鯨岡兵輔

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鯨岡 兵輔
くじらおか ひょうすけ
生年月日 1915年9月15日
出生地 福島県いわき市
没年月日 (2003-04-01) 2003年4月1日(87歳没)
出身校 早稲田大学商学部卒業
所属政党自由民主党→)
(無所属→)
自由民主党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
親族 父の従弟:高田富與(元札幌市長、衆議院議員)

在任期間 1993年8月6日 - 1996年9月27日
衆議院議長 土井たか子

日本の旗 第12代 環境庁長官
内閣 鈴木善幸内閣
在任期間 1980年7月17日 - 1981年11月30日

選挙区東京10区→)
比例東京ブロック
当選回数 12回
在任期間 1963年11月22日 - 2000年6月2日

選挙区 足立区選挙区
当選回数 2回
在任期間 1955年4月 - 1963年4月
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鯨岡 兵輔(くじらおか ひょうすけ、1915年(大正4年)9月15日 - 2003年(平成15年)4月1日)は、日本政治家である。正三位勲一等旭日大綬章

来歴・人物[編集]

福島県石城郡四倉町(現・いわき市)出身。4歳の時に東京都足立区千住に転居。早稲田大学商学部卒業後召集され、陸軍航空大尉で終戦を迎えた。 戦後、父の経営する鯨岡製袋に入り、1947年足立区議、1955年東京都議を経て、1963年から旧東京10区から衆議院議員に連続12回当選した。鈴木善幸内閣環境庁長官として、日中渡り鳥保護協定への調印や水俣病患者との対話を行った。1993年非自民・非共産連立政権が誕生し土井たか子衆議院議長に選出された際には、衆議院副議長として政治改革に協力した。

三木武夫直系の政治家として政界の腐敗を批判した。また、護憲派としても知られた。鯨岡は三木と松村謙三に師事したが1964年(昭和39年)に松村が同志数名とともに三木派を離脱し小派閥の松村派を結成した際には松村と相談の上、三木派に残留した。その後は三木派、河本派に所属したが、晩年は河本派を離れ、寵愛していた河野洋平の後ろ盾として行動した。

家族・親族[編集]

略歴[編集]

脚注[編集]

議会
先代
村山喜一
日本の旗 衆議院副議長
第59代:1993年 - 1996年
次代
渡部恒三
先代
栗原祐幸
日本の旗 衆議院外務委員長
1976年
次代
藤本孝雄
公職
先代
土屋義彦
日本の旗 環境庁長官
第12代:1980年 - 1981年
次代
原文兵衛
先代
海部俊樹
日本の旗 内閣官房副長官(政務担当)
1976年
次代
塩川正十郎