」だが、歌われる機会は「限りなき躍進」の方が多い。

歴史[編集]

起こり[編集]

戦前大阪市横浜市などの職員(雇員)による労働組合が結成されたが、1940年前後に一旦解散している(大日本産業報国会の成立の影響)。 戦後、大阪市や横浜市で市職員の労働組合が再建され、GHQの労働組合育成の方針と相まって、全国各地の自治体にも職員による労働組合が結成されていった。 その後、1947年結成の日本自治団体労働組合総連合会(自治労連)の下に統一され、全日本産業別労働組合会議(産別会議)に加盟していた。だが、組織での日本共産党の勢力を排除したい産別民主化同盟(民同)系が自治労連を離脱し、1949年11月28日全日本自治団体労働組合協議会(自治労協)を組織した。1954年1月29日、自治労連と自治労協は自治水協などと再統合し、全日本自治団体労働組合(自治労)を結成した。地方公務員法の職員団体と、地方公営企業労働関係法の労働組合の連合体としての発足であった。 自治労はかつて日本労働組合総評議会(総評)に加盟し、以来総評内で左派路線を歩んだ。

一方、各地の市長選挙での対応をめぐる対立などを端緒に、当時の自治労の左派色を嫌った一部の加盟組合が脱退し、1970年に同盟系(旧民社党系)の全国自治団体労働組合連合(全官公・自治労連)を結成した。

組織の拡大と性格の変化[編集]

1960年代後半から、定年制導入反対闘争や折からの労働運動の盛り上がりなどから、それまで上部団体を持たなかった自治体職員の職員団体・労働組合が自治労に加盟し、1970年代、日本最大の単産になった。

1970年頃から自治労は、自治体の外郭団体や社会福祉法人などの労働組合の加入を認め、1982年、自治労200万建設運動によって、自治体の臨時職員、公社や事業団などの外郭団体職員など大きく組織化の対象を広げた。

1982年には、地方公務員の単産という性格をもちながらも、自治体が経営に関与する職場で働く労働者を組合員にしていく路線を是認する方向で「自治労200万建設運動」の方針が決定し、大きく組織の位置づけを広げるはずであった。しかし、その後の連合への合流をめぐる主流派、反主流派の対立等で組織拡大はその目標どおりには進まず、1992年の「地域公共サービス産別建設」の方針決定まで、地方公務員の単産としての性格が大きく変わることはなかった。

連合の結成と組織分裂[編集]

連合の結成に至る一連の流れでは組織分裂を引き起こした。 連合の結成をめざす勢力は、「民間先行による労働戦線統一の基本構想(のちの連合の綱領路線)」(1981年)で、「自由にして民主的な労働組合」の路線と「西側の一員」論の立場に立ち、国際自由労連(ICFTU)加盟、批判勢力(共産党など)の排除を求めた。この動きを日本共産党の影響力の強い自治労反主流派(全国大会レベルで、約4分の1の勢力を持っていた)は、「労使協調」路線など特定の運動路線を踏み絵に、これを容認する組合だけを結集する「労働戦線の右翼的再編」、「産業報国会化」であり、政府財界主導による国民・労働者犠牲の臨調・行革攻撃を支持し推進する「反共・労使一体、体制擁護」の路線に屈服する「労働運動の右傾化」だと批判した。反主流派は、1989年3月に自治労を事実上離脱し、自治体労組全国連絡協議会(自治体連絡協)=後の日本自治体労働組合総連合(全労連・自治労連)を結成した。 自治労本部は、自治体連絡協に参加した単組のうち脱退を通告してきた組織の脱退を承認、脱退通告のないまま連絡協に参加した単組を独自に「脱退と判断」して自治労から除外する事を明確にする一方、産別帰属が明確でない加盟単組を「特別組織対策単組」に指定し、権利・義務関係を凍結、期限までに明確な態度を示さない単組は自治労から脱退したとみなす(事実上の除名処分)と通告して自治労結集を迫るなど正面からの対決を選んだ。[1]

