松嶋喜作
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松嶋 喜作(まつしま きさく、1891年(明治24年)10月7日 - 1977年(昭和52年)2月17日)は、日本の政治家。実業家。参議院副議長(第2代)。参議院議員(1期)。
経歴[編集]
兵庫県明石市出身。1918年京都帝国大学卒業。卒業後は日本興業銀行に入る。1941年理事に就任。戦後の1946年大和証券の会長におさまる。翌1947年第1回参議院議員通常選挙で全国区から立候補して当選(3年議員)。自由党政調会長を務める。1949年参議院副議長に就任した。議員を1期で退任後、1952年日本製鋼や東京螺子の社長に就任。1956年国鉄諮問委員、翌年に富士航空社長を務めた。
1977年2月17日死去、85歳。死没日をもって従三位に叙される[2]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
議会 | ||
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先代 松本治一郎 |
![]() 第2代:1949年 - 1950年 |
次代 三木治朗 |