クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル

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クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル
Creedence Clearwater Revival
Creedence Clearwater Revival 1968.jpg
CCR(1968年
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンフランシスコ
ジャンル カントリーロック
スワンプロック英語版
ブルースロック
活動期間 1967年 - 1972年
レーベル ファンタジー・レコード
メンバー ジョン・フォガティ (Vocal&G)
トム・フォガティ英語版 (G)
ステュ・クック英語版 (B)
タグ・クリフォード英語版 (DS)

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル英語: Creedence Clearwater Revival, 略称CCR)は、アメリカのロック・グループである。カリフォルニア州サンフランシスコ出身のバンドであるが、ベイエリア特有の音色をもち、アメリカ南部発祥のサザン・ロックのプロトタイプで、スワンプロック英語版の元祖存在で、近年はオルタナティブ・ロックの開祖とも称される[要出典]

4年間余りという短い活動期間でありながらも人気と実績を残して、1993年ロックの殿堂入りした。「ローリング・ストーンの選んだ歴史上最も偉大な100組のバンド」第82位。

来歴[編集]

1959年ジョン・フォガティ (Vocal&G)、ステュ・クック英語版 (B)、タグ・クリフォード英語版 (DS) の3人が中学校時代に出会って結成されたザ・ブルー・ベルベッツを前身とする。後にジョンの兄で、既にバンド活動をしていたトム・フォガティ英語版 (G) が加入する。メンバーは全員がカルフォルニア州出身である。1967年にサンフランシスコを拠点とするジャズ系ローカル・レーベル会社のファンタジー・レコードと契約(マネージャーのソウル・ゼインツによって、半ば契約させられた説あり)、バンド名を「ゴリウォッグス」と変えてデビュー。ゴリウォッグスは「醜い面相の男たち」の意味であり、メンバーは無理やりレーベル側から着せられた衣装と共に、この名前も気に入らなかったという[1]

1968年にバンド名をクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルと改めた。クリーデンス(信用)はトムの友人「クリーデンス・ニューボール」から、クリアウォーターはオリンピア・ビール英語版社のCMを見ていて流れる水の映像が気に入ったことと、メンバー全員の関心事であったエコロジーの観点から、リバイバルはバンドの復活、新しいバンド名で再出発との意味をこめて名付けられた[1]

同年にデビュー曲として発表されたルイジアナのシンガーソングライター、デイル・ホーキンスのカバー「スージーQ英語版 」がヒットした。ファースト・アルバムはこの長尺な「スージーQ」で、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスの「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー英語版」カバーなどが収録され、内容はブルース・ロック色とサイケデリック・アレンジが色濃く当時ヒッピー文化が全盛だったサンフランシスコでは平凡な作風ではあったが、その後サイケデリック色を排してシンプルでストレートなスタイルへと方向転換、当時としては異質の存在として脚光を浴び、ビートルズを凌ぐ存在となった。

1969年から1971年にかけて、彼らの代表曲となる「プラウド・メアリー」、「ダウン・オン・ザ・コーナー」、「雨を見たかい」といったヒットを飛ばす。ところが「プラウド・メアリー」(3週連続)、「バッド・ムーン・ライジング」、「グリーン・リヴァー」、「トラベリン・バンド」(2週連続)、「ルッキン・アウト・マイ・バック・ドア」という、この5曲は全てビルボード・シングルチャートで全米第2位のみ(現在まで全米No.1を獲得できなかった歌手、グループの中で最多5曲の全米第2位楽曲を持つという珍記録になっている)。

前途洋々かと思われたCCRだったが、楽曲のほとんどを作曲し、サックスからピアノまで自分で演奏するジョンの才能に注目が集まりすぎたためにメンバー間の軋轢が生じ(ジョン以外のメンバーがベーシックトラック録音のみに参加した曲も存在し、特に6枚目「ペンデュラム」が実質ジョンのワンマンレコーディング作ではないかと思われたことがあった[1])、1971年1月にバンドのマネージャーも兼任していたトムが脱退。ジョンが新マネージャーとして連れてこようとしたアラン・クレインは、「ビートルズを解散させた男」として悪評高い人物だった[1]。翌1972年に発表した7枚目のアルバム「マルディ・グラ」は、各メンバーの手掛けた曲やヴォーカル曲も取り入れた民主的な作品であったが(チャート・インこそしたものの)失敗作に終わり、同年10月にバンドはおよそ4年余りで解散した。

