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中山寿彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中山寿彦
なかやま としひこ
生年月日 1880年12月16日
出生地 日本の旗 日本 兵庫県
没年月日 (1957-11-26) 1957年11月26日(76歳没)
死没地 日本の旗 日本 東京都中野区
出身校 東京帝国大学医学部卒業
前職 医師
所属政党 (同成会→)
(無所属→)
(自由党→)
自由民主党
称号 従三位
勲二等
内閣 第3次吉田第3次改造内閣
在任期間 1952年9月2日 - 1952年10月30日
選挙区 全国区
当選回数 3回
在任期間 1947年5月3日 - 1957年11月26日
在任期間 1946年7月29日 - 1947年5月2日
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中山 寿彦(中山 壽彦[1]、なかやま としひこ、1880年12月16日[2] - 1957年11月26日[2][3])は、日本の医師、政治家。日本医師会4代会長、貴族院議員、参議院議員、国務大臣。位階は従三位[3][4]。勲等は勲二等[4]。

経歴

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兵庫県生まれ[4]。1907年[注釈 1]、東京帝国大学医学部を卒業[2][3]。同年、東京医科大学附属病院助手となった[3]。1920年、東京府豊多摩病院長に就任[4]。東京府医師会長、同医師会附属下谷病院長、東京市理事、日本医療団東京支部事務局長、母子愛育会理事、公衆衛生院顧問、医師国家試験審議会委員などを歴任。

1946年(昭和21年)2月に日本医師会会長に就任した[5]。戦後の新体制を準備していたが、GHQから戦争協力者に対する公職追放を医師会役員にも適用するという通告を受けて会長職を辞任した。

1946年(昭和21年)7月29日、貴族院勅選議員に選出された[6]。同成会に属し、1947年(昭和27年)5月の貴族院廃止まで在任。1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙の全国区に出馬し初当選(任期3年)。その後、第2回 (任期3年)、第3回参議院議員通常選挙でも再選された。また、1952年(昭和27年)9月2日、第3次吉田第3次改造内閣の国務大臣として入閣した[7]。

参議院議員として、同院運輸委員会、社会保障制度審議会副会長、鉄道建設審議会委員などを務め、所属政党では、自由党総務、同顧問などを歴任。

1957年(昭和32年)11月26日、急性肺炎のため東京都中野区鷺宮の自宅で在職中のまま死去、76歳(享年77歳)[4][8]。同月11月28日には、自宅に勅使が訪れ祭粢料を賜った[9]。

脚注

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注釈

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  1. ↑ 卒業年は文献によって差異がある

出典

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  1. ↑ 『官報』第9283号601頁 昭和32年11月30日号
  2. 1 2 3 『日本国・国会全議員名鑑 上 362コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. 1 2 3 4 『議会制度七十年史 第1 80コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. 1 2 3 4 5 『日本医師会雑誌 38(12) 29コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ↑ “昭和22年”. 日本医師会. 2024年9月21日閲覧。
  6. ↑ 『貴族院要覽 昭和21年12月増訂 丙 35コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ↑ “第49代 吉田 茂 | 歴代内閣”. 首相官邸ホームページ. 2024年9月21日閲覧。
  8. ↑ “国会会議録検索システム”. kokkai.ndl.go.jp. 2024年9月21日閲覧。
  9. ↑ 宮内庁『昭和天皇実録第十二』東京書籍、2017年3月28日、405頁。ISBN 978-4-487-74412-1。

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。 ISBN 9784816918056。
公職
先代
日本の旗 国務大臣(無初任)
1952年
次代
議会
先代
板谷順助
日本の旗 参議院運輸委員長
1949年 - 1950年
次代
佐々木鹿蔵