コンテンツにスキップ

大谷藤之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大谷藤之助
おおたに とうのすけ
生年月日 1906年12月3日
出生地 島根県
没年月日 (1989-02-08) 1989年2月8日(82歳没)
出身校 浜田中学(現・島根県立浜田高等学校)・海軍大学校
所属政党自由民主党→)
(無所属)
称号 従三位
勲一等瑞宝章

日本の旗 参議院議員
選挙区 全国区
当選回数 4回
在任期間 1956年7月8日 - 1980年7月7日
テンプレートを表示

大谷 藤之助(おおたに とうのすけ、1906年12月3日 - 1989年2月8日)は、日本政治家。位階は従三位。勲等は勲一等

参議院議員(4期)。大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍中佐。

経歴

[編集]

国政選挙歴

[編集]

役職

[編集]

演じた俳優

[編集]

証言

[編集]

レイテ沖海戦にて戦艦「大和」の副砲長として乗艦していた深井俊之助が、栗田艦隊がレイテ湾に突入せずに反転したのは当時、栗田司令部の作戦参謀を務めていた大谷による電報の捏造が原因だったと主張している[13][注釈 1]が、当時通信士として栗田らの板第一艦橋に配属されていた[注釈 2]都竹卓郎は、月刊「歴史街道」2015年1月号において、深井氏のレイテ沖海戦での数々の証言を否定しており[14]、他の生存者の証言でも深井の主張と辻褄が合わない点が多くあり、現在は否定的に考えられている[注釈 3]

脚注

[編集]
  1. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、63頁。NDLJP:1276156 
  2. ^ 『毎日新聞』1951年9月8日四面
  3. ^ 第92回国会 参議院 本会議 第2号 昭和55年7月22日
  4. ^ 『官報』第16144号4頁 昭和55年11月13日号
  5. ^ 第114回国会 参議院 本会議 第6号 平成元年3月7日
  6. ^ 『官報』第35号8-9頁 平成元年2月22日号
  7. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』544頁。
  8. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』546頁。
  9. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』548頁。
  10. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』551頁。
  11. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』553頁。
  12. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』555頁。
  13. ^ 深井俊之助 2031, p. 201-204.
  14. ^ PHP研究所「歴史街道」64p

注釈

[編集]
  1. ^ 深井は戦後、大谷から選挙の応援を一度だけたのまれたが「あんたとはお断りだ」と告げてすぐに別れたという。
  2. ^ 当時の大和は栗田艦隊の司令部と元々いた第一戦隊司令部が同居している状態で手狭であり、操艦上必要最低限の大和幹部や乗員以外は第一艦橋から離れていた。都竹は通信士官であったため第一艦橋に居残っている。深井は副砲長であり、そもそも戦闘時は第一艦橋の数階下にある「副砲射撃指揮所」で指揮を執る立場のため、第一艦橋に常時居てた訳ではない。栗田艦隊反転前後は対空戦闘が続いていた頃であり、対空射撃もする可能性がある副砲の指揮官が配置を外れて第一艦橋にいることはまずあり得ず、深井自身はこれらの経緯を直接見ていない
  3. ^ 例として、深井はチャンネル桜の番組内で小沢治三郎から頂いたという短刀を見せて「必ずレイテ湾に突入するようにと託された」という趣旨の説明をしていたが、都竹によると彼らが乗っていた戦艦大和はマリアナ沖海戦ご10日程で南方へ再出撃し、以後レイテ沖海戦が終わるまで本土に戻っていない。一方で小沢はマリアナ沖海戦後に帰還すると直ちに日吉の連合艦隊司令部に出頭して事後の協議に出向いており、レイテ沖海戦まで本土から出ていないため、深井と小沢がレイテ沖海戦前に会うことは不可能である(また、番組で見せた短刀は、実際は捷一号作戦に参加した全士官に後に軍令部次長になった小沢から送られた贈呈品であり、レイテ沖海戦前に渡されたものでもないし、そもそも深井個人に意図を以ってわたされたものでもない)。また、反転時にいた宇垣第一戦隊司令官についても、深井は「反転に異論があり怒っていた」と証言しているが、当時第一戦隊参謀を兼ねていた大和飛行長の伊藤敦夫は、羽黒乗員だった福田幸弘に対して「宇垣長官が怒っているような姿は見ていない」「突入を主張していた事実もない」と手紙で説明したことを福田が自署で述べており、これも矛盾が生じている

参考文献

[編集]
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
  • 深井俊之助『戦艦「大和」反転の真相 海軍士官一〇四歳が語る戦争』宝島社〈宝島社新書〉、2023年8月21日。 
議会
先代
剱木亨弘
日本の旗 参議院ロッキード問題に関する調査特別委員長
1976年 - 1977年
次代
梶木又三
先代
鹿島俊雄
日本の旗 参議院予算委員長
1974年 - 1976年
次代
八木一郎
先代
二木謙吾
日本の旗 参議院文教委員長
1967年 - 1968年
次代
中村喜四郎
先代
吉江勝保
日本の旗 参議院内閣委員長
1961年 - 1962年
次代
河野謙三