松村真一郎
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松村真一郎 まつむら しんいちろう | |
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生年月日 | 1880年1月2日[1] |
出生地 |
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没年月日 | 1963年6月2日(83歳没) |
死没地 |
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出身校 |
東京帝国大学法科大学卒業 (現・東京大学法学部) |
前職 | 農林次官 |
所属政党 |
(無所属→) 緑風会 |
称号 |
正三位 勲一等瑞宝章 |
配偶者 | 松村エミ |
子女 |
二男・山本達郎 五男・松村康平 |
親族 | 義父・山本達雄(内務大臣) |
選挙区 | 全国区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1947年5月3日 - 1950年5月2日 |
在任期間 | 1933年12月5日 - 1947年5月2日 |
松村 真一郎(まつむら しんいちろう、1880年〈明治13年〉1月2日[1] - 1963年〈昭和38年〉6月2日[2][3][4])は日本の農林官僚であり、退官後に貴族院議員及び参議院議員を務めた。
経歴
[編集]松村眞平とヒサの間に長男として生まれる[1]。1906年(明治39年)、東京帝国大学法科大学を首席で卒業し、農商務属兼農商務大臣秘書官となる[5]。同年、高等文官試験に合格し、特許局審査官と農商務参事官を兼任した[5]。さらに農商務書記官に昇進し、大臣秘書官を兼ねた[5]。1910年(明治43年)、法制局参事官に転じ、行政裁判所評定官を兼ね、1918年(大正7年)には法制局第一部長に就いた。その後、農商務省に戻って、畜産局長、商務局長、農林省水産局長、農林局長を歴任し、1929年(昭和4年)には農林次官に就任した。またその間の1921年(大正10年)にはワシントン会議に随員として出席している[6]。
退官後の1933年(昭和8年)12月5日に貴族院議員に勅選され[7]、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[3]。その他、日本競馬会幹事や日本米穀会社理事長、日本倉庫株式会社社長、魚類配給統制協会連合会長なども務める[6]。戦後は第1回参議院議員通常選挙に当選した他、中央競馬会長、全国農業共済協会長、中央選挙管理委員会委員長などを務めた[2]。1963年(昭和38年)6月2日、千代田区の自宅で死去した[4]。
栄典
[編集]位階
勲章等
親族
[編集]- 山本達雄 - 妻・エミの父。日本銀行総裁、貴族院議員、大蔵大臣・農商務大臣・内務大臣を歴任した。
- 山本達郎 - 二男。義父・山本達雄の養嗣子となる。東京大学名誉教授。
- 松村敬一 - 四男。経済企画事務次官。
- 松村康平 - 五男。教育学者。お茶の水女子大学家政学部教授。
- 千沢楨治 - 長女・頼子の夫。上智大学教授、山梨県立美術館初代館長。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。