笹山登生

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日本の旗 日本の政治家
笹山登生
ささやま たつお
生年月日 (1941-02-08) 1941年2月8日(76歳)
出生地 秋田県横手市
出身校 慶応義塾大学経済学部
前職 衆議院議員秘書
現職 NPO法人理事
所属政党 自由民主党→)
新生党→)
新進党→)
自由党→)
(無所属)
称号 旭日重光章
親族 父:笹山茂太郎(衆議院議員)

日本の旗 衆議院議員
選挙区 秋田2区→)
比例東北ブロック→)
秋田3区
当選回数 5回
在任期間 1980年6月23日 - 2000年6月2日
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笹山 登生(ささやま たつお、1941年(昭和16年)2月8日 - )は、日本政治家NPO法人日本エコツーリズム協会理事。

衆議院議員(当選5回)を務めた。

概要[編集]

秋田県横手市出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、農林中央金庫に就職。その後、衆議院議員秘書を務めた後、父・笹山茂太郎の地盤を継いで1979年第35回衆議院議員総選挙に秋田2区より自由民主党公認で出馬するも落選。その後、衆議院議員伊東正義の秘書をつとめる。翌1980年第36回衆議院議員総選挙で初当選し、自民党内では宏池会(鈴木派、後に宮沢派)に属する。

その後、1986年第38回衆議院議員総選挙まで3回連続当選する。1988年12月、竹下改造内閣で農林水産政務次官を務める。1990年第39回衆議院議員総選挙で落選。1993年小沢一郎羽田孜らが自民党を割って結成した新生党に合流し、同党公認で7月18日第40回衆議院議員総選挙に秋田2区より出馬、返り咲きを果たす。1994年12月の新進党結党に参加し、1996年第41回衆議院議員総選挙では同党公認で東北ブロックより比例単独出馬、5回目の当選。1997年9月、沖縄及び北方問題に関する特別委員長当選。

新進党が1997年12月に解党した後は自由党に所属し同党秋田県連代表となる。2000年4月の自由党分裂後も同党に留まったが、6月の第42回衆議院議員総選挙秋田3区より出馬するも落選、自由党を離党。

2011年6月18日、旭日重光章受章。

人物[編集]

主として農業・環境政策に取り組み、これまでに、諫早湾干拓問題、水俣病問題、ミチゲーション・バンク構想、クラインガルテン構想、農家のダイバーシフィケーション構想、ビオトープ問題、憲法における環境権問題、などについて、積極的な提言を行ってきたほか、現在もBSE問題、鳥インフルエンザ問題、福島放射性物質汚染問題、レコード輸入権等著作権問題、PSE問題などの分野で積極的に発言を行っている。

経歴[編集]

著書[編集]

家族[編集]

脚注[編集]


外部リンク[編集]