北条雋八

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
日本の旗 日本の政治家
北条 雋八
ほうじょう しゅんぱち
生年月日 1891年5月18日
出生地 東京府
没年月日 (1974-05-30) 1974年5月30日(満83歳没)
出身校 東京帝国大学(現・東京大学
所属政党 (無所属→)
(公明政治連盟→)
公明党
称号 子爵
配偶者 妻・北条克子
親族 甥・北条浩

選挙区 子爵選出
在任期間 1939年4月 - 1947年5月2日

選挙区 全国区
当選回数 2回
在任期間 1956年7月9日 - 1968年7月7日
テンプレートを表示

北条 雋八(ほうじょう しゅんぱち、1891年(明治24年)5月18日 - 1974年(昭和49年)5月30日)は、日本政治家東京帝国大学卒業。貴族院子爵議員参議院議員(2期)。子爵。妻は有馬純文子爵)の娘、克子。

経歴[編集]

明治24年(1891年5月18日に元河内狭山藩北条氏恭の四男に生まれる。大正2年(1913年)、学習院高等学科を卒業。大正5年(1916年)、東京帝国大学農科大学林学科を卒業。帝室林野管理局技手となり、後に技師に昇進する。木曽支局や東京支局に勤務した。

大正14年(1924年)、養父謙吉(実兄)の死去により、家督を相続する。昭和14年(1939年)4月、貴族院子爵議員に当選する(1947年に退任)。

日蓮正宗を信仰している関係から、創価学会にも関わる様になり、創価学会文化部顧問に就任する。

昭和31年(1956年7月8日第4回参議院議員通常選挙に、全国区から創価学会系無所属として立候補し、初当選(以降、連続2回)する。公明政治連盟を経て公明党に所属し、その間、参議院法務委員長に歴任する。

昭和49年(1974年)5月30日、死去。兄釐三郎の子であるを養子に迎えた。

人物[編集]

  • 伊達政宗の男系子孫にあたる。曽祖父に当たる堀田正敦が仙台藩伊達家から佐野藩堀田家に養子に入り、父の北条氏恭が堀田家から北条家に養子に入った。

親族[編集]

役職歴[編集]

  • 参議院法務委員長
  • 創価学会文化部顧問