結果、29都道府県で自治労連の県本部が結成され、反主流派が主導権を持っていた自治労の7府県の本部(岩手県埼玉県千葉県静岡県愛知県京都府愛媛県)は一時、本部による直接の代理執行が行われるなど、機能に支障をきたしたものの、1990年3月までに全府県本部の再建を終え[2]、反主流派主導だった東京都職労で多数を制する[3]など、上々の成果を挙げたとの総括がされた。

また、「血を流してでも共産党と対決して連合に参加し、その主導権をとる」との決断を自治労執行部が行ったことが、その後の総評解散、総評系官公労の連合なだれ込みによる全的統一の実現を決定づけたとされる。ただし、連合はもともとIMF-JCの加盟単産が核となり、民間単産が先行して結成された経緯があるため、IMF-JCにも民間労組中心の同盟にも系譜を持たない自治労は、組合員数で連合の15%以上を占めている割には影響力は小さいと見る向きもある。

組織拡大への挑戦と再編の時代[編集]

1990年代頃からの労働組合の深刻な組織率低下は、1990年代後半から自治労にも波及し、組織自体は広がっても組合員数の減少は止まらず、今日では100万人を割り込むまでに落ち込んだ。

この間、1992年に自治労の産業別組合としての位置づけを「地域公共サービス産別」とし、組合員を地方公務員や自治体が設置した外郭団体などの職員のほか、自治体の委託先企業の労働者をはじめ、公的サービスに従事する民間企業労働者を対象として広げた。加盟組合は、地方公務員、自治体が設立した公社・事業団等の職員、自治体の事業を受託する企業、社会福祉法人等の職員などの労働組合のほか、民間病院、専門学校、地区の医師会、土地改良連合会、NPO法人などの職員による労働組合もある。

小泉政権が発足した後の2001年9月、保険会社との間の積立型共済の運用金の取扱手数料をめぐる裏金疑惑が発覚し、東京地検特捜部捜査が行われ、法人税法違反の罪などで後藤森重・元中央執行委員長ほか2人が逮捕された(のちに執行猶予付の有罪判決)。この事件を受けて、自治労内に「再生委員会」が発足した。再生委員会は、内部統制の強化や経理の改革などの事件の処理を行うとともに、未組織労働者の組織化などを通じて社会的責任を全うするべきとの方向性を打ち出した。

2000年代からは、同じ自治体関連労組との組織統合が始まり、2002年9月5日には公営競技の組合である全国競走労働組合と、2006年1月1日には合同労働組合である全国一般労働組合と組織統合を果たした。

2001年には日本都市交通労働組合(都市交)、全日本水道労働組合(全水道)との組織統合の話が持ち上がった。自治労・都市交・全水道の三単産は2006年4月14日に地公三単産組織統合準備会を発足させ、完全な統合をめざし、過渡的な連合体として、2007年秋に地域公共サービス労働組合連合会(地域公共連合)を発足させた。これにあわせ、連合への加盟形態も、地域公共連合に変更した。2008年5月には石川県輪島市で開かれた中央委員会において、三単産の統合に伴い、自治労の名称変更をも視野に入れた基本方針が、執行部から提案され可決された。 しかし、2009年5月に組織統合は断念された。その後、地域公共連合は解散し、連合の加盟単位も、それぞれの自治労、全水道、都市交に戻した。 その後協議を進め、2013年1月の臨時大会で、都市交との組織統合に向けた内部合意をとりつけ、6月1日に都市交と組織統合を果たした。

自治労は、組織拡大に積極的に挑戦し、非正規労働社会問題化する直前の2005年から自治体の臨時・非常勤職員の組合員化を組織拡大の前面に立てている。しかし、地方公務員数の抑制による新規採用職員の絞込み、自治体の外郭団体や委託先事業の整理などが響き、組合員数の減少が続いている。

綱領的文書[編集]

自治労は、運動の理念や方向性を示すものとして、1954年の結成時に綱領を制定し、1976年に改定を行った。しかし、その内容は古典的な社会主義色が濃いものであり、地方公務員以外の組合員に共有が難しいものであった。このため、2003年9月の定期大会(続開大会)において、新たな綱領的文書として「自治労21世紀宣言」を決定した。

