大日本皇道立教会

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大日本皇道立教会(だいにほんこうどうりっきょうかい)は、第119代光格天皇の孫にあたる中山忠英(父親は光格天皇の第六皇子で、中山家に臣籍降下した中山忠伊)が光格天皇が目指した「四民平等の世、天朝御直の民」を実現し、日本精神を作興するため、1911年に創立された組織。

中山忠英が初代会長に就任した。

幹事長は頭山満、幹事は梅屋庄吉内田良平、花山院家威などが務めた。顧問には大隈重信東郷平八郎渡辺千秋波多野敬直などがいる。

中村天風は会員の一人である。

概要[編集]

1890年久邇宮朝彦親王を総裁に中山忠英を会長として組織された皇道会を前身に、中山忠英が1911年大日本皇道立教会を設立して初代会長に就任した。

前身の皇道会は日本の未来を創るのは次世代への教育であるとし、『教育勅語』の作成に尽力した。

大日本皇道立教会を設立した2年後の1913年に中山忠英は亡くなった。

その後、大日本皇道立教会は解散され、家督を継いだ中山忠英の三男中山忠徳(ただのり)は神道研究に努めた。中山忠徳と親交が深かった人物に出口王仁三郎がいる。中山忠徳とは年齢が離れていたが昵懇の間柄だった。また中山忠徳を師事していた者の中には、PL教団開祖の御木徳近がいる(御木徳近の「徳」の字は師事していた中山忠徳の字をもらったとされる)。他に山蔭神道宗家の山陰基央などの宗教界における昭和の偉人たちを輩出した。

関係者[編集]

参考文献[編集]

  • 山陰基央『日本の黎明』(白馬出版株式会社)1982年

脚注[編集]