石井紘基
| 石井 紘基 いしい こうき | |
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| 生年月日 | 1940年11月6日 |
| 出生地 |
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| 没年月日 | 2002年10月25日(61歳没) |
| 死没地 |
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| 出身校 |
中央大学 早稲田大学 モスクワ大学大学院 |
| 所属政党 |
(社会民主連合→) (日本新党→) (自由連合→) (新党さきがけ→) (旧民主党→) 民主党 |
| 称号 |
従四位 勲三等旭日中綬章 法学士(中央大学) 法哲学博士(モスクワ大学) |
| 配偶者 | 妻・石井ナターシャ |
| 選挙区 |
(旧東京3区→) 東京6区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 在任期間 | 1993年7月19日 - 2002年10月25日 |
石井 紘基(いしい こうき、1940年(昭和15年)11月6日 - 2002年(平成14年)10月25日[1])は、日本の政治家。民主党などで衆議院議員として活動した。
目次
来歴[編集]
生い立ち[編集]
東京市世田谷区に生まれる[1]。世田谷区立池之上小学校、成城学園中学校高等学校卒業。中央大学法学部に入学、安保闘争に参加[1]。国会に突入するデモ隊の先頭にいた石井は、ほぼすべての国会議員が逃げ出す中で、一人デモ隊の目の前まで出て行き騒乱の最前線に出向き警官を抑えようとする日本社会党書記長の江田三郎を見、このことを契機として政治家を目指した[1]。
政界[編集]
江田の後を追い、社会党の活動に参加。中央大学自治会委員長になる等、学生運動のリーダーとなった。早稲田大学大学院法学研究科を経て、1965年にモスクワ大学大学院に留学[1]。留学中に出会ったナターシャと結婚[1]。大学院を修了すると1971年に帰国し、江田三郎の息子の江田五月の秘書となる。1978年に菅直人らと社会民主連合を結成し、事務局長となる。衆議院議員選挙での同党公認が決定していたが、1992年秋に突如日本新党へ移籍。
国政[編集]
第39回衆議院議員総選挙で落選後、1993年、第40回衆議院議員総選挙で日本新党から旧東京3区にて立候補し、初当選[1](同区で無所属・新生党推薦の栗本慎一郎も初当選)。以後通算当選3回[1]。1994年、羽田内閣において総務政務次官に就任[1]。自社さ連立政権時代には、「国民会計検査院-国会議員の会」を創設し、代表を務める。日本新党で初当選しながら細川護熙と袂を分かち、新進党結党には参加せず、栗本が代表幹事たる自由連合の結成に参加した。自由民主党と統一会派を組み、栗本・大内啓伍・柿沢弘治・佐藤静雄が自民党移籍後に一時的に代表に就任。1996年1月、かつて自身が秘書として仕えた江田三郎の旧岡山2区での対立候補だった自由民主党総裁の橋本龍太郎を支持し同じ与党の新党さきがけに移籍した。同年9月、旧民主党の結党に参加。
政策・活動[編集]
「爆弾発言男」[編集]
議員活動としては、主に日本の政府支出の無駄使いに関して、フィールドワークを持っていた。国会議員が持つ権限を使った徹底的な調査で、税の無駄や政府の不正の追及をしていた。そのため、「国会の爆弾発言男」と呼ばれていた。1997年11月、衆議院で防衛庁調達実施本部背任事件を追及し、マスコミをリードし、東京地検の強制捜査にまで発展させた。東洋通信機だけでなく、年間約2兆円にのぼる防衛庁の装備品発注予算が長期にわたって不正に使われていたことがわかった。
2000年には、映画「バトル・ロワイアル」に関して「青少年に悪影響を与える」として国会で取り上げ、上映に反対し規制を働きかけようとした[3]。
オウム真理教については「オウムは統一教会をラジカルにしたもの」、「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中がどうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった」と発言している[要出典]。
石井がアピールしていたのは以下の通りであるため利権を持つ議員や官僚、企業から忌み嫌われ怖れられていたとの説が有る[要出典]。
- 天下り会社(石井紘基の調査で約3000社もあることがわかった)を整理し、国が支出した資本や増えすぎた資産を回収し、国民に還元する。
- 石井紘基が代表を務める「国民会計検査院-国会議員の会」は、かつて、天下り会社の整理と会計検査機能強化のための法案を発表した。
- 国と地方自治体の系列企業(天下り会社)が占めている膨大な仕事を民間の中小企業に吸収させる。
刺殺[編集]
2002年10月25日に、世田谷区の自宅駐車場で右翼の男に刺殺された。石井の死に伴う補欠選挙で、選挙区の地盤は同党の小宮山洋子に引き継がれた。
日本の国家予算額の追究[編集]
第154回国会において石井は、一般会計・特別会計・財政投融資から重複部分を計算したうえで、日本の年間歳出(国家予算)は約200兆円相当あるのではないか、と指摘した。財務大臣塩川正十郎は「御意見としてお述べになりましたのでございますから、私が否定するようなこともございません」と答弁した。
また参考人として出席していた格付け機関ムーディーズのトム・バーンは、日本政府の債務について「平時における非常に大きな債務であるというふうに考えており、またさらに増大するものと思っている」と述べ、日本政府の債務状況は国際的に非常に高水準かつ増大の見通しが強い、との見解を示した。
著作[編集]
- 『つながればパワー:政治改革への私の直言』(創樹社、1988年12月)
- 『官僚天国日本破産』(道出版、1996年4月)ISBN 4-7901-0130-4
- 『告発マンガ利権列島:援助交際政治の現場を斬る』(文藝春秋、1999年10月)ISBN 4-89036-090-5
- 『日本を喰いつくす寄生虫:特殊法人・公益法人を全廃せよ!』(道出版、2001年11月)ISBN 4-944154-40-2
- 『日本が自滅する日:「官制経済体制」が国民のお金を食い尽くす!』(PHP研究所、2002年1月)ISBN 4-569-61414-0
- 『だれも知らない日本国の裏帳簿 : 国を滅ぼす利権財政の実態!』(道出版、2002年2月)ISBN 4-944154-41-0
脚注[編集]
- ^ a b c d e f g h i 石原伸晃, 石原伸晃君の故議員石井紘基君に対する追悼演説 第155回国会 衆議院本会議 第15号(平成14年11月29日(金曜日))
- ^ 第140回国会 法務委員会 請願327号
- ^ 衆議院会議録情報 第150回国会 文教委員会 第4号
参考文献[編集]
- 『政治家石井紘基その遺志を継ぐ』(明石書店、2003年10月)ISBN 4-7503-1804-3
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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