  • 自治労21世紀宣言
    • 1. わたしたちは、「自由・公正・連帯」の社会の創造にむけ、国内外の民主的な諸団体と連携して労働運動の前進を期す。
    • 1. わたしたちは公共サービスを担うすべての労働者・労働組合を結集し、対等な労使関係を確立して組合員の生活と権利の向上をはかる。
    • 1. わたしたちは市民と労使の協働で、有効で信頼される政府を確立し、市民の生活の質を保障する公共サービスを擁護・充実する。
    • 1. わたしたちは、自治・分権改革の進展にたゆまず努め、参加と自己決定による自立した市民社会、生活と労働の調和する男女平等参画社会を実現する。
    • 1. わたしたちは、安心・安全・信頼の協力社会を構築し、基本的人権の確立・世界平和の創造・地球環境との共生をめざす。

運動の特色[編集]

公務員賃金が民間準拠であるという原則と、それにもとづく人事院勧告による国家公務員の賃金改定に準拠しなければならないため(地方公務員法第24条第3項)、2~3月の春闘で基本的な要求をし、細部の改定内容は自治体の12月議会の前に労使交渉で確定させる流れになっている。要求段階の取り組みを春闘、妥結段階の取り組みを確定闘争または秋闘とよぶ。 労働協約締結権が認められていないため、労使交渉の結果について、最終的な拘束力はない。

  • 技能労務職公務員と地方公営企業職員の賃金・労働条件の改善

大きな流れは非現業公務員と同じだが、労使関係は地方公務員法ではなく地方公営企業労働関係法にもとづき労働協約締結権を有するため、労使交渉の結果について拘束力を持つ。

  • 地方自治研究活動(自治研活動)

自治体職員をはじめ、公共サービスに従事する労働者雇用や賃金は、住民サービスや地域ニーズのありかたと切り離されないことから、結成後3年の1957年・地方自治研究集会を開いて以来、地方自治を住民とともに発展させていくために取り組んでいる地域発の政策活動である。 地方公務員や公共サービスに従事する労働者の直接的な雇用・賃金に関わるところにとどまらない運動をしていることが、自治労の特色である。

国民的な課題に取り組んだ運動[編集]

  • 四日市公害問題の告発(1961年)
  • ニッパチ闘争(1968年)

かつては看護師に対する夜勤制限がなく、現場では過酷な勤務を強いられていた。その結果、1968年には新潟県の県立病院において、看護師が過労死する事件が発生した。この事件を発端に「2人体制・月8回以内」の夜勤制限を求める実力闘争が新潟県から全国に広まり、その結果、官民問わず全国の病院職場に夜勤制限が定着することとなった。

  • 合成洗剤追放・せっけん運動
  • 障害者のノーマライゼーションを求める運動への関わり(1970年代~)
  • 介護保険の創設に向けた国民的運動への関わり(1995~2000年)
  • 学校用務員差別告発(1990年) - 「燃える!お兄さん」の一話が封印されるきっかけとなる(アニメにはなっていない)。

自治労と年金記録問題[編集]

政治との関わり[編集]

