コンテンツにスキップ

北修二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北 修二
きた しゅうじ
生年月日 1925年2月28日
出生地 日本の旗 北海道空知郡奈井江村
没年月日 (2007-05-25) 2007年5月25日(82歳没)
死没地 日本の旗 北海道札幌市中央区
出身校 空知農業学校
所属政党 自由民主党
称号 従三位
勲一等瑞宝章
親族 北勝太郎(父)
北二郎(兄)
北良治(弟)

内閣 宮澤改造内閣
在任期間 1992年12月12日 - 1993年8月9日

選挙区 北海道選挙区
当選回数 3回
在任期間 1977年7月11日 - 1995年7月22日
テンプレートを表示

北 修二(きた しゅうじ、1925年2月28日 - 2007年5月25日)は、日本の政治家北海道沖縄開発庁長官参議院議員(3期、自民党)。北海道空知郡奈井江村[1]出身。農民運動を展開した。

経歴

[編集]

空知農業学校卒業。1951年に25歳で奈井江町議に初当選し、1967年に奈井江農協(現・新砂川農協(JA新すながわ))組合長。北海道農協中央会(JA北海道中央会)副会長、北海道テレビ放送番組審議会委員[2]などを経て1977年の参議院選北海道選挙区でトップで初当選。連続3回当選。1981年北海道開発政務次官。1984年参議院農林水産委員長。1990年鳩山由紀夫北海道知事候補に目論むが失敗。自民党道連会長を辞任。自民党参議院政審会長を務めた後、1992年12月、宮澤改造内閣の北海道・沖縄開発庁長官として初入閣。1995年に政界引退。同年勲一等瑞宝章受章[3]

2007年5月25日腎不全のため札幌市中央区の病院で死去、82歳没[4]。死没日をもって従三位に叙される[5]

家族

[編集]

父は戦前・戦後を通じ通算4期衆議院議員を務めた北勝太郎、兄は衆議院議員を務めた北二郎。弟は奈井江町長を務めた北良治

受賞歴

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『奈井江町百年史 上巻』奈井江町、1990年、259頁
  2. ^ 『この10年(「番組審議会委員」のページ)』北海道テレビ放送、1978年11月。 
  3. ^ 『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ編集・発行、1999年
  4. ^ “北修二氏死去/元北海道・沖縄開発庁長官”. 四国新聞. (2007年5月25日). https://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20070525000230 2022年12月26日閲覧。 
  5. ^ 『官報』第4614号9-10頁 平成19年6月28日号
公職
先代
伊江朝雄
日本の旗 沖縄開発庁長官
第27代:1992年 - 1993年
次代
上原康助
先代
伊江朝雄
日本の旗 北海道開発庁長官
第58代:1992年 - 1993年
次代
上原康助
議会
先代
谷川寛三
日本の旗 参議院農林水産委員長
1984年 - 1985年
次代
成相善十