コンテンツにスキップ

最上英子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
最上 英子
もがみ ひでこ
生年月日 1902年12月19日
出生地 群馬県群馬郡榛名町(現高崎市
長野県更級郡稲荷山町の生まれとする説もある)
没年月日 (1966-10-16) 1966年10月16日(63歳没)
出身校 和洋女子学院卒業
所属政党日本進歩党→)
民主党→)
国民民主党→)
改進党→)
日本民主党→)
自由民主党
称号 正四位
勲二等宝冠章
配偶者 最上政三(衆議院議員)
親族 甥(養子)・最上進(参議院議員)

内閣 第1次岸改造内閣
在任期間 1957年7月10日 - 1958年6月12日

選挙区 群馬県選挙区
当選回数 2回
在任期間 1953年4月24日 - 1965年6月1日

選挙区 (群馬県全県区→)
旧群馬3区
当選回数 2回
在任期間 1946年4月10日 - 1948年12月23日
テンプレートを表示

最上 英子(もがみ ひでこ、1902年12月19日 - 1966年10月16日)は、昭和時代の日本政治家衆議院議員(2期)。参議院議員(2期)。旧姓は石川[1]

経歴

[編集]

1919年和洋女子学院(現和洋女子大学)卒業[1][2]1920年に『萬朝報』記者だった最上政三と結婚[3]。その後、政三は立憲民政党から代議士に当選[3]。英子は夫の応援演説に立ち、高崎市内の劇場の床が抜け落ちてしまうほどの人気を博した[3]。夫は政界でのキャリアを積んでいったものの、戦後公職追放に遭う[3]。そこで英子は夫の代わりとして1946年の衆院選日本進歩党公認で立候補し当選、日本初の女性代議士の一人となる。

その後所属党派を民主党に移すものの3選を目指した1949年の衆院選で落選し、政界復帰を狙った1950年参院選でも落選(国民民主党公認)。改進党公認で出馬した1953年参院選で当選し、ようやく国政復帰を果たす。以後参院議員を2期[3]、この間第1次岸改造内閣では女性初の郵政政務次官を務めた[3]。議員在職中は売春防止法制定や特定郵便局整備に積極的に関わり、また市川房枝平塚雷鳥に私淑して金をかけない理想選挙を貫き通した[3]

1965年の参院選で落選して政界を引退し、1966年10月16日、心筋梗塞のため死去、63歳[3]。死没日をもって勲二等宝冠章追贈、正四位に叙される[2][4]

最上女塾塾長、群馬県婦人厚生協会長、自民党婦人局長などを務めた[2]

夫・政三との間には実子が無く、自分の秘書を務めていた甥の(妹・佐藤俊子の長男)を養子とした。進も政三・英子夫妻同様に政界に入り、参議院議員となる。また進の弟・佐藤國雄群馬県議会議員を務めた。

参議院での主な所属委員会

[編集]
  • 逓信委員会委員
  • 予算委員会委員
  • 運輸委員会委員
  • 文教委員会委員
  • 社会労働委員会委員
  • 議院運営委員会委員

脚注

[編集]
  1. ^ a b "最上英子". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2023年2月19日閲覧
  2. ^ a b c "最上 英子". 新訂 政治家人名事典 明治~昭和 / 20世紀日本人名事典. コトバンクより2023年2月19日閲覧
  3. ^ a b c d e f g h 第58回婦人参政権と最上英子(たかさき100年)”. www.city.takasaki.gunma.jp. 高崎市. 2022年3月3日閲覧。
  4. ^ 『官報』第11956号20-21頁 昭和41年10月20日号

関連文献

[編集]