  • 55年体制下では長らく日本社会党を支持していた。自治労は、長く国政選挙にはあまり積極的ではないスタンスを取り、参議院全国区議員を4人(半数改選のたびに東西で1人ずつ)と、若干の参議院選挙区議員、衆議院議員を組織内議員とするにとどまってきた。
  • 1960年代~70年代にかけて自治労にも日本共産党の影響力が拡大し、総評系官公労の中でも日本教職員組合とならんで、主流派(社会党系)と反主流派(共産党系)の対立抗争が激しかった。この対立は、1989~1991年にかけて反主流派の大半が自治労を離脱し、全労連・自治労連を結成するまで続いた。
  • 1989年参院選・1990年衆院選において、土井たか子による「おたかさんブーム」により、日本社会党や連合の会の候補が大量当選を果たした。日本社会党は、ほとんどの国会議員候補に対し、中心的に支援する責任単産を決め、組織内議員候補として位置づける慣習があった。当時、国労国鉄分割民営化の過程で組織が弱体化、日教組は組織率の低下、全電通や全逓は組合員数の減少などで、組織内議員を絞り込んでいたが、自治労が大量の新人候補を組織内議員として抱え、結果として、政治的影響力が強まった。仙谷由人筒井信隆(のちにJAM単独の組織内議員)のほか、伊東秀子、長谷百合子等、これらの選挙で当選した新人議員の少なくない数が自治労組織内議員であった。
  • 「おたかさんブーム」により、日本社会党を中心とした政権交代が期待されたが、日本社会党の路線転換が遅れ、またPKO国会での日本社会党の対応の失敗により、その期待は遠のいた。自治労は、1992年の定期大会で自民党政権を倒すことを基本として「民主リベラル勢力」による政権交代をめざすとした政治目標を決定し、政界再編に対応しながら政権交代をめざしていく方針を打ちたて、これまで一体的であった政党との関係を整理した。
  • 1993年には、日本社会党を含む8党派連立により細川連立政権が発足し、政権交代が実現した。しかし、細川政権は短命に終わり、その後の政界再編成の混乱から、1994年には自社さ連立政権の誕生により、組織内議員の村山富市が首相に就任した。日本社会党書記局・政策審議会などとともに、自治労は村山政権の政策面を支える役割を負い、介護保険制度の創設などでは、シンクタンク的役割と、国民運動を支える役割を負った。
  • しかし、1992年の定期大会で決定した「民主リベラル勢力」による政権交代をめざすとした政治目標と、自民党を含む連立政権とは相容れないものであったため、その克服が課題となった。自治労は村山首相の退陣後、連合の一員として、第三極としての旧民主党結成を支援した(なお当時の執行委員長は、連合の会長代行の任を担っていた。)。
  • 旧民主党が結党された1996年に、自治労は臨時大会を開催し、総選挙で民主党を基軸にたたかうことを決定した[2]。この際、多くの組織内議員が民主党の結党に参加した。一方、保守的なマスコミである産経新聞読売新聞は「自治労は『改革』に抵抗する集団」という報道をし、自治労批判をおこなった。
  • また、そのようなマスコミとともに 自民党は、大阪市や「全国社会保険職員労働組合(旧自治労国費評議会)」で見られたヤミ専従問題を指摘したり、年金記録問題では総務省に設置された年金記録問題検証委員会からも自治労が「年金記録の適切な管理を阻害した一因がある」と指摘され[3]、自治労は批判された。(後者については全国社会保険職員労働組合#年金記録問題を参照のこと。)
  • 社保庁の労組によるヤミ専従、年金のぞき見や年金横領などで問題のあった職員は日本年金機構には全員採用されないことが閣議決定された際[4]、自治労は仙谷由人(当時・自治労協力国会議員団長)とともに対象となる社保庁職員の分限免職の回避や雇用の確保を舛添要一厚生労働大臣に要請した[5]
  • 2001年第19回参議院議員通常選挙では、自治労組織内候補の民主党・朝日俊弘比例区での個人得票が約21万票、2004年第20回参議院議員通常選挙では、同じく組織内候補の民主党・高嶋良充の比例区での個人得票が約17万票にとどまるなど、その集票力に陰りが見えたとも言われたが、2007年第21回参議院議員通常選挙では中央執行委員(組織局次長)の相原久美子が約50万票を獲得し、民主党の比例代表候補者の個人得票としては、第1位となった。しかし、2010年第22回参議院議員通常選挙で、高嶋良充の後継となった特別執行委員の江崎孝の得票は約13万票であり、前回参院選の得票から大きく減らす結果となった。
  • なお、社民党の又市征治は元・富山県本部委員長という経歴にもかかわらず、長らく自治労の組織内議員という位置づけはなされていなかったが、2007年8月岩手県で行われた定期大会において、ようやく組織内議員として認められた。
  • 現在、政治的には主に民進党を支援し、組織内議員も送り込んでいる。民進党の組織内議員は、旧社会党の流れをくむ横路グループ、組合員出身でない組織内議員に多い菅グループのほか、地域的事情などから前原グループなどさまざまな民主党の派閥に別れて所属しており、地方分権社会保障などの政策を重視する点では共通しているものの、イデオロギー的なまとまりは見られない。小選挙区制が定着し、選挙で勝てる体制づくりをする中で、地域性や政界での人間関係などが重視されるようになっている。
  • 東北地連に所属する県本部や北信地連、四国地連、九州地連に所属する一部の県本部、いわゆる「13県本部」では社民党を支援しており、こちらからも組織内議員を送り込んでいる(又市征治、吉田忠智)。
  • かつては民主・社民の両党の支持県本部間で激しい論争が行われたが、ここ数回の国政選挙で選挙協力が行われるようになってからは、両党の支持者間での論争は沈静化している。
  • 菅内閣東日本大震災復興財源として、国家公務員給与を削減する計画において、自治労は連合・公務労協の一員として交渉に臨んだ。当時の片山善博総務大臣との交渉では「労働基本権の回復のための法案を同時提出し、その成立に努力すること」や「地方公務員給与には影響させないこと」などを条件に、公務労協として交渉の結果を受け入れることとなった。[6]。しかし、労働基本権の回復法案の成立のめども立たない中で、野田内閣が、連合・公務労協に何の相談もなく、地方交付税の人件費相当額などをカットしようとした際には、自治労側が激しく反発し「裏切れば、次の選挙は民主党を支持できない」との発言があったと、毎日新聞は報道した[7]
  • 女性部は、女性労働者の働きやすさ等の改善をめざし、職場改善関連法案、選択的夫婦別姓法案等の推進運動を行っている。

