太田昭宏

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日本の旗 日本の政治家
太田 昭宏
おおた あきひろ
Transportation Deputy Secretary Porcari at APEC Ministerial Meeting (Akihiro Ota crop).jpg
2013年9月5日、第8回APEC交通大臣会合時
生年月日 1945年10月6日(69歳)
出生地 日本の旗 日本 愛知県新城市
出身校 京都大学大学院工学研究科
前職 公明新聞記者
所属政党 公明党→)
(公明新党→)
新進党→)
(新党平和→)
公明党
称号 工学修士
公式サイト 公明党議長 衆議院議員 太田あきひろ|東京12区総支部長

日本の旗 第18・19代 国土交通大臣
内閣 第2次安倍内閣
第2次安倍改造内閣
第3次安倍内閣
在任期間 2012年12月26日 - 現職

在任期間 2006年9月30日 - 2009年9月8日

選挙区 旧東京9区→)
比例東京ブロック→)
東京12区
当選回数 7回
在任期間 1993年7月19日-2009年7月21日
2012年12月19日[1] - 現職
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太田 昭宏(おおた あきひろ、1945年10月6日 - )は、日本政治家公明党所属の衆議院議員(7期)、公明党全国議員団会議議長。国土交通大臣(第1819代)、水循環政策担当大臣(第12代)。北区ボディビル・フィットネス連盟最高顧問。

新進党副幹事長、公明党幹事長代行、公明党国会対策委員長公明党代表(第2代)などを歴任した。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

愛知県新城市に生まれ、生後間もなく豊橋市へ転居する。愛知県立時習館高等学校京都大学工学部土木工学科卒業。京大在学中は相撲部に所属した。京都大学大学院工学研究科修士課程を修了した後、1971年4月に公明党機関紙局に就職し、公明新聞で国会担当記者を務める。1982年創価学会青年部長に就任した。名誉会長の池田大作からは次世代のホープと呼ばれ将来、創価学会の会長職を太田に任せたいというほどのお気に入りであった。そのため太田が政界進出する意思を聞いた池田は太田に政治家になるのを思いとどまるよう数度にわたり説得したという逸話がある[2][3]

衆議院議員[編集]

1990年第39回衆議院議員総選挙に公明党公認で旧東京8区から出馬するも、落選。1993年第40回衆議院議員総選挙では旧東京9区に国替えして出馬し、初当選した。同年8月、当時の公明党委員長石田幸四郎の下で党副書記長、政策審議副会長に就任。早くから「公明党のプリンス」と目された[4]

1994年、公明党解党により公明新党を経て新進党結党に参加する。新進党では副幹事長に就任した。小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された第41回衆議院議員総選挙では比例東京ブロック単独で出馬し、再選。1998年、新進党解党により、旧公明党系議員が結成した新党平和に参加した後、新党平和・黎明クラブ・公明の合併による公明党再結成に伴い、党幹事長代行に就任。2000年第42回衆議院議員総選挙では比例東京ブロック単独で出馬し、3選。

公明党代表[編集]

2003年第43回衆議院議員総選挙では比例単独から東京12区に国替えし、初めて小選挙区で当選。この選挙では自由民主党保守新党の推薦を受けた(保守新党は選挙後自民党へ合流)。2005年第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化法案の採決で反対票を投じた八代英太(自民党の公認が得られず無所属で出馬)らを破り、5選。

2006年神崎武法の退任に伴う公明党代表選挙に立候補し、太田以外に立候補者がいなかったため無投票で党代表に選出された。

落選・党代表辞任[編集]

2009年第45回衆議院議員総選挙で従来通り重複立候補を辞退し東京12区のみに立候補したが、民主党青木愛に僅差で敗れ現職の与党党首でありながら落選した。公明党で党首が落選するのは立党以来初めてであった。総選挙後、9月3日の党常任役員会で党代表辞任を表明し、了承された[5]。なお、同じく落選した党幹事長の北側一雄も併せて辞任した。

