関谷勝嗣

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日本の旗 日本の政治家
関谷 勝嗣
せきや かつつぐ
生年月日 (1938-03-06) 1938年3月6日(78歳)
出生地 愛媛県松山市
出身校 中央大学法学部
前職 日本航空社員
関谷勝利議員秘書
所属政党 自由民主党山崎派
称号 旭日大綬章
親族 父・関谷勝利(元衆議院議員)
公式サイト 関谷かつつぐ公式ホームページ

選挙区 愛媛県選挙区
当選回数 2回
在任期間 2000年6月 - 2007年7月28日

選挙区 旧愛媛1区→)
愛媛1区
当選回数 8回
在任期間 1976年12月 - 2000年6月2日

日本の旗 第53代 郵政大臣
内閣 第2次海部改造内閣
在任期間 1990年12月29日 - 1991年11月5日

日本の旗 第66代 建設大臣
内閣 小渕内閣
小渕第1次改造内閣
在任期間 1998年7月30日 - 1999年10月5日

日本の旗 第33代 国土庁長官
内閣 小渕第1次改造内閣
在任期間 1999年1月14日 - 1999年10月5日
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関谷 勝嗣(せきや かつつぐ、昭和13年(1938年3月6日 - )は、日本政治家自由民主党山崎派に所属。(財)愛媛県遺族会会長。

参議院議員(2期)、衆議院議員(8期)、郵政大臣(第53代)、建設大臣(第66代)、国土庁長官(第33代)などを歴任した。

経歴[編集]

愛媛県松山市出身。

愛媛県立松山北高等学校を経て、1960年中央大学法学部政治学科卒業[1]カナダ、ブリティッシュ・コロンビア大学留学[1]

1964年4月、日本航空に入社[1]1967年10月、退社[1]1967年11月 関谷勝利議員秘書[1]1970年1月瀬戸内海放送取締役[1]1974年1月松山青年会議所理事長[1]

1976年、父・関谷勝利の引退に伴い、その後を継ぎ衆議院議員に初当選。1990年に海部内閣で郵政大臣1999年小渕恵三内閣で建設大臣国土庁長官に就任する。

2000年塩崎恭久との変則コスタリカ方式によって、第42回衆議院議員総選挙に出馬せず(塩崎が関谷の後継として出馬)、塩崎の衆院転出に伴う参議院議員補欠選挙に出馬し、参議院に鞍替えした。2001年に再選。在職中は、参議院憲法調査特別委員長、参議院法務委員会理事を務めた。

2007年第21回参議院議員通常選挙に立候補するも、同選挙における自由民主党への逆風の煽りを受けて友近聡朗に敗れ、片山虎之助金田勝年などの大物議員と共に落選。

2010年(平成22年)4月29日、平成22年春の叙勲において旭日大綬章を受章した。

人物[編集]

政治家として[編集]

  • 郵政族として知られ、郵政民営化には批判的であったが、派閥の長である山崎拓の意向に従い賛成を明言。2005年7月7日の山崎派総会で「(法案が否決され)解散になれば自民党は負け、瓦解するかもしれない」と首相を批判した。その瞬間、山崎に「何をごたごた言ってるんだ。やめろ」と遮られた。関谷はこれに抗議し会長代行を辞任した。この一部始終はメディアにも大きく取り上げられた。関谷はその後山崎派副会長に就任している。
  • 郵政族であることから、アマチュア無線に造詣が深かった。のちに首相を務めた同じ郵政族の小渕恵三とともに「国会アマチュア無線クラブ」の設立に尽力した。

台湾との関係[編集]

家族・親族[編集]

関谷家[編集]

愛媛県松山市三津浜町

労働大臣加藤常太郎衆議院議員は義父。宮沢喜一首相は遠縁にあたる。

2005年の衆議院選挙には四国比例区で長男の関谷水(せきや たいら、1972年6月9日 - )が自民党公認で立候補したが、次点となった。

著作[編集]

  • 「日本の「騎兵の父」秋山好古と「智謀湧くが如し」の名参謀 秋山眞之(日本海海戦百周年)」『月刊自由民主』(通号629)、2005年。
  • 「この国を考える(41)自然体で誠心誠意、与えられた使命を果たす」『月刊自由民主』(通号603)、2003年。
  • 「巻頭インタビュー 『良質賃貸住宅供給促進法(案)』は賃貸住宅の質の改善に向けて大きな前進-4年後の見直し条項等で弾力的な対応が可能に-前建設大臣衆議院議員関谷勝嗣 」『月刊政策』36(1)(通号362)2000年。
  • 「アジア太平洋の鉄道協力の促進-ESCAP鉄道大臣会議に出席して-」『トランスポート』33(5)運輸振興協会、1983年。

所属していた団体・議員連盟[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 関谷勝嗣

外部リンク[編集]