組織[編集]

個別記事がある組織については該当記事を参照。

本部組織

  • 大会
  • 中央委員会
  • 中央執行委員会
    • 書記局
      • 総合総務企画局
        • 企画担当
        • 国際担当
        • 総務担当
        • 報道担当
      • 総合労働局
      • 総合政治政策局
        • 社会保証担当
          • 社会福祉評議会
          • 衛生医療評議会
        • 政治政策担当
      • 総合組織局
        • 組織担当
        • 現業評議会
        • 公営企業評議会
        • 町村評議会
        • 政府関係労働組合評議会
        • 青年部
        • 女性部
        • 公営競技評議会
          (旧・全国競走労働組合)
      • 総合公共民間局
        • 公共サービス民間労働組合評議会
        • 組織拡大担当
        • 全国一般評議会
          (旧・全国一般労働組合)
      • 総合都市交通局
      • 監査室
    • 財政局

外部、その他

  • 自治労共済・自治労事業本部

地方組織

  • 地区連絡協議会
    (正式名称は「全日本自治団体労働組合○○地区連絡協議会」)
    • 都道府県本部
      (正式名称は「全日本自治団体労働組合○○県本部」)
      • 各単位組合
        • 支部・分会

地方組織[編集]

各都道府県本部が地区連絡協議会(地連)を構成している。

  • 北海道地区連絡協議会
    • 北海道本部
  • 東北地区連絡協議会
    • 青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、新潟県
  • 関東甲地区連絡協議会
    • 群馬県、栃木県、茨城県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県
  • 北信地区連絡協議会
    • 長野県、富山県、石川県、福井県
  • 東海地区連絡協議会
    • 静岡県、愛知県、岐阜県、三重県
  • 近畿地区連絡協議会
    • 滋賀県、京都府、奈良県、和歌山県、大阪府、兵庫県
  • 中国地区連絡協議会
    • 岡山県、広島県、鳥取県、島根県、山口県
  • 四国地区連絡協議会
    • 香川県、徳島県、愛媛県、高知県
  • 九州地区連絡協議会
    • 福岡県、佐賀県、長崎県、大分県、宮崎県、熊本県、鹿児島県、沖縄県

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]