9月8日の公明党全国代表者会議において、太田の辞任と山口那津男の新代表就任が正式に決まる。これに併せて党規約が改正され、太田は新設ポストである全国代表者会議議長に就任、執行部に残留した。12月6日2010年7月の第22回参議院議員通常選挙における比例区候補として公明党から公認された[6]。しかし、2010年2月2日には一転、公明党は太田の公認を取り消し、党ホームページの参院選立候補予定者欄から太田の名前を削除した。太田の参議院への出馬に対し、創価学会婦人部など学会内部から否定的な意見が多かったことが遠因といわれる[7]

国政復帰・国土交通大臣[編集]

2013年9月5日、第8回APEC交通大臣会合時(前列中央)

この公認取り消しの混乱で政治生命の衰えも一部で指摘されたが、その後も党議長として党内序列2位を維持し、参院選や地方選挙の候補者応援などの政治活動を継続。2011年11月17日、公明党中央幹事会は太田を第46回衆議院議員総選挙の東京12区候補予定者に決定。なお、太田の出馬は議員在任中に66歳を超えないとする党の内規に抵触するが、党は太田を例外扱いとすることを認めた。2012年12月16日に行われた総選挙の結果、太田は民主党から日本未来の党に移籍した青木を破り当選、国政に復帰した[8]

12月26日第2次安倍内閣において国土交通大臣として初入閣。2013年5月26日内閣総理大臣安倍晋三の代理として大相撲夏場所総理大臣杯を白鵬に授与した。2014年5月20日、国土交通大臣と兼務して初代水循環政策担当大臣に就任[9]9月3日に発足した第2次安倍改造内閣でも同職に再任された。

9月21日、公明党全国代表者会議の廃止に伴い、衆参両院議員団と全国地方議員団会議で構成する公明党全国議員団会議の初代議長に就任した[10]12月14日に執行された第47回衆議院議員総選挙で7期目の当選を果たし、12月24日に発足した第3次安倍内閣では国土交通大臣及び水循環政策担当大臣に再任された。

人物[編集]

  • 身長175cm、体重80kg。
  • 趣味は読書、スポーツ、陶芸
  • カラオケは最新の曲から北島三郎まで何でも歌う。
  • 好きな食べ物は魚料理、肉じゃが、メロンパン
  • 好きなテレビ番組は、単純な時代劇、サスペンス。

発言等[編集]

  • 2007年6月16日千葉県鎌ヶ谷市での街頭演説にて年金記録問題に触れ、歴代厚生大臣である菅直人小泉純一郎坂口力を名指しして「みんな悪い[11]」と発言した。さらに、「(基礎年金番号の)制度を設計したのは菅氏、施工したのは小泉氏、内装電気工事をしたのが坂口氏のすべてが悪いのは当然だ[11]」と発言、基礎年金番号の制度自体に問題があるとの認識を示した。
  • 2007年7月29日第21回参議院議員通常選挙が行われ、公明党は神奈川県愛知県埼玉県の選挙区で議席を失うなど歴史的大敗を喫す(その後、神奈川県は松あきら繰り上げ当選)。選挙の形勢が不利となった同日夜、党代表会見で敗北に対する責任を取り代表を辞任するという憶測が流れていたが、「支援者の皆様方、創価学会の皆様ありがとうございました」と支援者へのお礼は述べたものの、内閣総理大臣安倍晋三と共に辞任を否定した。後日、支持母体である創価学会の婦人部、女子部を中心に党執行部や太田の責任を問う声が高まり[12]、特に議席を失った神奈川県、愛知県、埼玉県などでは、選挙後に行われた公明党と創価学会による幹部会で太田の辞任を求め、紛糾する事態となった[13]聖教新聞のコラム欄「寸鉄」も、学会員の働きぶりを称賛した反面、公明党執行部や幹部には反省を促した[14]。その後、太田が参議院選挙の惨敗の責任を「自らの不徳の致すところ」として支持者に謝罪したこともあり、批判は鎮静化した。
  • 2008年5月、元公明党委員長矢野絢也が創価学会幹部を提訴[15]した際には、「私なら絶対考えられない」とコメントした[16]
  • 2005年の第44回衆議院議員総選挙にて、太田が選挙カーの給油量を実際より多く申請し、東京都選挙管理委員会から燃料代を過大に受け取っていたことが判明した[17]。太田は、2005年8月30日から9月10日までの間に「毎日同量の61.25リットルを足立区内の給油所で給油した」[17]と申請していた。選挙カーの燃料代は1台に限り8万8200円まで公費負担となるため、東京都選挙管理委員会は太田に対し燃料費の代金を支給した。しかし、2007年10月に調査したところ過大請求だったことが判明し、11月に東京都選挙管理委員会に全額返金した。その後、東京都選挙管理委員会に対し朝日新聞社情報公開請求を行ったためこのことが判明し、2008年1月13日朝日新聞に掲載された[17]。翌日には読売新聞など主要各紙もこの過大請求を報じるなど批判が相次ぎ、太田は同年1月14日付で謝罪[18]。しかし、党代表の辞任や議員辞職する意向はないと表明した。なお、過大請求の理由については「伴走車両の分も合わせて請求していた」と太田事務所は説明している[17]