解散後~各メンバーの活動[編集]

ジョン・フォガティに関しては、ジョン・フォガティ#来歴を参照のこと。

ステュ・クック、タグ・クリフォードの2人は、1976年に結成した「ザ・ドン・ハリスン・バンド英語版」(1977年に解散)を経て、様々なセッションズに参加し[2]1995年に結成した「クリーデンス・クリアウォーター・リビジット英語版」のメンバーとしてライブ活動を主に行っているが、現在までジョンとの交流、接触は一切絶っているという噂もあるが、実際にはイベントで顔を合わせている。

トム・フォガティは、脱退後ソロ・アルバム数枚リリースしたがいずれもセールスでは失敗に終わり、1976年に結成した彼自身のリーダー・バンドの「トム・フォガティ&ザ・ルビー英語版」で、ボビー・クックレン英語版らとともに活動を続けていたが、1980年にいったん解散し、1982年に再結成するも、トムが糖尿病のために1984年に完全に解散した。1990年に闘病生活をしたトムは糖尿病関連の疾病手術で受けた輸血から感染したエイズにより、息子のジェフを含む数人の子供たちに看取られながら、9月6日に48歳でこの世を去った。

評価[編集]

ヒッピー文化全盛だった60年代後半に出現した同郷バンドのほとんどがアルバム志向だった中で、唯一シングルヒットに固執していたバンドであったため、近年にはCCRこそロック・シーンにおける反骨精神の祖、元祖パンク、オルタナティブ・ロックの開祖として奇妙な評価をされている節がある[要出典]

CCRの音楽は元祖サザンロック(南部のロック)と呼ばれたが、メンバーはカリフォルニア(西海岸)出身である。ステュ・クックは「音楽雑誌の記者たちは(僕らのことを)勝手に南部出身だと思い込んでいた。僕らの音はジョンの想像世界と南部への憧れから生まれたもの。スワンプロックとは、流行のロックとは違う僕らの音楽を、分類して記事を書きやすくするために作られた造語だ」と語っている[1]。ジョン・フォガティも「色々と分類されるのは真っ平御免だね。俺たちは一介のロック&ロール・バンドに過ぎないのさ」と反論していた。

1969年2枚目のアルバム「バイヨー・カントリー英語版ではルイジアナバイユーを採り上げ、一帯のリアルな描写を歌い、「プラウド・メアリー」はジョンがミシシッピ川を連絡する蒸気船「メアリー・エリザベス号 (Mary Elizabeth)」の写真から想像し[3]書き上げ、この曲がヒットし演奏公演で初めてアメリカ南部地域を訪れ、その際に「メアリー・エリザベス号」を見物したという逸話があるが、カントリー・ミュージック、ブルースの影響が濃いとはいえ、レコード盤などを聞いた音楽経験と空想や憧憬だけでこうした楽曲が作られたことはにわかに信じ難く、リアルタイムで聴いた当時のリスナーは、誰もがCCRを南部のバンドではないかと思っていた。ただし、70年代に隆盛を極めたサザンロックのバンド勢と比較すれば、技量の少なさ、単純明快な楽曲、シングルヒット中心といった観点から、サザンロックと決め付けるのはナンセンスだと主張する向きもある。

NHKで放送された「スターの殿堂 エド・サリバンショー」では、番組ホストであるデーブ・スペクターが、CCRが出演した際の映像を紹介した時、彼らの格好はヒッピーよりホームレスに近いと、放送当時、アメリカに住んでいた一視聴者の立場から、彼らを評している。

シングル[編集]

1968

  • Porterville / Call It Pretending
  • Suzie Q (Part One) (US #11) / Suzie Q (Part Two)
  • I Put A Spell On You (US #58) / Walk On The Water

