安部定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

安部 定(あんべ さだむ、1908年明治41年)5月[1][2][3] - 1994年平成6年)6月12日[1])は、日本の教育者、労働運動家、政治家参議院議員

経歴[編集]

大分県[1][2]速見郡藤原村(現日出町)で、安部福一の長男として生まれる[3]。1928年(昭和3年)大分師範学校(現・大分大学教育学部)を卒業した[1][2][3]

同年、大分県速見郡杵築尋常高等小学校訓導に就任[2]。その後、大阪府内の小学校訓導を務めた[2][3]

戦後、大分県教員組合長、教員組合全国連盟副委員長などを歴任[2][3]。1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙全国区から無所属で出馬して当選し(補欠、任期3年)、緑風会に所属して参議院議員を一期務めた[1][2][3]

1994年6月、肺癌により死去した[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『現代物故者事典 1994~1996』35頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』231頁。
  3. ^ a b c d e f 『人事興信録』第15版 上、ア2頁。

参考文献[編集]

  • 『現代物故者事典 1994~1996』日外アソシエーツ株式会社、1997年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第15版 上、1948年。