政策[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 平成24年(2012年)12月19日東京都選挙管理委員会告示第168号(衆議院(小選挙区選出)議員選挙における東京都各選挙区の当選人)
  2. ^ 朝日新聞デジタル:2005総選挙選挙区当選者東京12区(asahi.com)
  3. ^ 朝日新聞デジタル:2009総選挙《党首がゆく:公明党・太田昭宏代表》重ねた辛抱 問い直す原点(asahi.com)
  4. ^ FACTA online:太田公明党代表に囁かれる「不人気短命説」
  5. ^ NIKKEI NET(日経ネット):太田公明代表が辞任表明、後任8日に選出 北側幹事長も辞任(2009年9月3日)
  6. ^ 公明党ホームページ:第1次公認 9氏を発表(2009年12月6日)
  7. ^ 産経新聞:公明、太田前代表衆院選へ(2010年2月2日、2010年3月2日閲覧)
  8. ^ 日本経済新聞:公明の太田前代表返り咲き「日本再建の先頭に」(2012年12月16日)‎
  9. ^ 朝日新聞デジタル:新設「水循環担当相」に太田国交相 水資源政策を調整
  10. ^ 公明新聞:中央幹事会を議決機関に
  11. ^ a b 朝日新聞デジタル:太田・公明代表「菅氏、小泉氏、坂口氏、みんな悪い」(2007年6月16日)
  12. ^ 聖教新聞:2007年7月31日 4面
  13. ^ 週刊ポスト:2007年8月30日号
  14. ^ 聖教新聞:2007年8月10日 「寸鉄」
  15. ^ 時事通信:元公明党委員長、創価学会を提訴 「言論活動を妨害」 東京地裁(2008年5月12日配信)
  16. ^ 週刊文春:2008年5月28日号
  17. ^ a b c d 朝日新聞東京本社:北林慎也・野村雅俊「公明・太田氏が不適正請求 05年総選挙ガソリン代 伊藤元金融相らも」(朝日新聞43730号 31面、2008年1月13日
  18. ^ 公明党 衆議院議員 太田あきひろ Web Site:衆院選における選挙用燃料費について(2008年1月14日)
  19. ^ a b c 毎日新聞:2014衆院選 東京12区 太田昭宏(2014年12月)
  20. ^ 朝日新聞:2014年衆院選 朝日・東大谷口研究室共同調査(2014年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
羽田雄一郎
日本の旗 国土交通大臣
第18・19代:2012年 -
次代:
現職
党職
先代:
神崎武法
公明党代表
第2代:2006年 - 2009年
次代:
山口那津男