1969

  • Proud Mary (US #2) / Born On The Bayou
  • Bad Moon Rising (US #2) / Lodi (US #52)
  • Green River (US #2) / Commotion (US #30)
  • Down On The Corner (US #3) / Fortunate Son (US #14)

1970

  • Travelin' Band (US #2) / Who'll Stop The Rain (US #2)
  • Up Around The Bend (US #4) / Run Through The Jungle (US #4)
  • Lookin' Out My Back Door (US #2) / Long As I Can See The Light (US #2)

1971

  • Have You Ever Seen The Rain (US #8) / Hey Tonight
  • Sweet Hitch-Hiker (US #6) / Door To Door

1972

  • Someday Never Comes (US #25) / Tearin' Up The Country

1976

  • I Heard It Through The Grapevine (US #43) / Good Golly Miss Molly

オリジナル・アルバム[編集]

  • Creedence Clearwater Revival (1968) (US #52)
  • Bayou Country (1969) (US #7)
  • Green River (1969) (US #1)
  • Willy and the Poor Boys (1969) (US #3)
  • Cosmo's Factory (1970) (US #1)
  • Pendulum (1970) (US #5)
  • Mardi Gras (1972) (US #12)

ライヴ・アルバム[編集]

  • Live In Europe (1973) (US #143)
  • The Concert (1980) (US #62)

ベスト・アルバム[編集]

  • Creedence Gold (1971) (US #12)
  • More Creedence Gold (1973) (US #46)
  • Chronicle, Vol. 1 (1976) (US #100)
  • Chronicle, Vol. 2 (1986)

代表曲[編集]

雨を見たかい (Have You Ever Seen the Rain?)[編集]

1971年シングルとして発売されビルボードで8位になった。 その後、同曲は数々のミュージシャンによってカバーされている。2006年にはロッド・スチュワートがアルバム『Still the Same… Great Rock Classics of Our Time』の中で、1993年にはラモーンズがアルバム『Acid Eaters』でカバーした。2013年にはジョン・フォガティが自身のアルバム『ロート・ア・ソング・フォー・エブリワン』で再演している。

俗にこの曲の歌詞が「ベトナム戦争反戦歌で、「雨」はアメリカ軍によるナパーム弾爆撃の隠喩である」という説が広く信じられているが(映画「マイ・バック・ページ」でもそのことに言及するセリフがある)、作詞作曲者のジョン・フォガティ自身は、1997年に当時のオフィシャル・ウェブサイトで次のように発言し、反戦歌であることを否定している。

「このことは、ベイエリアでは他の地区よりもよく起こる。陽が照っているのに雨が、虹と雨粒が降って来ることがある。風が吹くと、雨が金門橋を越えてサンフランシスコ湾に飛ばされて来るんだ。『雨を見たかい』はCCRの崩壊についての歌なんだ。"Have you ever seen the rain coming down, sunny day?" の部分は、sunny dayが黄金時代のクリーデンスを示唆している。しかし、俺たちに雨が降りかかって来るのが見えたということを言っているわけさ」Hank Bordowitz著 "Bad Moon Rising" p.107-108

一方、ドラムのダグは、ひとつ前のアルバムの曲「フォール・ストップ・ザ・レイン英語版」と混同されたのではないかと語っている。この曲の「雨」はニクソン政権による空爆を指しているという[1]

日本公演[編集]

  • 1972年
  • 2月25日 愛知県体育館
  • 2月28日 大阪厚生年金会館大ホール (昼夜2回公演)
  • 2月29日 日本武道館

関連項目[編集]

出典/脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 2010年4月22日放送 BS-TBS 「Song To Soul」#44 雨を見たかい - ジョン・フォガティ以外のメンバー、エンジニアなどのインタビューで構成されている。
  2. ^ クックはもと、13thフロア・エレベーターズロッキー・エリクソンのバンドなどに参加していた。
  3. ^ [1]着想のはじまりは女給仕についての歌だったが船の歌に変化したという。

外部リンク[編集]